第4話 出会い Harold

Scene-1. 1999年5月21日 金曜日 新世紀科学研究所別室

 その日も、新世紀科学研究所は眠ることはなかった。研究員たちは仮眠のために帰ってくることはあっても、30分と留まりはせずに飛び出していく。
 その中にあって、ハロルド博士だけは目の前に広げられたプリントアウトに視線を落としていた。プリントアウトには複雑な曲線を描くグラフが印字されている。曲線は一時期に於いて急激に振幅を増し、そして再び急激に平静を取り戻している。ハロルド博士は苦渋に満ちた表情でその波形を見入っていた。
 電話のベルが鳴った。けたたましくも軽やかな電子音の2度目を聞く前に、ハロルド博士は殆ど引ったくるようにして受話器を取った。
「はい、別室」
『ハロルド博士か?』
電話の主は自分を名乗らずに言った。だがハロルド博士はその声で相手を察したのか、幾分声のトーンを落として答えた。
「ええ、そうです、滝川博士。お送りしたファックスには目を通されましたか?」
『通したよ』
電話の主、滝川博士の返答は間髪入れずに返ってきた。
『ここでは正確な判断は出来ないが………暴走しているな』
「やはり、そうですか」
電話の向こうから電気信号を介して乱暴に紙をめくる音が聞こえてくる。
『しかし解せんな………。BC-H1系列なら暴走もまた有り得ない話ではないのだが………』
滝川博士は暫く言葉を切ってから続けた。
『シェネラとスイシーゼに組み込んだ“G(ゲー)”型調整因子の安定度はBC-H1系列の比ではない。よほどの衝撃、興奮状態でないとこの反応は出ないはずなのだが』
「過去の暴走の記録はありますか?」
『手元にはないので正確なことは言えないが、過去に一回だけ暴走した時と波形が酷似している。事例があまりにも少ないのが困るがな』
ハロルド博士は一頻り頷いてから言った。
「その時の状況はどうだったのですか? 暴走の要因は?」
『BC-A系列の試験体が暴れ出して、私と大場博士に襲いかかったことがあってな。スイシーゼは傷付いた私をBC-Aから救いだそうと力を暴走させてしまった。その時は研究施設が丸ごと使い物にならなくなったよ』
ハロルド博士はその言葉に息を呑んだ。
「………そんなに凄かったのですか?」
滝川博士が研究していたABL社の研究施設は外部から遮断するために、尋常でない強度を持っている。その施設が使えなくなるほどの力というのも考えづらい。
『私にも全く予想外だった』
滝川博士は電話の向こうで呼吸を整えて続けた。
『“G”型調整因子によってスイシーゼが得た“α波制御力”による特殊能力は指向性物理波動………αブラストだけだと考えていたのだが、物理障壁による空間隔絶なんて芸当を始めてみたよ』
「α領域………ですね」
『そうだ。だが、その時のαフィールドはあらゆる電磁波をも遮断していたからな。正確にはアブソリュートαフィールドと言うべきだ』
「今回の暴走は絶対α領域まで達していると考えますか? 達していればかなり危険な状況になっていた筈ですが?」
『スイシーゼが発した波動を受信しただけではなんとも。その状況を能動的に調査してみないことには確かなことは言えん』
 数瞬の沈黙が二人の男の間に流れた。そして小さく深呼吸してハロルド博士が口を開く。
「とにかく、事態は急を要します。恐らく米軍の方はスイシーゼの位置を特定できているでしょうから、我々は彼らの目をかいくぐってスイシーゼと、彼女の現在の保護者に接触しなければならないですね」
『現在の保護者?』
ハロルド博士の言葉に、滝川博士は怪訝な声で答えた。
「ええ、現在の保護者です。行方不明から既に1週間、記憶のないままのスイシーゼが単独で生き残れる日数ではありませんし、第三者に接触していることもほぼ事実です。それに、暴走の原因は米軍との接触でしょうが、スイシーゼが暴走してまで守るに足る保護者がいると考えるのが自然だと考えますが?」
『そうか。先の暴走と状況は酷似している筈だと言う訳か』
「そう考えます。希望的観測ではありますがね」
ハロルド博士は一呼吸置いてから続けた。
「今現在、御報告出来るのはここまでです。私のスタッフは厚木市下荻野周辺に展開していますから、次に米軍が何らかのアクションを起こせば捕捉出来る筈です」
『………すまない。頼むよ、ハロルド博士………』
「最善を尽くします」
ハロルド博士は最後にそれだけ言って電話を切った。

Scene-2. 1999年5月22日 土曜日 陽介宅

 陽介はカーテンを軽くめくって、窓から外を覗き見た。窓からはサンローザ厚木の別棟と、その敷地に面して隣接している他のアパートが見えるのみである。いつもならば、ではあるが。
 今は、棟と棟の間の駐車場に、それと分かって気を付けてみなければ見付けられないが、絶えず黒いスーツの男が立つようになっていた。昨日、スイシーゼの力によって正体不明の男達を撃退してから、陽介達は厳重な監視下に置かれてしまっていた。体のいい軟禁状態である。幸い、食糧の備蓄は木曜日の夕方にしたばかりで一週間ほどは保つであろうが、篭城するとなると兵糧の枯渇は免れ得ない。そうなれば、男達の監視の中を買い出しに出るか、水と塩で飢えるまで絶えるかの二者択一しかあるまい。
 陽介は素早く窓ガラスを明けると、雨戸になっているシャッターを降ろした。そして再び窓を閉めて部屋の中に向き直る。部屋の真ん中に座っているスイシーゼが不安げな眼差しを送っている。
「まだ………見られてるの………?」
そして震える声で言う。
「ああ」
陽介は短く答えて、その答えで俯いてしまったスイシーゼの肩を掴んだ。
「大丈夫だよ」
何が大丈夫なのか分からないが、陽介はスイシーゼにそっと囁いた。それでも、スイシーゼは不安げな表情を若干やわらげて、肩を掴んでいる陽介の手を握り返した。
「陽介ぇ………。シーゼ、恐いよ………」
スイシーゼは消え入りそうな声で呟く。陽介はいたたまれなくなって、力強くスイシーゼを抱きしめた。
「大丈夫だ。俺がついてる」
そう囁きかけると、スイシーゼは陽介の腰に手を回して、強く抱き付く。
「本当? ずっと一緒にいてくれる?」
スイシーゼは陽介の胸に顔を埋めて言った。陽介はそのスイシーゼの後頭部を優しく撫でながら答える。
「ああ。ずっと一緒にいるよ。シーゼを守る」
「約束だよ………」
スイシーゼはそれだけ呟いて、嗚咽を漏らした。

Scene-3. 厚木基地

 上級士官のオフィスルームに黒いスーツの男が入っていく。男は部屋の主に一礼すると、直ぐに本題を切り出した。
「現在、スイシーゼは保護者の衿岡陽介と二人で、彼の部屋に軟禁状態に置かれています。24時間体勢での監視は平常通り。ただし、スイシーゼ達には監視状態は知られている模様です」
「簡単に見付かるとはな」
部屋の主、ベネウィッツは舌打ちをして言った。もっとも、監視されている対象が自分たちは監視されていると気付いていて、自ら動きを止めるのが、いわゆる軟禁状態という物なのだが。
 「………見付からずに監視しようなんて、どだい無理なのさ………」
ベネウィッツの舌打ちに答えるようにして、部屋の隅、窓際の壁により掛かっていた人影が言った。赤いショートカット、薮睨みに近いようなつり上がった瞳の女。女は続ける。
「BC-H204は卓越したα波制御能力で第三者の感情を波動として捉えることが出来る。無論、監視している視線を感じとることもな。204がどこまで力を制御出来るかは分からないが、アレの後じゃ大分思い出してるんじゃないかね」
「204には記憶処理をしている」
ベネウィッツは女の方を見ないで言い放った。
「記憶処理とは言っても、消去した訳じゃない。一時的に封じただけだ。何かの拍子に外れることもある。上から疑似記憶でも植え付けてやればよかったのにな」
女は蔑むように笑うと、窓から視線を外に向けた。ベネウィッツはそれ以上女には口を開かずに、目の前の男に言った。
「監視は今まで通り。BC-Aが届くまでは204が何処に行こうと手は出すな」
「了解しました」
男は短く答えて。部屋を後にする。残されたベネウィッツは小さく溜息を付いた。

Scene-4. 1999年5月28日 金曜日 厚木基地

 厚木基地の滑走路に、中型の輸送機が舞い降りてきた。木の葉の舞うような美しい着陸を披露し、積み荷を何も降ろさずに格納庫へと直接向かう。格納庫の前で停止した輸送機は即座に給油を受け始めた。その間に胴体の格納庫から積み荷を降ろすためにハッチを開ける。
 積み荷は大人の3、4人が楽に入れそうなカプセルだった。物々しい封印が施され、巨大なバッテリーと何かの装置が備え付けられている。
 トレーラーに直接積載されたカプセルはそのまま輸送機から離されていく。今まで輸送機が走ってきた滑走路を再び戻り、途中の建造物の車庫へと入っていく。
 車庫の中でカプセルを待ちかまえていたのはベネウィッツだった。カプセルに取り付いて、共にトレーラーに運ばれてきた白衣の男が、荷台から飛び降りるとベネウィッツの前に走った。そして一礼すると言う。
「現時刻をもって、バイオニックウェポンBW-A401型の搬入を終了します」
「ご苦労」
ベネウィッツは一言だけ言って続けた。
「BW? BCではないのか?」
「はい」
白衣の男は姿勢を正して答えると、カプセルに取り付けられているポケットから一冊のファイルを取り出した。
「BW-A401型はBC-A系列の調整因子を強化、局地戦闘用に調整した物です。本格的な実戦配備には後一ヶ月は掛かりますが、その試作の実戦データの収集のために投入する運びとなりました」
「本部の方の計画は着々と進んでいる、と言う訳か………」
ベネウィッツは危惧の篭った声音で呟く。
「こいつは、今見られるか?」
「はい、こちらへどうぞ」
白衣の男はベネウィッツを案内し、カプセルのハッチを指し示した。そしてカプセルに備え付けられているコンソールを叩く。ハッチはアクチュエーターの小さな作動音と共に開いていく。ベネウィッツは思わず覗き込むようにしてハッチから中身を見た。
 カプセルの中には、猿を巨大化したような、腕の長い動物が眠っていた。体中を茶色の体毛で覆われている。獣人と呼ぶにふさわしい外見であった。
「現在は睡眠状態にあります。マスターとターゲットの外的特徴を刷り込んでやれば戦闘可能状態になります」
「BC-H204に関しては捕獲命令が出ている。殺してしまいかねんな」
ベネウィッツは渋い顔をして、BW-A401型を睨み付けた。
「それに関しては、本部では既に抹殺命令に切り替わっております。データ輸送には“別の脳”を使うことになりました」
「聞いていないな」
憮然として答える。そのベネウィッツに白衣の男は、研究者特有の横柄な態度を纏いつつファイルを手渡した。
「詳細は命令書と共にこのファイルの中にあります」
ベネウィッツは憮然とした表情を崩さずにファイルを受け取り、そのまま中身を見ずに小脇に挟んだ。
「こいつの実戦投入はどのくらい掛かる?」
「情報の刷り込み、覚醒作業も含めて、明日の朝までには。マスターはベネウィッツ大佐、ターゲットはBC-H204でよろしいですか?」
白衣の男はベネウィッツの問いに即答した。ベネウィッツは憮然とした表情で訂正する。
「マスターは私ではなく、現場のエージェントにする。私を最前線へ立たせるつもりか貴様は?」
そう言って白衣の男を睨み付けた。
「は、申し訳御座いません」
白衣の男は深く頭を垂れて言う。
「まあ、いい」
ベネウィッツは白衣の男から目をそらすと、短く言った。
「現場のエージェントを一人与える。実戦投入急げよ」
「了解いたしました」

Scene-5. 1999年5月29日 土曜日 陽介宅

 その日、陽介は選択を迫られていた。軟禁状態に入ってから既に一週間、食糧の備蓄が底をついたのだ。予想していなかったわけではないので節約を繰り返してはいたのだが、物には限度がある。
 体力の消費を防ぐために本能的に動きを止めている二人は、互いに寄り添うようにして座り込んでいた。しかし、何もしない何も出来ないというのは予想外に体力を使う。言い様のない焦燥が陽介の精神を蝕んでいるのも事実だが、守るべき者がいる事は彼の精神を破綻の縁に留まらせていた。
 スイシーゼは陽介の胸にもたれ掛かって、静かにしていた。そのスイシーゼの頭を、陽介は優しく撫でる。
「………なぁ、シーゼ。朝から何も喰ってないけど、平気か………?」
「うん………。でも、ちょっとお腹空いた………」
スイシーゼは細々と答える。陽介のYシャツを掴んで、震える体を押しつける。
「………シーゼ………もうやだ………まだ見られてる………」
スイシーゼは体力を奪うからと押さえていた嗚咽を漏らす。
 彼女はこの数日間で本能的に察していた。自分には人の視線を、他人の感情を感じとる力があるのではないか、と。
「まだ見られてるか………。一週間、あいつら何もしてこないな………」
陽介は呟くように言う。出来ることならこのまま何も起きないでいてほしい。
「このまま飢え死にかな………。流石にそれはゴメンだな」
陽介は胸の中で震えているスイシーゼに視線を落として、暫く黙っていた。が、ややあって、決心したように体を起こした。
「………陽介?」
スイシーゼが不思議そうに見上げる。陽介はそのスイシーゼを床に座らせると立ち上がった。そして言う。
「シーゼ、おとなしく待ってるんだ。食い物買い込んでくる」
「………え? でも………」
スイシーゼは不安げな眼差しを陽介に向けた。
「このまま飢え死にするわけにもいかないだろ? どっちにせよ、いつかは買い込まないとな」
陽介はそう言って笑いかけると、シーゼの肩を軽く叩いてから玄関に向かった。
「待ってよぉ!」
スイシーゼが慌てて駆け寄る。陽介はそのスイシーゼの頭を撫でて言った。
「あいつらが来たら迷わず逃げるんだ。俺はシーゼがどこにいても必ず見付けるから」
「そんなのやだよ!」
スイシーゼは小さく叫んで、陽介の体に抱き付いた。そして言う。
「一緒に行こう。二人でいた方がいいよ。シーゼ一人になるのやだよぉ」
スイシーゼは哀願する瞳を向ける。
 陽介にとっても選択は難しかった。結局、一人でいても、二人でいても見られていることには変わりは無いのだろうが。どちらが安全かなどということも、無論判断出来はしない。
 陽介はYシャツをきつく握って離そうとしないスイシーゼを見て、決断した。
「分かった。一緒に行こう」
「うん………」
スイシーゼは小さく頷いた。

Scene-6. 厚木市下荻野県道63号線

 陽介達はアパートを出ると足早に県道63号線へ出た。少しでも人通りが多い方が、相手も手を出しにくいと考えてのことだった。こういう事態になると───普通はなるものではないが───アパート群の一番奥の部屋というのも考え物だった。
 セブンイレブン、建材屋、銀行、弁当屋と、県道63号線沿いを伊勢原方面へとひたすら歩く。暫く歩くと、右手にローゼンという食料品店が見えた。陽介達はやはり足早に中に入っていく。
 その様子を隠れもせずに男達は見張っていた。監視されていると気付かれているのなら、わざわざ隠れる必要もない。男は内ポケットから通信機を出すと連絡を入れる。
「こちらナンバー034、現在スイシーゼは保護者と共に食料品店ローゼンに入りました。監視を続行します」
それは半ば慣習化された手続きのような物だった。いつもならば、それに簡単な返答が返ってくるだけである。
 だが、今回は違っていた。
『分かった』
通信に出たのはベネウィッツ本人だった。
『現在、バイオニックウェポンA401型を搬送中だ。ターゲットがアパート周辺に帰ったところで強襲しろ。命令は抹殺指令に変更されている』
「了解しました」
男は短く答えると、県道63号線の伊勢原方面を仰ぎ見た。深緑の車体のトラックが走ってくる。一瞬でそのトラックが積み荷を積んだ物だと分かった。トラックはローゼンの前では止まらずに、そのまま行きすぎていく。大学近くのうどん屋の駐車場に止める手筈が整っている。
 男は数瞬、トラックを見送ると、自らもローゼンへと入っていった。

Scene-7. ローゼン

 やはり、人混みの中に紛れていると安心できた。スイシーゼも、男達の監視の視線を感じなくなったのか、ローゼンに入った途端にいつもの、とまでは言えないが、少し元気が出たようだった。
「お買いもの、何だか久しぶりだねぇ」
スイシーゼは陽介の左腕にしがみつきながら言う。
「そうだな、でも今日はいつもとは違うぞ。なるべく日持ちする物を買い込むんだ」
陽介は自由になる右腕でカートを押していた。下段に押し込まれた篭は既に保存食で一杯になっている。
 スイシーゼは頻りに辺りを見回し、言った。
「やっぱり、ここに入ってから見られてないよ」
「流石にここじゃ問題起こせないだろうからな」
陽介もそう答えて辺りを伺う。やはり黒いスーツ姿は見えなかった。
「………諦めたのかなぁ?」
スイシーゼは小さな声で言う。そんな筈はないと分かっているのだが。
 陽介はそれには答えずに、篭にハムを放り込んだ。店内を一回りもすると、上下段の篭は双方共一杯になった。持って帰るのも大変な量である。陽介は左腕にしがみついて離れないスイシーゼに小さく笑い掛けると言った。
「帰りは荷物持ち、手伝ってくれよ」
「うん」
スイシーゼはニッコリと笑って頷いた。
 その笑顔を見た途端、陽介は何か胸が締め付けられるような思いに捕らわれた。なぜ、と思う。どうしてこの純粋過ぎる少女が狙われねばならないのか。どうしてこの屈託のない笑顔を見させていてくれないのか。
「どうしたの? 陽介ぇ?」
スイシーゼは突然黙り込んだ陽介に不思議そうな眼差しを送る。陽介は慌てて我に返ると言った。
「ああ、ごめん。ちょっと考え事してたんだ。じゃあ、レジに行こうか」
「え? うん」
スイシーゼは今一つ納得出来ないような表情で返す。その途端、スイシーゼの瞳が翳った。強く腕にしがみつく。
「どうしたんだ? シーゼ?」
スイシーゼは陽介の問いに、瞳を床に落としたまま答えた。
「また、見られてる………」
「………………」
陽介は何と言っていいのか分からずに、無言でカートを押した。レジに並んだ時、彼の視界の端は黒いスーツ姿の男を確かに捉えていた。

Scene-8. 厚木市下荻野

 陽介とスイシーゼは両手に買い込んだ食料を持ち、帰途を急いでいた。ローゼンからならば若干の近道もあるのだが、あえて人通りと車通りの多い県道63号線沿いを歩く。無論、人目に付きやすいところの方が襲われる心配も少ないだろうという判断である。
 左手にスリーエフが見えてきた。その裏手の学生寮の路地からサンローザ厚木のアパート群へと入っていくのだが、ここからが本当の緊張の場所だった。路地へ入ってしまえば殆ど人通りのない裏手なのである。
 陽介はスイシーゼを前に歩かせて、自分はスイシーゼの直後を歩いた。時折後ろを振り返る。男達の姿はない。陽介は訝しげな表情で辺りを見回す。やはり黒いスーツは視界に入らなかった。

Scene-9. 県道63号線沿い山田うどん駐車場

 深緑色のトラックの荷台に、一人の男がいた。常に陽介達を監視している男達と同じ出で立ちの男。
 男は荷台の殆ど全部を占拠している巨大なカプセルのコンソールパネルに指を走らせた。数秒間、プロテクト解除だろうか、長い数値列を打ち込むと、幾つかのトグルスイッチを弾く。そして“OPEN”と書かれた一際大きいスイッチを押す。
 その瞬間、カプセルのハッチを固定していた金具が小さな破裂音と共に外れていく。圧搾空気を放出するような音が荷台全体を振るわせる。ハッチは両側に割れて開き、その下から現れたもう一つのハッチが跳ね上がる。
 入っていたのは厚木基地から輸送されたBW-A401型だった。BW-A401は睡眠状態から覚めたのか、小さなうなり声を上げて半身を起こす。体毛に覆われた腕がカプセルの金属を強く掴む。
 A401は側に立っている男に気付いて仰ぎ見た。だが、A401はその顔を見た途端に、カプセルから出て男の前に座り込む。男の顔はマスターとして刷り込まれた物だったのだ。
「出来は上々のようだな」
男は小さく呟くと、A401の頭を撫でて荷台から出ていく。A401は従順そうに男の後に続いて荷台から降りる。男はその様を確認すると、ポケットから何かの箱を取り出した。金属製のその箱を開けると、中にビニールで包まれた布きれが入っている。
 男はビニールからその布きれを出すと、A401の鼻先に突き出す。A401はその臭いを暫くかぎ取っているが、ややあって視線を男に向けた。“臭い”はもう覚えたという合図であった。
「よく慣らされている」
男はほくそ笑むと、A401の背を軽く叩いた。
「Search!!」
そしてA401の耳元に叫ぶ。A401は“Search”と言う言葉に関連づけられた行動に入った。この場合、覚えた臭いと同じ臭いをしている物を探せと言うことである。
 A401は数瞬、鼻をひくつかせてから、おもむろに県道63号線を飛び越えてスリーエフの脇の裏道へ飛び込む。男は別段驚きもせずに、悠然と県道を渡りだした。

Scene-10. 厚木市下荻野

 その時、スイシーゼは突然体を硬直させて荷物を取り落とした。その急な変化に陽介は訝しげな顔を向ける。
「どうした?」
陽介がそう問うが、スイシーゼは答えずに背後を振り返った。その視線が路地ではなく、スリーエフを囲むように立っている学生寮の屋根の上に向けられる。陽介もスイシーゼの視線の先を追った。
 その瞬間、陽介の体は硬直した。屋根の上に得体の知れない人型の獣が立っていたのだ。
「………なんだ、ありゃ?」
陽介は呆然と呟く。スイシーゼは無言でそれを見つめていた。
 獣人が真っ直ぐに自分を見ている。途端、獣人は大きく吠えた。声はアパートに反響する。
「Attack!!」
どこからともなく、叫ばれる。獣人はその声を聞いた途端に再び吠えた。その体の回りに青白い光の粒が舞い上がる。
───シーゼと同じ!?
陽介は一週間前にスイシーゼが見せた輝きと、今目の前で獣人が見せている輝きの奇妙な共通点に驚く。
 だが、それを観察している暇はなかった。獣人は屋根から飛び上がると二人めがけて飛び降りてきたのである。
「………!?」
陽介の体は余りの事態に対処できなかった。だが、スイシーゼは素早く動いていた。荷物を持ったまま棒立ちになっている陽介を突き飛ばし、スイシーゼは大きく後ろへ飛んだ。その瞬間、獣人の脚がアスファルトに叩き付けられる。
 スイシーゼは“一蹴りで5メートル”ほど後退すると、着地のショックを和らげるために屈んでいる獣人に視線を向けた。勝手に動く自分の体に妙な違和感を覚えながら。

Scene-11. 厚木市妻田

 国道412号線の妻田にあるセブンイレブンで休憩していたハロルド博士の内ポケットで、何かの電子音がけたたましくなった。
「来たか!?」
ハロルド博士はセブンイレブン前の道路に路駐している車に掛け戻って、内ポケットからセンサーを取り出す。センサーの指針が暴れていた。
「………なに!?」
だが、その指針の振れは彼の求めている物とは明らかに違っていた。無制限に解放されている、理性も何もない反応。
「これは、スイシーゼの物ではない!? 一体何が反応している!?」
ハロルド博士は数瞬考えたが結論は出ず、反応の方向だけを確かめる。反応は真後ろから来ていた。ハロルド博士は車を急発進、急転回させると、猛然と走り出した。

Scene-12. 厚木市下荻野

 獣人はスイシーゼに正対するとうなり声を上げる。歪ませた唇の端から唾液が流れ出ていた。スイシーゼも獣人を睨み付ける。
 暫く、一人と一体は睨み合い、そして獣人が仕掛けた。一直線にスイシーゼへと飛び掛かる。獣人はそのままの勢いで右腕を突き出す。スイシーゼは無我夢中で横に飛び、寸前でかわした。空を切った右腕はアスファルトに叩き付けられる。
「シーゼ!!」
叫んだ陽介はスイシーゼに駆け寄ろうとするが、その腕を何物かが掴んだ。慌てて振り返る。腕を掴んだのは黒いスーツの男だった。
「ここで見ていろ。BC-H204が抹殺されるシーンをな」
男は嫌らしい笑みを浮かべながら言う。
「畜生っ!!」
陽介は叫んで殴り掛かる。だが男は軽くかわして背後から陽介の首に腕を回した。そのまま恐ろしい筋力で締め上げる。
「たかが実験体一つに執着する必要もあるまい」
その言葉に陽介は憤怒の形相を浮かべるが、男の筋力には歯が立たなかった。

 再びスイシーゼは獣人と距離を取る。今度は10メートル近い。いくら獣人でも簡単に詰められる距離ではない。獣人は一瞬だけ攻めあぐねてから、無造作に右手を突き出した。
 獣人とスイシーゼの間の空気が歪んだ。その途端、爆発音のような低い音が響き、スイシーゼの体が何かに突き飛ばされた。
「ぅあっ!?」
スイシーゼは短く悲鳴を上げ、成す術もないままアスファルトに転がった。そのスイシーゼに獣人が追い打ちを掛ける。獣人は倒れたスイシーゼめがけて左腕を振り下ろした。だが、スイシーゼもそれを感じ取っていたか、アスファルトの上を転がって寸前で避けた。

 男はその様子を見てほくそ笑んだ。そして言う。
「音の割に威力は無いな。小娘一人潰せないとは。調整の必要があるか」
陽介は無言で腕を振り払おうともがく。だが、力ではどうにもならない。陽介は右の肘打ちを男の腹に見舞った。
「………痛っ!?」
だが、激痛が襲ったのは陽介の肘の方だった。男は唇の端を歪ませて言う。
「耐弾、耐衝撃性は抜群なのだよ、このスーツはね」
そう言って、空いている右腕で陽介の右の頬を殴り付ける。
「………畜生………!」
陽介は半ば飛び掛けた意識を繋ぎ止めて毒づいた。

 スイシーゼは慌てて立ち上がった。だが、その体に獣人の強烈な蹴りが入る。吹き飛ばされた体が駐車している車のドアに勢い良く叩き付けられる。途端、むせ返った。
 だが獣人は休む暇も与えずに再び右腕を突き出す。スイシーゼは寸前でかわすが、バランスを崩してアスファルトに転んでしまう。かわされた獣人の拳はドアを打ち抜いて止まった。
 獣人は再び攻撃に移ろうとドアから腕を引き抜こうとする。だが、深くめり込んだ腕はなかなか抜けない。スイシーゼはその隙に這いずるようにして獣人から離れる。

 それを見た陽介は男の腕に思いっ切り噛み付いた。
「Oh!?」
男は激痛に慌てて、思わず陽介を突き飛ばしてしまった。

 「しっかりしろシーゼ! 走れるか!?」
陽介は未だアスファルトを這っているスイシーゼの処まで駆け寄ると助け起こした。スイシーゼは陽介の腕にすがって立ち上がる。
「逃げるぞ!」
「う、うん」
スイシーゼは陽介の言葉に短く頷いて、陽介に手を引かれて走り出す。

 そこに至って、獣人はようやく腕をドアから引き抜いた。そして逃げ出した陽介達に視線を巡らせる。陽介達はスリーエフとは反対方向、県道63号線へ出るもう一つの道を走っていた。
「A401!! Attack!!」
男が叫ぶ。獣人はその命令を受けて、再び無造作に右腕を突き出した。爆音が響いた。
「うわっ!?」「きゃんっ!?」
その瞬間、陽介達は背後から来る衝撃に吹き飛ばされていた。共にアスファルトに転がる。
 途端、獣人は大きく咆哮を上げた。そしてすさまじい速度で二人に迫る。陽介は背筋に冷たい物を感じて痛む体に鞭打って振り返った。その視線が獣人の突進を捉える。
 陽介は無意識に未だに倒れているスイシーゼを抱きしめた。きつく目を閉じる。来るであろう骨を砕く衝撃を覚悟して歯を食いしばった。

 だが、一向に衝撃は来なかった。陽介は恐る恐る目を開けて、再び背後を見る。
 そこでは予想だにしなかった光景が展開されていた。猛然と突進していた獣人が、突然フラフラとした足どりで立ち止まってしまったのである。
「Attack!!」
遠くから男の声が聞こえる。だが、獣人はそれに答えることも出来ずに、その場に膝を折ってしまった。その肩が激しく上下し、荒い息を繰り返す。
「………どうしたんだ?」
陽介は逃げる事も忘れて苦しみだした獣人を見つめた。スイシーゼもゆっくりと振り返って獣人を見る。
 獣人はなおも荒い息を繰り返していた。スイシーゼは暫くその様子を見ていたが、やがて意を決したように右腕を獣人に向ける。
「シーゼ?」
「………やってみる」
怪訝な表情をした陽介に短く答えて、右手に精神を集中した。
 一週間前に暴走した時のことは殆ど覚えていない。だが、感覚的に、あの時放出した力の出し方が解り掛けていた。それを試してみる。
 スイシーゼは獣人と右手に集中する。右手が熱くなった。いや、熱くなったのは右手の少し前方、掌の中。更に集中する。大きく息を吸った。その瞬間、獣人がまるで鼻先にいるような錯覚に捕らわれる。
 スイシーゼは吸っていた息を大きく吐き出して叫んだ。
「消えちゃえぇーーーっ!!」
爆発的な力が突然沸き起こった。一瞬だった。スイシーゼの右手から放たれた光は獣人を焼き付くし、アスファルトを焦がす。
 スイシーゼは肩で息をして、恐る恐る陽介に視線を巡らせる。陽介は驚愕の表情で、獣人の消えた先を見つめていた。
「Shit!」
男は形勢不利を悟ったのか、舌打ちして足早にその場を離れていた。

Scene-13. ローソン駐車場

 ハロルド博士は車をローソンの駐車場に突っ込ませて、慌てて車を降りた。センサーの指針を見る。
「この辺りの筈だが………」
暫く振動を止めていた針が、再び動いた。その瞬間に爆音が轟く。
「なにっ!? αブラストかっ!?」
ハロルド博士は叫んで、周囲を見回す。音は反響しているらしく、今一つ位置が特定出来ない。
 恐らく対岸の神奈川工業大学ではなく、こちら側の住宅街だろうと予想を付けて、住宅街の方を振り仰ぐ。ローソンの駐車場から直接に裏手の住宅街へと抜けることが出来るようだった。ハロルド博士は住宅街へと走り出した。
「消えちゃえぇーーーっ!!」
その途端、女の子の叫び声と同時に爆発的な光が辺りを照らした。ハロルド博士は確信した。やっと見付けた、と。
 ハロルド博士は駐車場と路地の間の段差を飛び越えて、光のした方へ走った。

Scene-14. 厚木市下荻野

 陽介は獣人の消えたアスファルトを暫く見つめ、スイシーゼに視線を巡らせた。正面から見つめられたスイシーゼは緊張してアスファルトの上を後ずさった。
「………陽介………。シーゼは………その………」
スイシーゼは無言で何も言わない陽介に、震える声で言った。

 「スイシーゼ!!」
突然、全く別の方向から聞き覚えのない声が響いた。陽介はその声に我を取り戻して、スイシーゼを背後に庇うと声のした方向に向き直った。
 そこに立っていたのは、30歳くらい、くすんだ色の金髪の男だった。男は笑みをたたえて小走りに二人に近付いてくる。
「止まれ!!」
陽介は男を制止させるように右手を突き出して叫んだ。男は素直に停止する。
 スイシーゼはいつでも反撃できるように、覚えたての力を右手に集中させた。右手が青白い光の粒に包まれる。
 その途端、男の内ポケットからけたたましい電子音が響いた。男は無言でポケットから何かを取り出すと、スイッチを一つ押した。音が鳴り止む。男はそれをポケットにしまい込むと、スイシーゼの方を見て微笑んだ。
「力は余り多用しない方がいい。スイシーゼ」
その言葉に、スイシーゼは瞳を見開いていた。右手の輝きが消え失せる。
「あんた誰だ!?」
だが、陽介はそのスイシーゼの様子に気付かずに叫んだ。スイシーゼはその陽介の腕にしがみついて言った。
「陽介ぇ、この人、大丈夫だよぉ」
「何だって?」
陽介は訝しげな顔でスイシーゼを見る。
「どういうことだよシーゼ?」
問われたスイシーゼは、暫く考えてから答えた。あまりにも漠然とした答えを。
「この人、何だか陽介と似てる感じがするよ」
陽介は視線を目の前の男に移した。未だ彼は疑惑の眼差しを解いてはいない。
 男はその陽介の視線を真正面から見据えていった。
「私はハロルド・アンダーソンと言う者だ。その娘、スイシーゼの父親に頼まれて探し回っていた」
「お父さん!?」
その言葉にスイシーゼが反応する。そして不安げな眼差しを陽介に向けた。陽介は無言で男を睨み付ける。
「簡単に信用出来ないのは解る。だが、君達の味方であることは確かだ」
男は言って、敵意が無いことを示すかのように両手を広げる。そして続けた。
「君達を保護したいんだ」
陽介は暫く男を睨み付けていた。そして視線を腕にしがみついているスイシーゼに向ける。スイシーゼの視線は妙に安心しているように思えた。

 陽介は唐突に表情を和らげて、スイシーゼの頭を撫でる。その意味を悟ったのか、スイシーゼは微笑みを浮かべて陽介の肩に頭を預ける。陽介は男に向き直って言った。
「シーゼが大丈夫って言うんなら大丈夫なんだろ。俺はシーゼを信じてる」
男は陽介のその問いに微笑んだ。スイシーゼは久しぶりに安心したのか、いつもの笑顔で陽介に笑い掛けていた。