第6話 再会 Father

Scene-1. 1999年5月30日日曜日国道51号線

 陽介達を乗せた車は国道51号線をさらに相模原方面へ向けて北上、人通りの激しい市街地へと入っていた。厚木から相模大野駅や町田駅へ抜けることが出来る国道51号線は、陽介も何度かバイクで走った事のある道だった。
 ハロルド博士は暫く無言でハンドルを握っていた。後部座席に座っている陽介とスイシーゼも無言で周囲の風景に視線を漂わせている。このまま何も起こらなければいい、と陽介が漠然と感じた時、スイシーゼは突然強く陽介の腕にしがみついた。
「シーゼ? どうしたの?」
陽介は腕にしがみついて小刻みに震えているスイシーゼの肩を掴んで言う。ハロルド博士もルームミラー越しにスイシーゼの様子を見た。
「………近付いてくる………!」
スイシーゼは震える声で言う。
「近付いてくる? 何がだい?」
陽介は怪訝な表情を返して言った。スイシーゼは震えながら、しかし言葉を紡ぎ出す。
「………分かんない………。暖かいのに、凄く冷たいの………。何かがシーゼに割り込んでくる!」
「なんだ?」
陽介は不安げに周囲を見渡す。それと言って不審な物はないが………

 後方から爆音が近付いて来た。聞き慣れている陽介には、それがバイクの音であることは直ぐに分かった。ヘルメットを被っていない、赤毛のショートカットの女、いや少女と言うべき年格好か。
 バイクはすさまじい勢いで車を追い抜く。
「なにっ!?」
その瞬間、ハロルド博士は力一杯ブレーキを踏み込んでいた。車がタイヤをスリップさせながら止まる。バイクが突然車の前に回り込んで急停車したのだ。
「何のつもりだよ!」
毒づく陽介の視線の先で、少女は挑戦的な瞳をこちらに向けていた。一瞬、その視線と陽介の視線が交錯する。
───えっ!?シーゼ!?
その瞬間、陽介は自分の目を疑った。髪の毛は確かに短いし、瞳はやや吊り目だが、発している雰囲気がスイシーゼのそれと酷似していた。
 スイシーゼは呆然とした瞳で突然現れた少女を見つめている。肩が大きく震えていた。
 少女はゆっくりと、右手を車に向けて伸ばした。陽介がいぶかしんだ、その瞬間、何か巨大な力が車を弾き飛ばす。車中の三人は成す術もないまま翻弄される。10メートル近く飛ばされた車から、陽介達は這いずるようにして脱出した。やはり、少女は挑戦的な瞳でそれを見つめている。

 数瞬の沈黙。最初に口を開いたのは少女だった。
「久しぶりだね、BC-H204」
そう言って、スイシーゼの瞳を射抜くように睨み付ける。スイシーゼはビクッと肩を振るわせると、陽介の背後に隠れるように身を退いた。
「何者だ!?」
陽介はスイシーゼを庇いながら叫ぶ。だが、それに答えたのはハロルド博士だった。
「君は、シェネラか!?」
その言葉に、少女の視線がハロルド博士に向けられる。
「私を、知っているのか? 貴様」
低い声で呟く様に言う。
「そうか! やはりシェネラか! 滝川博士が君を心配していたぞ!」
そう言って微笑みを浮かべたハロルド博士にしかし、少女は表情も変えずに言った。
「滝川の居場所も知っているのか?」
「………?」
ハロルド博士はその言葉に表情を変えた。様子がおかしい。
「今は、まあいい。挨拶をしに来ただけだ」
少女は言うと、バイクに跨っている姿勢から突然ジャンプした。何も反応出来ないでいる陽介とスイシーゼに頭上から飛び掛かる。
「んなっ!?」
突き飛ばされた陽介とスイシーゼの間に、少女は舞い降りる。そして地面に尻餅を付いているスイシーゼに向き直った。
「204………貴様は何も覚えてはいないんだろうが………」
そう言って、足下のスイシーゼを思いきり蹴り付けた。
「きゃうっ!?」
スイシーゼは悲鳴を上げて地面を転がる。
「やめるんだシェネラ!!」
ハロルド博士が叫んだ。だが、少女は憤怒の形相を浮かべてハロルド博士に向き直ると、右手を素早く振った。その瞬間、ハロルド博士の体が弾き飛ばされる。
「その名で私を呼ぶな!!」
少女は力の限り叫んだ。
「シェネラ………?」
陽介はその様を見つめて呆然と呟いた。その呟きに、むせ返りながらハロルド博士は答える。
「………ああ。シェネラ………スイシーゼの前に生み出されたバイオニックチャイルド、スイシーゼの姉だ………!」
その言葉に呆然とする陽介を、シェネラは小さく鼻を鳴らして一瞥した。
「姉か………。よく言うよ。私は204を完成させるための、204を解放するための棄て駒だというのにな!!」
叫んだ刹那、シェネラの回りを光の粒が舞い上がった。
「逃げろシーゼ!!」
陽介が叫ぶ。だが、スイシーゼは地面にへたり込んだまま身動き出来ずにいた。
 シェネラはゆっくりとスイシーゼに向き直る。その視線がスイシーゼを射抜いた。
「………204、貴様もバイオニックチャイルドなら、戦え!!」
瞬間、スイシーゼの体が弾き飛ばされた。成す術もなく遥か彼方後方の地面に叩き付けられる。スイシーゼは何とか半身だけを起こすと、シェネラを見つめた。
「αフィールドもまともに張れないとはな………。完成体が聞いて呆れる」
シェネラは憤慨したように、そして何か絶望するように呟く。そして再び右腕を振りきって叫んだ。
「立てよ204!! 立って殺せ!! それが殺人人形(マーダードール)としての我々の存在意義なんだからな!!」
叫んだ直後、車が不自然に折れ曲がり、爆発する。ガソリンが爆発する熱気が周囲を照りつけた。今まで野次馬根性で周囲を囲んでいた通行人達が悲鳴を上げて逃げていく。シェネラはその爆発を背後に、スイシーゼを再び睨み付けた。
 その視線の先で、スイシーゼはのろのろと立ち上がる。
「………出来ないよ………」
呟く。その呟きは爆発音と悲鳴にかき消されつつ、辛うじて陽介に届いた。
「出来ないだと?」
険悪な表情を浮かべたシェネラが言う。その視線に負けじとスイシーゼは叫んだ。
「出来るわけないよ!! お姉ちゃんかも知れないのに!!」
その瞬間、シェネラは弾かれたように走り出した。叫び終えたスイシーゼの首に右手をかけて、あろう事か軽々と持ち上げる。スイシーゼは手を振りほどこうともがくが、強烈なまでの力で締め付ける手は微動だにしない。
「まだ現実という物が分かっていない様だな204。我々は戦う為だけに生み出された人形なんだよ!!」
シェネラは憎々しげに叫ぶ。だが、スイシーゼは苦しげな表情のまま言った。
「………シーゼは………もう誰も殺さない………人形じゃないもん………!」
その言葉に、シェネラの眉がつり上がった。
「“シーゼ”? コードネームでも、便宜上付けられた名前でもない。ニックネームと言う奴か」
シェネラは言って、右手に力を込めた。
「人形には不相応な物だな!!」
「………シーゼは………人形じゃない………もん………」
それでもスイシーゼは抵抗を止めなかった。きつく閉じられた瞼の奥から涙が溢れる。
「いい加減にしろぉ!!」
突然、シェネラの背後から陽介が殴り掛かった。シェネラは全てを察知していた様に体を捻っただけでかわすと、軽く放った後ろ回し蹴りで陽介の体を弾き飛ばす。
 シェネラはスイシーゼの首から手を離すと、地面に倒れ込んだ陽介の向き直った。スイシーゼは糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
「貴様か………」
シェネラは憎悪を込めて陽介を睨み付けた。
「貴様が204を誑かし、本来の存在意義を見失わせたわけだな。目障りだ」
シェネラは言うと、右手の平を陽介に向けた。圧縮した空気が弾けたような爆音が轟く。
 だが、弾き飛ばされたのは陽介ではなくシェネラだった。空中で体勢を立て直して器用に着地すると、自分を弾き飛ばした張本人を睨み付ける。そして言った。
「………なんだ、やれば出来るじゃないか………。集束率も低いし、集中時間も長いが、威嚇としては及第点か」
そう言ったシェネラの視線の先には、地面に崩れ落ちたまま右手を差し向けているスイシーゼの姿があった。
「………陽介だけは、やらせない………」
シェネラの視線を真正面から睨み付けてスイシーゼは言う。
 シェネラは暫しその視線を受けとめて、おもむろに背を向けた。
「………?」
怪訝な表情を返す陽介達を後目に、シェネラは自分のバイクに跨る。そして残された三人に再び向き直ると言った。
「今日は挨拶だけだ。204、次に会う時までにせめてαフィールド程度は張れるようになっておけ。でなければ、殺し甲斐がない」
シェネラはそれだけ言うと、バイクのスロットルを一気に捻った。そのままタイヤを軋ませて去っていく。
 その姿が見えなくなった瞬間、スイシーゼは大声で泣き崩れていた。

 陽介は痛む体に鞭打って立ち上がった。未だ泣き崩れているスイシーゼの元へと歩く。今まで呆然と見つめることしか出来なかったハロルド博士もスイシーゼの元へと近付いた。
 とにかく、早急にこの場を離れなければならなかった。幸い、部外者に怪我人は出ていない。ならば警察だの消防だのが来る前に逃げるに限る。拘束されてしまったら説明のしようがないのだ。
 陽介は泣き崩れているスイシーゼの肩を抱き起こした。スイシーゼはその陽介の胸に飛び込んで泣き続けるが、陽介はやはり、このまま泣き止むまで待ってやれる余裕がないことを分かっていた。
「相模病院までどのくらいあるんです?」
スイシーゼを抱き起こした陽介はハロルド博士に言う。
「あと3キロ程度だと思うが。まずはこの場を離れなければな」
「ええ」
陽介が答えた刹那、相模原方面から車が猛スピードで走り込んできた。三人の目の前、さして広くもない道でドリフトを掛けて元来た方向へと向き直ると停止する。そして陽介達が何か言うより早く、運転席を勢い良く開けた男が叫んだ。
「ハロルド博士! 迎えに来ました! 早く!!」
背広の上に白衣を着ている男は早口に言う。
「君か!!」
ハロルド博士は言うと、陽介の肩を掴んだ。
「さあ陽介君、車に乗るんだ。彼は我々のスタッフだよ」
陽介は促されるまま、後部座席のドアを開けて、先にスイシーゼを乗り込ませる。そしてドアを閉じると自分は反対側のドアからスイシーゼの隣に乗り込んだ。ハロルド博士も素早く助手席に乗り込む。
「飛ばしますから、しっかり掴まってて下さいよ!」
白衣の男は言うと、乱暴に車を発進させた。

Scene-2. 国立相模病院

 陽介達が到着したのは、国道51号線から少し外れ、米軍住宅の近くに位置している病院だった。白衣の男は車を職員専用の駐車場に入れ、三人を案内する。ハロルド博士はその白衣の男に言った。
「助かったよ、下条(しもじょう)君。よく我々のことが分かったな」
下条と呼ばれた白衣の男は軽く振り返って答えた。
「滝川博士が教えてくれたんですよ。α波の強い反応が出ているってね」
「滝川博士はセンサーを持っていたのか?」
「ええ。我々の物の元になった奴です」
「そうか」
ハロルド博士は安堵したように言うと、前を歩く下条に言った。
「下条君、紹介しておこう。彼が衿岡陽介君。今までスイシーゼを守ってくれた青年だ。今現在スイシーゼが最も心を許している青年でもある」
突然紹介された陽介は一瞬戸惑ってから頭を下げた。
「衿岡陽介です。よろしく」
白衣の男、下条は歩を止めて振り返ると答えた。
「僕は下条雅貴(しもじょうまさき)。まぁ、分かると思うけど新科研のスタッフだね。で、本職は見ての通り国立相模病院の医師。色々オールマイティにこなそうと思っているけど、中心は脳神経外科かな」
下条は笑顔で答えると、再び歩き出した。陽介達もその付いていく。
 下条は職員用の出入口から病院内に入り、迷うことなくエレベーターに乗る。そして3階、医師達のオフィスが集まる階に降りた。医師一人一人に個室が与えられているらしく、さながら大学の研究室の並びのように扉には各個人の名前が書かれている。
「滝川博士をずっと研究室に匿っていたのか?」
後ろを歩くハロルド博士が怪訝な表情で言った。
「まさか。研究室じゃ人の出入りが多すぎますって。滝川博士には、今は使われていないボイラーの管理室に隠れてもらっていたんです。ボイラー技師が実際に寝泊まりしていた処だから不便はない筈ですよ」
下条はそうハロルド博士に言うと、扉を開けた。医者の研究室らしく、白一色で包まれた部屋だった。
「滝川博士、お嬢さんをお連れしましたよ」
下条は研究室の中に居るであろう人物に向けて声を掛ける。ガタッと椅子が倒れる音が響いた。脚を縺れさせながら慌てて走ってくる足音が、入口近くの衝立の向こうから聞こえる。足音と共に部屋の奥から現れた男は、目の前の下条にも、ハロルド博士にも、ましてや陽介にも目をくれず、陽介の後ろで不安げな表情を隠しきれていなかったスイシーゼを抱きしめていた。

Scene-3. 厚木基地

 「国立………病院だと………?」
ベネウィッツはシェネラの言葉に眉をしかめた。そして背筋を襲った寒気に身を震わせる。
「国が………日本政府がタキガワの逃走を手助けしていると言うのか………?」
そう呆然と呟く。
「CIAでも“JCIA”の全容は掴みきっていないが、奴等、まさか我々のこともかぎつけているのか………?」
「それはないだろうね」
ベネウィッツの力無い呟きにしかし、シェネラは短く答えた。やはり壁に背を向けて部屋の隅に立っている。
「相手の組織力はあくまで個人の域を出ていない。奴等の中にたまたま国立病院のスタッフが居たと言う方が正確だろう。JCIAがこっちのことを掴んでいるかどうかは知らないがね。まあ、どちらにせよ、国有地に隠れられているんじゃおいそれとは派兵できないわけだ」
シェネラは、ベネウィッツが苦悩するのをさも面白そうに眺めつつ言った。更に続ける。
「エージェントを派遣したところで、よしんば潜伏場所が分かったとしても204に返り討ちに合うのがオチ。脳味噌の足りないバイオニックウェポンじゃ話にもならないね」
「貴様! また民間人の目前で動くつもりか!?」
ベネウィッツは苛立たしげに机を叩くと怒鳴った。
 国道51号線上での接触、それにともなう混乱は米軍側への追求はなかった物の、二度三度とあれば警察機構も黙ってはおるまい。なにより、先の神奈川工業大学校門前での接触では、目撃証言も出ている。それが米軍であるという確証は得られていないようだが。
「別に………」
シェネラは鼻を鳴らして答えにならない答えを返す。
「とにかく! タキガワと204の居場所が分かれば後は我々で処理する!! 貴様は離れて居ろ!!」
ベネウィッツはオフィス全体を揺るがすような大声で叫ぶ。シェネラはそのベネウィッツには答えずに、軽く一瞥をくれて部屋から出ていった。
 ベネウィッツはシェネラの姿が消えたのを確認して静かにため息を付く。その途端、机に備え付けられた通信機が呼び出し音を発することもなく突如として何処かへと繋がった。
『追いつめられているようだな、ベネウィッツ』
通信機から聞こえてきた男の声に、ベネウィッツは再び背筋が凍るのを感じた。部屋にだれもいないというのに、立ち上がり、背をただす。
「申し訳ありません!! 未だBC-H204、およびタキガワの抹殺は完了しておりません!!」
『貴様にBW-A系列の最新型、501から510の10体を与える。タキガワとBC-H204を早急に処理しろ。半月だけ猶予を与える』
「はっ!!」
ベネウィッツは通信機に向かって最敬礼をする。軍靴の踵が打ち合わせられた音がオフィスに響いた。
『あまり私を、失望させぬ様にな』
その一言で、通信は繋いできた時と同様の唐突さで切られてしまった。一人残されたベネウィッツは深い溜息と共に椅子に深く腰掛けた。

Scene-4. 国立相模病院・下条研究室

 男は、時間が止まったかの様にスイシーゼの体を抱きしめていた。不思議と、いつもは知らない人間の出現に怯えていたスイシーゼも、黙って抱きしめられていた。
 あれこれ、1分は抱きしめていただろうか。男はやっとの事でスイシーゼから離れる。スイシーゼは焦点の定まらない瞳を宙に漂わせたまま立ち尽くしていた。そのスイシーゼの肩を陽介が叩く。我を取り戻して陽介の視線を見上げたスイシーゼは、やはり無言で彼の腕にしがみついていた。
 男は暫くスイシーゼを見つめていたが、ややあってその視線を陽介に向けた。そして言う。
「君が、衿岡陽介君、だね?」
「はい」
陽介は静かに答える。その途端、男は陽介の左手を両手で強く握りしめた。
「話はハロルド博士から聞いている! ありがとう陽介君!!」
その言葉に、陽介はやっと事態が納得出来た。この男こそ、スイシーゼの生みの親なのだ。
「貴方が滝川博士、なんですね?」
「ああ! 私が滝川俊だよ! ありがとう陽介君!!」
陽介は頻りに礼をする滝川博士に面食らってしまっていた。それを見かねた下条は後ろ手に扉を閉めると言った。
「立ち話もなんですから、奥でお茶でも飲みながら話しましょう」

 陽介達はガラスのテーブルを囲むように座った。下条は既に作ってあったらしいコーヒーをコーヒーメーカーから注ぐ。スイシーゼの目の前にだけは用意周到というか、キャロットジュースが置かれているようだった。
 スイシーゼは陽介の隣に座ると、テーブルに置かれたキャロットジュースを一気に飲み干してしまう。その様に陽介は怪訝な表情で言った。
「どうしたシーゼ? 喉乾いてたのか?」
「ううん」
スイシーゼは小さく首を振って答えると言った。
「あのね、シーゼ、ずっと緊張してたの。でもね、陽介とはちょっと違うけど、この人、陽介みたいに凄く暖かいんだよ。だからシーゼ、安心しちゃった!」
スイシーゼが人前ではしゃぐのは初めてだった。陽介は安堵の表情でスイシーゼの頭を撫でる。スイシーゼは頭を撫でられることが気持ちいいのか、陽介の体に抱き付いた。
「スイシーゼの陽介君への甘え様は凄いでしょう」
ハロルド博士はその様子に微笑みながら言った。
「人見知りはするが元々この子は甘えん坊だからな」
滝川博士は言って笑うと、再び陽介に頭を下げる。
「陽介君。本当にありがとう。君が居なかったらいくらハロルド博士達の協力を得られたとしてもこうしてスイシーゼと再び会えることはなかったろう。本当に感謝している」
陽介はその言葉を真摯に受けとめてから、ゆっくりと口を開いた。
「滝川博士。俺はシーゼと、ずっと一緒にいて守ると約束しました」
その言葉に、スイシーゼは笑顔を陽介に向ける。陽介はそのスイシーゼの頭を再び撫でながら続けた。
「でも俺、シーゼのことは何にも知らないのと同じなんです」
滝川博士は陽介の言おうとしていることに大体の察しが付いたようだった。だが、何も言わずに真剣な表情の陽介の視線を見つめる。陽介は滝川博士の目を真正面から見て言った。
「教えて下さい。シーゼのこと、全てを」
「分かった」
滝川博士の答えが返るには、さしたる時間は掛からなかった。

 「何から話そうか………」
滝川博士は暫し迷って、視線を宙に泳がせた。その滝川博士にハロルド博士が言う。
「彼には、陽介君には全てを語るべきです。ですから事の発端から、貴方がなぜスイシーゼを生み出したのかから話すべきでしょう」
「そうだな」
滝川博士は陽介の視線を真正面から見て小さく深呼吸してから語りだした。

 「1970年代、日本は高度成長時代を迎えて、工業、経済と目覚ましい発展を遂げた。だが、その影で様々な問題が起こってきた。最も顕著なのが“公害”だな。水俣病や四日市ぜんそくを知っていると思う」
陽介は静かに頷いた。
「現在では二酸化炭素の増大による温室化現象やオゾンホールの拡大による紫外線問題など、地球規模での環境破壊が懸念されている。はっきり言って30年後、人間がまともな状態で生き残っているかどうかは分からない」
滝川博士はそこで言葉を一度切った。小さく深呼吸してから続ける。
「私は、そんな劣悪な環境の中で人間の生き残る術を探していた。当初、環境保護を推進し、地球環境の悪化を防ぐのが最も重要だと考えた。だが、遅かった。遅すぎたのだ!」
声を荒げた滝川博士は、自分を落ち着かせようと大きく深呼吸する。
「自然破壊は今から保護したところで何とか成る程甘い物ではなかった。人間は神の存在を信じたくなるほどに美しい、芸術品の如き地球環境を、既に回復不可能の域まで破壊してしまっていた。自然環境の保護だけでは人間を生き残らせることは出来ないのだ」
滝川博士は再び言葉を切って、陽介の瞳を正面から見つめた。その視線が、ここからが本題なのだと陽介に告げている。
「そして私は考えた。自然環境の破壊、公害、それさえも人類の進化の過程に組み込むことは出来ない物か、とな」
「………なっ!?」
陽介は耳を疑った。滝川博士の中にあるバイオニックチャイルドの存在が朧気に理解出来たような気がした。しかしそれは、神への冒涜に他ならない。
「私は確信した。人間が新たなる進化の過程へ進む他はない。私がそれを実現出来るとは思っていないし、そこまで自惚れてはいないつもりだ。だが、私は見てみたかった。人類の進化の可能性、新たなる種への可能性を」
滝川博士はコーヒーに口を付けて喉の渇きを癒すと続けた。
「私は当時、ある大学の教授をしていた関係で、研究室を持っていた。そこで私は、極端な環境下でも生存できる生物の研究を始めた。それがバイオニックチャイルド研究の始まりだった。そしてそこで行った研究は人間の次なる進化を信じさせるに充分な結果が得られた。だが、所詮は世間に認められない研究。大学側も将来性のない、研究生もロクに付かない研究室に金は出せないと言ってきた。そんな時に、奴等は来たのだ」
「奴等?」
陽介は怪訝な表情で言った。
「ああ。当人達はABL、アメリカ・バイオニック・ラボラトリー社と名乗っていた。私の研究のスポンサーとなり、専用の研究室を与えてくれると言う話だ。私は簡単な見学をした後にアメリカへ飛び立った。今となってはそれが全ての間違いだった。私が連れて行かれた場所こそ“ダルシィ基地”だったのだ」
「ダルシィ基地?」
陽介は突然出て来た、テレビのUFO特集などでよく耳にする言葉に驚愕の声を漏らす。眉唾物だと馬鹿にしていた話が、まさか現実に展開されているとでも言うのか?
「私はそこで見た。人間の遺伝子操作によって生まれた実験体達の死体をな。通称では“グレイ”と呼ばれているが、人類と爬虫類の遺伝子融合が基礎研究として行われていた。私は恐ろしくなった。だが、同時に直感していたのだ。私の積年の夢………」
そこで滝川博士の視線はスイシーゼに向いた。スイシーゼは視線を感じて怪訝な表情を返す。
「そう、『次代の環境に対応出来得る新人類を生み出すための母胎となる生物』を生み出すのはここしかないと!!」
滝川博士の言葉が力を帯びた。そのまま力を込めて語り続ける。
「私は研究に没頭した!! あらゆる動物で基礎研究をした後に、ついに禁断の領域である人間の遺伝子に着手した!!」
滝川博士は言うと、落ち着かせるために深呼吸を繰り返す。そして続けた。
「最初の、BC-H1系列は人間の細胞をクローニングする手法を取った。クローニング技術は既に米軍が開発に成功していたからな。そしてクローニング期間中に薬物投与、調整因子の組み込みを行ってBC化を図った」
 「調整因子?」
陽介は滝川博士の口から出た“新出単語”に疑問の声を上げた。滝川博士は語るのを一時中断して、陽介の疑問に答える。
「調整因子は、BC化を促す遺伝情報因子でな、遺伝子中に組み込まれる物だ。骨格強化を促すA(アー)型、筋力強化を促すB(ベー)型、 五感の知覚能力を強化するC(ツェー)型、 脊椎反射などの反応速度を高速化するD(デー)型、 判断、思考能力を強化するE(エー)型、人間が本来持つ環境適応能力を強化するF(エフ)型、そしてα波制御力の強化をするG(ゲー)型がある」
陽介は無言で聞いていた。その一つ一つがスイシーゼの今の力になっていることは容易に想像できた。
「BC-H1型はG型調整因子までを計画的に組み込むことに成功した。だが、問題はやはり起こった。クローニング期間中にX染色体とY染色体が、言わば共食いを起こしてしまうために男性体が作れないことや、肉体年齢が1、2歳の段階で止まってしまうことだった。様々な対応策を検討したが、どれも失敗に終わり、アプローチの仕方その物を変更するに至った」
そこで、滝川博士は再びスイシーゼに視線を向けた。
「そして受精卵に調整因子を組み込み、成長過程を本来人間が持つ物に委ねてしまうと言う新たなアプローチを行ったのがBC-H2型だった」
 陽介は脳裏に電撃に打たれたような痺れを感じた。スイシーゼが着ていた服の刻印、そして米軍やシェネラの言った“BC-H204”という言葉。BC-H2型、その4体目がスイシーゼなのだ。
 「BC-H2型も男性体が作れない問題点はあった。だが、私の理想とする完成体を生み出すことが出来たのだ。それがBC-H203シェネラ、スイシーゼの姉であり、BC-H204スイシーゼだった」
その言葉に陽介はピクリと反応した。スイシーゼも何か感じたのか、怪訝な表情を陽介に向けた。
 スイシーゼの姉、シェネラ。彼女は国道51号線で自分たちを襲撃した張本人だ。陽介はちらりとハロルド博士の方を見る。ハロルド博士は陽介が言いたいことが分かっていたのか、小さく頷いて目だけで意志を伝える。“それについては私が言う”と。
 滝川博士は一息付いて、コーヒーをあおった。しかし既に空になっていたのに気付いて言う。
「すまないが下条君、コーヒーのおかわりをくれないかね」
「ええ」
下条は立ち上がると、コーヒーメーカーへと歩いていく。
 滝川博士はそれを見てから続けた。
「シェネラとスイシーゼは受精卵の調整後、高速細胞増殖チェンバーに入れられた。高速細胞増殖チェンバーは一種の培養槽で、1カ月で2年分の成長を促すことが出来る。だから、スイシーゼの誕生日は95年の3月12日だが、肉体年齢は既に16歳になっている」
そこまで語ったとき、下条が新しいコーヒーを入れたカップを滝川博士の前に置いた。
「ありがとう」
滝川博士は小さく礼をして、コーヒーに口を付ける。そしてカップを持ったまま続けた。
「私は心から二人を愛した。溺愛と言ってもいい。何せ二人は私の理想の子供達、何より受精卵を作るのに使われた精子、それは何度も実験に用い、データのはっきりしている私の遺伝子を運ぶ私の物なのだから、スイシーゼは名実ともに私の娘なのだよ」
滝川博士は言うと、いとおしむ様な視線をスイシーゼに向ける。その視線にスイシーゼは何かを感じたのか、はにかむような笑みを浮かべて陽介の胸にもたれ掛かった。
「日本から共にダルシィ基地に来た大場泰治という男と共に二人の可能性を模索した。二人は遺伝情報に調整因子の情報を反映させることが出来たのだ。私は確信した。この二人と結ばれた男性の間に生まれる子供、その子供こそが新人類となるのだと」
 その視線がスイシーゼと陽介に向けられた。
「幸せだった。素直に育った可愛い娘達。希望のある前途。だが、その幸せを奪ったのが一通の極秘文書だった………」
「極秘文書………」
陽介は滝川博士の言葉に呼応するように呟く。滝川博士は軽く相づちを打ち、カップをテーブルに置いてから続けた。
「“PAIII”と書かれた極秘文書だった。その全容は全く分からないが、その中で私の研究の位置付けが成されていた。私の研究はバイオニックウェポンの基礎研究として、そのPAIIIにフィードバックされていたのだ………」
滝川博士は悔しげに拳を握りしめた。
「私は恐れた。私の娘達が兵器として利用されてしまうのが何よりも恐ろしかった。私はダルシィ脱出を決意し、大場博士と共に脱出の機会を伺っていた。どうやら大場博士は私よりも先に脱出できたようだった。だが、私は脱出の機会が掴めないでいた。そんな折り、理由は聞かされていないのだが、娘達を輸送しろと命令書が送られてきた。命令書には輸送ルートが克明に示されていた。私はこれしかないと悟った。これを逃したら脱出のチャンスは二度と来ない」
そこまで言って、滝川博士はハロルド博士の方を見た。
「私は知り合いだったハロルド博士とコンタクトを取った。かなり難しくはあったが、ハロルド博士も超科学の研究家として渡米していたのでな、なんとかコンタクトに成功して脱出計画を持ちかけた。ハロルド博士は快く協力を承諾してくれ、これで後は実行を待つばかりとなった」
滝川博士は再び陽介に視線を戻すと続けた。
「輸送ヘリが箱根山上空に到着する時間は分かっていた。私は上の命令で記憶処理されている娘達を解放し、脱出を実行しようとした。だが、私の直属の上司だったベネウィッツと言う男に見付かり、シェネラは我々を救うために犠牲に、スイシーゼは記憶処理を解かれないまま投棄されてしまった。これが今まで起こった全てだ」

 「そのシェネラですがね………」
不意に、ハロルド博士の言葉が割り込んだ。滝川博士は怪訝な表情をハロルド博士に向ける。
「シェネラですが、とりあえずの無事は確認出来ました」
「なに!? どういうことなんだね、ハロルド博士!?」
滝川博士はハロルド博士に詰め寄る。ハロルド博士は落ち着いて答えた。
「先程の51号線上での襲撃、あれはシェネラによる物だったのです。ただ、シェネラは貴方とスイシーゼに恐ろしいほどの憎悪を抱いていましたが?」
「記憶操作か!?」
滝川博士はハロルド博士の言葉に激昂した。ガラスを叩き割る勢いでテーブルを叩く。
「シェネラは私を信頼して愛してくれていた! 妹のスイシーゼをこれ以上は無いと言うほどに愛していた! そのシェネラが憎悪など!! そんな感情は一度だって持ったことのない子だった!!」
滝川博士の拳が震えていた。強く握った拳の中から、赤い血が流れ出しているのを陽介は見た。
「ベネウィッツか………。何と言う事を………」
滝川博士はそう呟いて、うなだれてしまう。陽介は何と言っていいのか分からずに、滝川博士の姿を見る。

 言い様のない気まずさの中の数瞬が過ぎた。その沈黙を破るように響いたのは、滝川博士の自責の言葉だった。
「私が馬鹿だったのだ………。人類の遺伝子に手を付けると言う、人間としてやってはならない倫理に反する事に手を出し………生み出した娘達を結果的に苦しめてしまった………」
滝川博士は言って、両腕で頭を抱え込むようにしてテーブルに肘を突く。
「バイオニックチャイルドの技術はバイオニックウェポンとして牙を剥いてしまった………。私は、研究を進めることにだけ捕らわれて、とんでもない過ちを犯してしまった………。私は、この大罪をどう謝罪すればいいと言うのだ………」
彼の自責の言葉は、彼自身の身を刻むかのように続けられた。だが、陽介はそんな彼の姿に哀れみを感じるよりも憤りを感じ始めていた。
「………そうなのだ………。私は、私のやってきた研究は………間違っていたのかもしれない………。いや、きっと間違って………」

 その瞬間、陽介の憤りは明らかな怒りに変わった。言葉の途中で突然立ち上がると、ふさぎ込んでいる滝川博士の胸ぐらをテーブル越しに掴み上げる。滝川博士は戸惑いの表情で陽介の顔を見上げた。
「陽介君!?」
下条が慌てて陽介を止めようと立ち上がった。だが、その下条をハロルド博士が静かに制止する。スイシーゼが不安げな眼差しを陽介に向けていた。
 「後悔してどうする………」
皆の視線の中、陽介は絞り出すような声で言った。滝川博士の胸ぐらを掴み上げている拳が震える。陽介の瞳に怒りの色がみなぎった。その瞬間に叫ぶ。
「てめぇが後悔してどうすんだよ!!!」
「よ、陽介君………」
滝川博士は戸惑いを隠さないまま呟く。だが、陽介はそのまま続けた。
「てめぇが後悔したら、シーゼは、シーゼの存在はどうなっちまうんだよっ!? シーゼの存在が罪だってのか!? 俺はそんなの認めねぇぞっ!!!」
陽介は涙が溢れだした瞳をきつく閉じて、滝川博士の体を強く揺すった。滝川博士は成す術もないまま、陽介の腕に翻弄される。彼には、衿岡陽介という青年の涙の意味が理解出来た。
「シェネラが利用された!? だったら取り戻せばいいだろうが!! 出来る出来ない何か問題じゃねぇんだ!!」
陽介は閉じていた瞳を開け、滝川博士の体を強く引き寄せた。その瞳を凝視して叫ぶ。
「あんたは今まで精一杯生きてきたんだろうが!! 人類の未来を願ってる科学者が米軍に騙されて利用された!! よくあるそれだけの話だろうが!! あんたは間違って何かいねぇ!! 間違ってちゃいけねぇんだ!!」
 陽介はそこまで叫んでから、不意に脱力した様に滝川博士の体を掴んだままへたり込んだ。力無く呟く。
「あんたは間違ってなんかいねぇんだ………。あんたが間違ってたらシーゼは………シーゼは………」
そこで、やっとハロルド博士は割って入った。未だ胸ぐらを掴んでいる陽介の手を静かに解くと、彼の体を再び椅子に座らせる。その陽介の胸に、スイシーゼは顔を埋めた。陽介の腕がそのスイシーゼの背中をそっと抱きしめ、目を閉じる。
 滝川博士は乱れた服を直すこともせずに、椅子に沈み込むように深く腰掛ける。
「滝川博士。陽介君の言う通りです」
ハロルド博士は一息付いてから口を開いた。滝川博士はその言葉に瞳を閉じ、静かに答える。
「私は………私には必要だった………。スイシーゼを、娘達を無条件に許してくれる者が必要だった………。私ではなく、大場博士でもなく………娘の全てを知っても許してくれる者が………必要だった………」
ハロルド博士はその呟きを静かに受けとめ、そして言った。
「そして貴方は手に入れたんです。スイシーゼの全てを許してくれる、全てを認めてくれる衿岡陽介君と言う青年をね………」
「ああ………」
滝川博士は呟くように答えると、スイシーゼの背中を抱いている陽介の手を握りしめた。
「ありがとう、陽介君」
そして彼は、陽介の目を真正面から見つめて、再び言ったのだった。

Scene-5. 厚木基地・シューティングレンジ

 その時シェネラはシューティングレンジにいた。別に銃器の取り扱いの訓練などではなく、なんとなくの憂さ晴らしである。
 脚を肩幅まで軽く開いて、両手でマグナムのグリップを軽く握る。リアサイトの間からフロントサイトを越えて、人型のターゲットの心臓に照準を合わせる。一度合わせられたマグナムのロングバレルは微動だにしない。
 トリガーが素早く引き込まれた。瞬く間に6発のマグナム弾が心臓を打ち抜く。並の兵士でも下手な姿勢で撃てば肩が外れるマグナムのリコイルをものともせずに、ロングバレルは弾丸と硝煙を吐き出しただけで動くことはない。ターゲットには一つの穴しか開いてはいなかった。ピンホールショットである。
「………ふん………」
シェネラは軽く鼻を鳴らすと、シリンダーから空の薬莢を床にぶちまける。空になったマグナムをサイドテーブルに置き、再びターゲットに向き直る。
 その途端、脳裏が痺れた。シェネラは片手で頭を抑えると、小さく舌打ちする。
「………どういうことだ………この痛み、普通ではない………」
先のスイシーゼとの接触の折り、スイシーゼのαブラストの直撃を“敢えて”受けたのだが、その時から何かがおかしい。激痛ではない。痛みが長時間に渡って続くこともないので気にしなければどうということはない。その筈なのだが。
 痛みが襲ってくる度に、シェネラはなぜか自分の存在が消えていく錯覚に捕らわれてしまう。
「204が何か細工をしたか………。まさかな。そんな余裕も技術も今の204は持ち合わせていない………」
自問自答する。シェネラは言い様のない苛立ちを押さえ込めずに、ターゲットに向き直ると右手を下から上へと一閃した。その瞬間にターゲットが四散し、背後の壁がビル解体の鉄球が打ちつけられたように陥没する。
「まあ、いい。もうじきこの苦しみも終わる。204、滝川、貴様達を殺せばこの苦しみも………」
シェネラは自分を落ち着けるように呟くと、シューティングレンジを後にした。

Scene-6. 国立相模病院・下条研究室

 全てを語り終えて、下条研究室には滝川博士と下条、ハロルド博士だけが残っていた。滝川博士と下条を前に、ハロルド博士はやや難しい表情を浮かべていた。
「今回のシェネラの襲撃で我々がここにいることも知られているでしょう。新科研への移動は困難になると思われます」
「ああ。だが………」
ハロルド博士の言葉を受けて、滝川博士は呟く。
「スイシーゼに掛けられた記憶プロテクトを解くシステムは新科研で製作しているのだろう? あれはそうそう量産できる物ではないしな………」
「4割まで完成しています。急ぐに越したことはありませんが」
「急ぐ?」
滝川博士は怪訝な表情を返す。
「ええ。急ぐ必要があります。これから米軍の追撃は激しくなるでしょう。シェネラが向こうの手に落ちている以上、こちらとしても同じ力が必要です」
「スイシーゼを………戦わせると言うのか………」
それに対する滝川博士の返答は苦渋に満ちた物だった。バイオニックチャイルドがバイオニックウェポンとなることを恐れて滝川博士はダルシィを脱出したのである。
「恒久的と言うわけではありません。ですが公的権力の助けがない我々は、まずマスコミを通して一般世論を味方に付ける必要があります。米軍に対する国内の批判は悪くなる一方ですから世論を我々に向けることは可能でしょう。ですがそれにはまだ時間が………」
 滝川博士は答えずに、椅子から立ち上がると窓際へ歩を進めた。窓からは芝生に包まれた中庭が一望できる。小さくため息を付いて、滝川博士は中庭の一点を見つめた。そして呟く。
「彼は………陽介君は何と言うかな………」
それに答える者はいなかった。

Scene-6. 国立相模病院・中庭

 「気持ちいい~!」
スイシーゼは芝生の上に大の字で横たわり言った。陽介がその横に腰掛ける。
「そんなに気持ちいいか?」
その問いにスイシーゼは横になったまま答えた。
「うん! だってずっと部屋の中に篭ってたでしょ? お日様が気持ちいいよ!」
「そうか」
陽介は言って微笑む。
 不意にスイシーゼは上半身だけ起きあがると、隣の陽介の腕にしがみついた。
「あ? もうピリピリしてない」
「ピリピリ?」
陽介はスイシーゼの言葉に怪訝な顔を向けた。
「あのね、さっきの陽介、なんだかピリピリしてたんだよ。とっても暖かいのにピリピリしてね、ちょっと恐かったの」
スイシーゼはそう答えて笑顔を向けた。
 陽介には、その笑顔が何かひきつっているように感じられる。今まで見たことのない、感情を押し殺している様な笑顔。陽介はその笑顔を見ているのに苛立ちさえ覚えた。どうして本音を出さないのか。
 「シーゼ。俺には隠し事するなよ。いつもみたいに素直に俺にぶつけるんだ」
陽介は正面からスイシーゼを見る。スイシーゼの笑顔は瞬く間に曇っていった。両の目に涙さえ浮かべて陽介を見つめる。
「シーゼ………シーゼ………わかんないよ………」
スイシーゼは溢れだした涙を拭うこともせずに言った。
「どうしてお姉ちゃんなのにシーゼに冷たいの………? どうしてお父さんなのにシーゼにはわかんないの………? どうしていつも優しかったのに陽介は恐かったの………?」
陽介は何も答えずに、いや何も答えられずにスイシーゼを抱き寄せた。
「全然わかんないよ!!」
スイシーゼは陽介の胸に顔を埋めると堰を切ったように泣き出した。陽介の手がスイシーゼの頭を静かに何度も撫でる。
「ゴメンなシーゼ、恐がらせちゃったね。でもこれだけはわかって。優しいだけじゃシーゼは守れないんだ………」
陽介は震えるスイシーゼの体を強く抱きしめた。

───そうだ………優しいだけじゃシーゼは守れないんだ………優しいだけじゃ駄目なんだ………

 しかし、その思いとは裏腹に、現実は彼の望まない方向に動き出していた。