第7話『シェネラ ~ Sister I』

Scene-1. 1999年6月2日 水曜日 国立相模病院下条研究室

 「結局、強行ですか………」
下条研究室に続々と集まってくる新科研のメンバーを見渡して、下条は半分諦めたように呟いた。新科研のメンバーは若手が中心で、最高齢者でも30半ばを保っている様だった。
「私も色々と考えたのだがな。相手が大きすぎてどうも………」
ハロルド博士は関東圏の地図を片手に思案していた。
「新科研まではそれなりに距離がある。地道に一般道を使うのも考え物だが、高速では退路を塞いでくれと言っているようなものだ」
「総研にヘリの一機でも依頼するのはどうですかね?」
下条はハロルド博士の後ろからマップを見おろした。マップ内には相模原から東京方面への走行計画がいくつも記されている。
「総研は確かに我々のスポンサーだが、営業コンサルタント業であってスパイ屋ではない。それにフライトプランを提出した途端に押さえられてしまうよ」
「で、結局は強行ですね」
下条は繰り返した。確認の意味もあった。
「ああ。すまない」
ハロルド博士はマップを閉じてから続けた。
 「まず我々で手持ちの8台の車に分乗し、囮になる。スイシーゼのα波の固有波形パターンを各々の車から放射して米軍のセンサーを撹乱。スイシーゼと滝川博士、陽介君の新科研到着と同時に放射を停止して新科研へ向かってくれ」
ハロルド博士を取り囲んでいた新科研のメンバーが一様に頷く。それを確認すると、ハロルド博士はポケットから自分の車のキーを下条に向けて投げた。下条は怪訝な顔をして受け取る。
「私も囮で出る。下条君、スイシーゼ達を新科研まで頼む」
「僕も囮に出ますよ。ハロルド博士がスイシーゼ達を」
下条は言って、キーを投げ返そうとするが、ハロルド博士はそれを片手を上げて制した。
「私はシェネラに顔を見られているんでね」
下条は一瞬考えたが、納得してキーをポケットに入れる。
「分かりました。必ず新科研まで送り届けますよ」
「頼む」

Scene-2. 国立相模病院・売店

 スイシーゼは自動販売機から売店の冷蔵リーチインケースまで一回りして、膨れっ面で戻ってきた。売店の向かいにある長椅子に腰掛けている陽介のところまで戻ってくると両腕をバタバタとさせて言う。
「やっぱり、なぁ~い!!」
陽介は微笑を漏らしながら答えた。
「あのなぁ。キャロットジュース、しかもカゴメ製なんて小難しい注文、簡単に見付かると思ってるのか?」
「陽介の家には一杯あったのにぃ~!!」
スイシーゼは更に頬を膨らませて騒いだ。
「だぁ~かぁ~らぁ~!! あれは何をトチ狂ったか実家から大量に送ってきただけで俺が買ったわけじゃ………」
 「陽介君」
喚き掛けた陽介の背後から、ハロルド博士の声が響いた。振り返った陽介の首根っこに、膨れっ面をしたままのスイシーゼが飛びつく。
「ぶぅうううぅぅぅ~~~」
陽介はそのスイシーゼは無視して───無視されたことに気付いたスイシーゼが首を絞めた───ハロルドに向き直る。
「な、なんですか?」
「午後になったら新科研へ移動する。準備を頼む」
「計画は?」
ハロルド博士は一瞬周囲を見回して、スイシーゼが何の警戒もせずに陽介に甘えているのに思い至って安堵したのか、口を開いた。
「すまんな。囮を出すことぐらいしか思いつかなかった」
ハロルド博士は自虐的な笑みを浮かべて答える。
「新科研のメンバーがスイシーゼの固有波形パターンを放射して米軍を撹乱する。その隙に君達には一般道で移動してもらう」
「固有波形?」
陽介は怪訝な表情をして聞いた。米軍がどうしてサンローザ厚木にいたスイシーゼを見付けられたのか謎だったが。
「スイシーゼ、と言うかバイオニックチャイルドのα波制御能力は平時でもアイドリング状態を保っている。その固有波形に近い物を放射して、米軍側のセンサーにキャッチさせるのだ」
───まぁ………シェネラ相手には子供だましにもならんだろうがな………
という一言は飲み込む。シェネラが単独行動をとっていたことから考えて、彼女が米軍の一派と共闘しているとは考えづらいという、ある意味、希望的観測があったわけだが。
「それじゃ、囮の人が危険なんじゃ?」
陽介はハロルド博士の内心など察することもなく答える。
「断続的な放射で場所を特定させないでいく。心配には及ばん」
「はぁ」
陽介は取りあえず納得すると、きびすを返したハロルド博士を追ってスイシーゼを引きずるように歩き出した。

Scene-3. 厚木基地

 その時、ベネウィッツの苛立ちは既に堪えようのない処まで来ていた。
 ターゲットであるBC-H204と滝川博士、その現在の保護者達。彼らは国立の病院に入ったきり動く気配を見せない。BC-H204の固有波形の反応は病院内でめまぐるしく動くだけで、敷地外へは出ていないようでもあった。
 次第にその重みを増していく焦燥をさらに加速させるのは、彼らが手駒として洗脳したBC-H203シェネラである。先の204との接触の折りに何かがあったのか、以前にもまして情緒不安定になっているらしい。かと言って、既に第2の自我を持って活動しているシェネラを再び洗脳するのは難しかった。
 大きくため息を付いたベネウィッツの机の電話がけたたましい呼び出し音を発した。ベネウィッツは力任せに受話器を取り上げ、喚き散らす様に応対する。
「私だ!!」
『お忙しいところ申し訳ありません。観測室です。事態の進展がありましたのでお伝えいたします』
ベネウィッツは電話の向こうの言葉に目を見開き、手元のキーボードを軽く操作した。部屋の壁が開き、大型のスクリーンが現れる。
「こっちのスクリーンに映し出せ」
『了解しました』
数瞬後、プロジェクターから投影された情報がスクリーン上に像を結ぶ。それは国立相模病院の周囲の地図だった。
『現在、204の固有波形が相模病院から移動を開始しました。何物かでシールドしているためか断続的な反応ですが、捕捉は可能です』
「よし。直ちに204を処分しろ。バイオニックウェポン10体を輸送開始だ」
『了解しました』
ベネウィッツは受話器を置くと一息つく。
 それを待っていたかのように扉が開き、小さな足音を響かせてシェネラが入って来た。ベネウィッツはあからさまに嫌悪の表情を浮かべる。
「スイシーゼが動いたようだね」
「貴様の方がより正確に分かっているのだろうが」
ベネウィッツは毒づく。シェネラは表情も変えずに言い放った。
「いくら我々でも、常時α半径を広げているのは骨が折れるのでね」
「そんなものか」
ベネウィッツは面白くなさそうに答えると、顎でスクリーンを指した。シェネラがスクリーンに視線を飛ばす。
「成る程、動いているな」
「出るつもりか」
ベネウィッツは鋭い視線をシェネラに向ける。しかしシェネラはその視線を見返しもせずに背を向けた。
「お前の手駒が尽きたら、出てやるよ」
シェネラはそれだけ言い放つと、後ろ手に乱暴に扉を閉めて部屋から出ていった。
 ベネウィッツは暫く閉じられた扉を見つめていたが、ややあってスクリーンに目を戻す。それと同時だったか。スクリーンにスイシーゼの固有波形を示すマーカーが一斉に増えたのは。
「なにっ!?」
ベネウィッツは目を疑って、受話器を取り上げた。短縮番号を押して観測室へと直通回線を開く。
「ベネウィッツだ!! どういうことだ!?」
『分かりません!!』
間髪入れず返ってきた観測室の返事はベネウィッツを更に苛立たせた。
『204の固有波形の発信源が複数あります!! 移動方向も全く一定していません!!』
「本物は特定できんのか!?」
『無茶言わないで下さい!!』
応対している観測室の兵士も狼狽しているのか、咄嗟にそんな台詞が口をついて出る。
『204の固有波形のパターンの情報が足りません!! 推論さえも難しい状態なんです!!』
「ちぃっ………」
ベネウィッツは受話器の向こうの兵士にも聞こえるような大きな舌打ちを漏らすと、再びスクリーンを仰ぎ見た。既に反応は全てが相模病院を出発し、あるものは国道246号線へ向かい、あるものは国道51号線を16号線に向けて進路を取っていた。全てがまるきりバラバラの方向である。
「反応は全部で………5つか………」
ベネウィッツは呟くと、再び受話器に向けて叫んだ。
「バイオニックウェポンを2体づつ全てに割り当てろ!! なに!? 輸送手段の手配が間に合わない!? 構わん!! 直ぐにでも出撃させろ!!」
ベネウィッツは言い放って受話器を叩き付けるように置く。そして絞り出したような含み笑いを漏らして呟いた。
「これ以上………時間を掛けるわけにはいかないのだよ………くっくっくっ………」

Scene-4. 厚木基地・廊下

 「指揮能力も、状況判断力も絶無だな………」
ベネウィッツの執務室の前で全ての会話を聞いていたシェネラは呟いた。一人静かに廊下を歩きながら、しかし確実にスイシーゼと、その保護者に向けて呟く。
「囮なんて用意してもこの私には通用しないのさ………。それはお前達もよく知っている筈だろう?」

Scene-5. 国道51号線・下り

 ハロルド博士は断続的にスイシーゼの固有波形を放射する発信器を乗せた車を、国道51号線を246号線へ向けて走らせていた。ちらりとルームミラーから後方を見る。後方にはやはり新科研の車、途中から座間を抜けて伊勢原へ抜けるもう一台の囮の車が走っている。
 やがて複雑怪奇な接続をしている道が見え、後方の車はウインカーを付けて座間方面へと消えていった。ハロルド博士はそれを確認して、そのまま51号線を南下する。その時、α波センサーがけたたましい警報音を鳴らした。ハロルド博士は軽く舌打ちして、アクセルを深く踏み込む。
「思ったよりも早かったな。バイオニックウェポンも投入しているらしい」
呟くと、発信器のダイヤルを調整して固有波形の発信をさらに断続的にする。少しは時間稼ぎになる筈だ。
「うまく逃げてくれよ、下条君」
ハロルド博士は天に祈る気持ちで更に加速させた。

Scene-6. 国道51号線・上り

 陽介とスイシーゼ、滝川博士を乗せた下条の車はハロルド博士と反対の方向、国道51号線を北上、国道16号線へ向けて走っていた。発信器など乗せなくとも発信源が───しかも断続的でさえない───乗車している下条の車が一番危険度が高いが、少しでも固有波形を遮断しようと、天井に銅板を貼り付けるなどの“小細工”を行っていた。それでもスイシーゼの固有波形は重力波に近い性質を持つのか、遮蔽物の貫通性が高く、完全なシールドはほぼ不可能だった。
 「久しぶりの日本だと言うのに、少しもゆっくり出来ませんね」
下条は助手席に座る滝川博士に言う。滝川博士は常日頃の白衣ではなく、ラフな格好に深く帽子を被っていた。対する下条もラフな格好で纏めている。後部座席に座る陽介とスイシーゼを合わせ見ても、ちょっと遅めの行楽から帰ってきた家族か何かにしか見えないだろう。
「私はいいさ。だが、新科研には迷惑を掛けている。すまない」
滝川博士は静かに言うと再び押し黙った。
「僕たちは、どっちかって言うと、こういう事に首を突っ込むのが仕事みたいなものですからね。慣れています」
「今までも危ない橋を渡ってきたのかね?」
「今回のは極めつけですが………」
下条は楽しい過去でも思い出すかのように軽い口調で言う。
「米軍の制止を無視してエリア51に踏み込んだり、軍事無線を傍受したり。でも何が恐いって、よく追実験も検証もせずに“そんなことは有り得ない”って喚き散らしてくる自称科学者と、よく考えもせずに賛同してくる似非科学者が一番恐いですけどね」
「一般には認知されていない分野だからね。君達のやっていることは」
滝川博士は相槌を打ちつつ答えた。
「一歩間違えればただの空想虚言者、よくて神秘主義者ってところですよ。でも僕たちだって現代科学に則って考えているんですけどね」
「君の目から見て、スイシーゼ達の力をどう見る?」
「α波特殊能力ですか」
下条は言って、ルームミラー越しにスイシーゼを見る。スイシーゼは隣の陽介の腕にしがみついて、めまぐるしく移り変わる風景に視線を飛ばしている。
「まず謎が3つあります。リラックスしている時や眠っている時に出る脳波の1パターンでしかないα波がなぜ特殊能力を引き出す鍵になっているのか。意志の作用が物理現象を伴うとしても、その物理的な力はどこから生まれるのか。何より、単なる周波数の違いでしかないα波が、なぜ人工的に模倣できないのか………」
「α波の人工的な模倣だったら、大場博士が研究に着手していたが………。成功したという話は聞いていないな」
滝川博士は苦渋に満ちた表情を浮かべて言った。その大場博士はダルシィ基地から滝川博士よりも先に脱出したらしいが、以後の消息は不明である。
「それと、物理的な力は脳内の蛋白質を消費してまかなっていると考えられないかな?」
滝川博士の仮説に、下条はしかし静かに頭を振った。
「たしかに、質量をエネルギーに変換すれば、それは莫大なものになります。生体内部で原子核変換が起こっているのではないかとも言われていますが………。スイシーゼ達はα波能力による蛋白消費を押さえて、且つ威力を上げることに成功したんでしょ? そうなると辻褄は合わなくなりますね。それだけ変換効率が上がったという事かもしれませんけど」
答えた下条も答えを出しあぐねている様だった。もっとも、答えを出せたとしても仮説に過ぎないのだから大した意味はないが。
 下条はしばらく考えてから続けた。
「α波、波動ですからね。何かと共振を起こしているというのも可能性がありますか。ただ単純な共振だったら模倣できない説明が出来ませんし、何と共振しているのかと言われると答えられませんね。零ベクトルエネルギーだとか、宇宙エネルギーだとか、危ないことは言いたくないですし」
下条は言ってから、何かを思い出したように唐突に口調を変えて言った。
「新科研(ウチ)で研究してる物に、ファラデーやマックスウェルの理論を使って系内部の電磁的活性を高めて超効率を出そうって得体の知れない物があるんですけど、ヘタするとそれかもしれませんね」
「まさか。そんな大層なものではないよ」
滝川博士は笑って言ったが、下条は至って真面目なようだった。
「空間隔絶したり、互いのα波に干渉したりできるんでしょ? 充分大層な物だと思いますが」
 「やめてくれませんか?」
突然、下条と滝川博士の会話に陽介が割り込んだ。陽介は胸に震えるスイシーゼを抱きしめて、ルームミラー越しに二人を睨み付けている。
「記憶があった時はどうだったか知りませんけど、今のシーゼはちょっと力を持っているだけの弱い女の子なんです。不用意に化け物扱いするみたいな発言は止めて下さい」
毅然と言い放った陽介の視線に貫かれて、気まずい表情で下条は前方に視線を戻した。確かに配慮が足りなかったと思う。
 数瞬、重苦しい沈黙が流れた。その沈黙を破るかのように、α波センサーがけたたましい警報音を発した。同時にスイシーゼが後方に視線を飛ばす。
「おいでなすった」
下条は呟いて、相模大野駅の近くから無理矢理に東林間方面への細い路地に車を突っ込ませた。
「α波センサーに反応が出るとはな。バイオニックウェポンを投入して来たのか」
滝川博士はやはり苦渋に満ちた表情で呟く。その後方、ビル伝いに迫ってくる二つの影が見えかくれしていた。

Scene-7. 国道246厚着近辺

 国道51号線から246号線へ乗り込んだハロルド博士は、助手席に放ってあった通信機に手を伸ばした。予め登録されている周波数で発信する。
「こちらハロルドだ。そっちはどうだ?」
何度かそう繰り返している内に、通信相手が出てくる。
『下条です。こっちもマークされています。16号線で渋滞に掴まるわけにもいかないんで、裏道で246へ………』
 その時、別の通信機───通信相手ごとに通信機を分けていた───が呼び出し音を発した。座間に抜けた車からだ。
「ハロルドだ」
ハロルド博士は短く応える。
『バイオニックウェポンの追跡を受けています………って、なぁ!?』
通信機の向こうで何か叫び声がした。その途端、何の前触れもなく通信機から伝わってくる音がノイズに取って変わられた。ハロルド博士は舌打ちして、再び下条への通信機を取る。
「下条君、状況が変わった!! どうやら敵はスイシーゼの捕獲を諦めて抹殺に命令変更されているのは確実らしい!! 実力行使で来るぞ!!」
『了解!!』

Scene-8. 東林間

 下条の車は裏道を抜けて、やや大きい道へと躍りでた。交差点の反対側にはセブンイレブンが見える。下条は迷うことなく左折すると再び車を加速させた。
 このまま少し行けば16号線へぶつかるはずだ。朝から夜半に掛けてひたすら込み続ける国道16号線の渋滞も少しは短くできる。何より、246号線へ出るだけなら延々と16号線で止められている必要もない。
 車がスエヒロの横を通り過ぎた途端、スイシーゼの体がビクンと反応した。目を見開いて叫ぶ。
「止まって!!」
その叫びに、下条は条件反射的にブレーキを踏み込んでいた。ABSの機能をフルに使って何とか止まった車の目の前、文教堂の前のアスファルトに陽炎が立つ。
「αブラストかっ!?」
滝川博士が目を見開く。直撃を受けていたら車などどうなっていたか。威力の小さいバイオニックウェポンの物だとしても、どこまで改良されたか知れた物ではない。
 だが、そうするしかなかったとは言え、止まってしまったのは失敗だったか。バイオニックウェポンが進路と退路を塞ぐ形で道に舞い降りた。
「進退窮まったな………」
苛立たしげに呟く下条の言葉に、誰も応える者はいなかった。バイオニックウェポンが少しずつ包囲を縮めてくる。陽介は命の危険を感じながらも、スイシーゼをきつく抱きしめた。その陽介の腕の中で、スイシーゼは静かに目を閉じた。
 バイオニックウェポンが咆哮を上げた。目の前に陽炎が立ったように、視界が歪む。誰もが、爆発の大音響と自らの死を確信した。だが、響いたのは金属音だった。一瞬視界を覆い尽くすような閃光が弾ける。バイオニックウェポンは事態の判断に迷ったようだった。警戒したように一歩下がる。
 滝川博士の判断は早かった。振り返った先、スイシーゼは陽介の腕の中で小さく笑って、彼を見上げていた。
「えへへ………。うまく、できたかな………?」

Scene-9. 国道412号線

 ハロルド博士の車は座間付近で通信が途絶えた新科研のメンバーを探すために、計画進路とは違う道を走っていた。渋滞のメッカだった国道412号線の混雑を少しでも改善しようと作られたバイパスを飛ばす。
 α波センサーは鳴りっぱなしだった。それはバイオニックウェポンの追跡が今も続いていると言うことだが、車が走るスピードによくついてこれるものだ。単純に持久力だけならBC-H2系列、スイシーゼやシェネラを凌いでいるかも知れない。
 突然、ルームミラーに時折現れるバイオニックウェポンの姿が忽然と消え去った。諦めたというわけではなさそうだ。完全に何か別令が降りて引き返したような素振り。
「何だ?」
ハロルド博士は訝しんで、一端道端に車を止める。だが、暫く待ってもバイオニックウェポンの追跡は再開されなかった。
「これは………スイシーゼの居場所が知られたか!?」
ハロルド博士は未だに鳴りっぱなしのα波センサーに舌打ちして車を急発進させた。

Scene-10. 東林間

 一度防いだからと言って、危険が去ったわけではなかった。バイオニックウェポンは再び車の包囲を狭めてきている。だが、彼ら───と言っていいかは謎だが───にも分かっているのだろう。車の中に乗っているターゲットの中に、自分たちを凌駕する力を持った者がいることを。不用意に撃ってこないのはその証拠に他あるまい。
 彼らが睨み合っている隣を、一般車両が通り過ぎていく。ドライバーが何事かと視線を飛ばした途端、その車は爆発に包まれた。バイオニックウェポンがαブラストを放ったのであろう。後続の車が巻き込まれて、ガソリンタンク内のガソリンが堪えきれなくなったのか爆発する。
 爆発の放射熱が窓ガラス越しに陽介の頬を打った。
───この野郎………無茶苦茶しやがる!?
陽介は内心驚愕の叫びを上げながら、背後のバイオニックウェポンを仰ぎ見た。だが、バイオニックウェポンは陽介には目もくれず、彼の腕の中にいる少女に注意を払っているようだ。
 緊張感の中、数秒が過ぎた。近所の住人が通報したのか、遠くからサイレンの音が聞こえてくる。
「………まずいな………」
下条は再び苛立たしげに呟いた。警察に事情聴取などされたところで、彼らには言い訳する術がない。
「振り切れるか、下条君?」
「難しいですね。αフィールドも何度も期待できる様子じゃないですし………」
下条は、先にスイシーゼがαフィールドを展開してバイオニックウェポンから車を守ったのが、スイシーゼにしてみれば駄目で元々のつもりでやったらうまくいった、程度の物でしかない事を察していた。
 16号線の方向からパトカーと消防車が走り込んできたのが見えた。バイオニックウェポンは素早く振り仰ぐと、右腕を一閃した。途端、先頭を走っていたパトカーが轟音を上げて爆発する。消防車が慌ててブレーキを踏むが、巨体は簡単には止まらず、炎の中で鎮座してしまう。消防士達が避難するよりも早く、消防車は大爆発を起こした。
 下条は大きく舌打ちして、ギヤをバックに入れた。
「このまま待ってても回りの被害が広がるばかりだ。一か八か、脱出してみます」
滝川博士が無言で頷く。その時、再びスイシーゼが叫んだ。
「駄目!! 動いちゃ駄目!!」
その刹那、前後のバイオニックウェポンが悲鳴一つ上げられないまま、蒸発するかのように消えてしまった。
「なんだ!?」
目を疑う陽介の視線の先、パトカーと消防車の爆発の炎が不意に二つに割られた。息を呑む。炎を割って何事もないように歩いてくる少女がいる。

 「シェネラ………か?」
滝川博士は掠れた声で呟いた。
「お姉ちゃん………?」
スイシーゼも、少女の姿に呟いた。
 少女は炎の壁を抜け、陽介達の目の前10メートル辺りに立ち止まる。憎々しげに車を睨み付ける。いや、睨み付けたのは車の中にいるスイシーゼか。
「………BC-H204………出てこい」
シェネラは静かに言う。スイシーゼはどうしていいか分からずに陽介を見上げた。陽介は応えずに、スイシーゼをきつく抱きしめる。
「出てこいと言った!!!」
シェネラは激昂すると、地を強く蹴って舞い上がった。その余りの速さに、陽介の目にはシェネラが消えたように錯覚される。
 数瞬の後、天井に何かが飛び降りた轟音が響いた。陽介の頭上の天井が、内装繊維とスイシーゼの固有波形を遮断する為にしつらえられた銅板ごと打ち抜かれ、突然伸びてきた手はスイシーゼの髪を掴んだ。
「あああぁぁぁ!?」
何か抵抗するよりも早く、その手はスイシーゼを車内から勢い良く引っぱり出す。シェネラは引っぱり出したスイシーゼをそのままの勢いで地面に投げつけた。そして地面を転がるスイシーゼに向けて、右手を軽く一閃する。再び吹き飛ばされたスイシーゼは、団地の敷地のフェンスに激突した。
 シェネラは天井からスイシーゼの直前までジャンプすると、着地ざま右の回し蹴りを起き上がり掛けているスイシーゼの顔面に直撃させた。スイシーゼは成す術もなく地面に再び転がる。
「何だ? さっきのαフィールドはまぐれか? 言ったはずだぞ。次に会うまでにαフィールド程度は張れるようになっておけとな。失望させるなよ」
シェネラが吐き捨てる。
「シーゼ!!」
突然の声に、シェネラは後方に視線を飛ばした。車から飛び出した陽介が走ってくる。
 シェネラは小さく微笑を漏らして、無造作に右手をしたから上へ振り上げた。
「なっ!?」
陽介の体が下からの突風に巻き上げられる様に吹き飛ばされる。宙に浮き上がった体は車のボディーに直撃した。意識が飛び掛かる。
「陽介は駄目ぇーーーっ!!!」
その瞬間、シェネラは後方からの突風に晒された。全てを飲み尽くすような眩しい光。光は車をかすめて対岸のレストランの壁を焼く。
 しかし、その光の奔流の収まった後、シェネラは平然と立っていた。口の端に何か複雑な表情の笑みを浮かべ、スイシーゼに向き直る。
「今のはαブラストのつもりか?」
シェネラは舌打ちすると、右腕を静かにスイシーゼに向けた。
「αブラストというのはな………こうやるんだよ!!」
途端、シェネラとスイシーゼの間の空気が歪んだ。それを押し止めるかのようにスイシーゼの周囲が球状に光る。
「ううぅ………」
スイシーゼは歯を食いしばって意識を集中した。未だ慣れていないαフィールドはスイシーゼの精神力を著しく消耗させる。
「αフィールドか………。だが甘い!!」
シェネラは叫ぶと、αブラストの出力を上げる。結果は直ぐに現れた。シェネラのαブラストを支えきれなくなったスイシーゼはαフィールドを展開したままフェンスを突き抜けて団地のコンクリートの壁に叩き付けられる。
 実力の差は歴然だった。方や、記憶を失ったまま見よう見まね、やっとの思いでα波特殊能力を使うスイシーゼ。対するシェネラは完全にα波特殊能力を使いこなし、憎悪を込めて攻撃してくる。
 シェネラは植え込みを越えてフェンスの向こう側へと歩を進める。
「やめるんだシェネラ!!」
その時、滝川博士の声が背後から響いた。シェネラは周囲から見ても分かるほどに肩を振るわせて歩みを止める。
「滝川………」
ゆっくりと振り返ったシェネラは、絞り出すような声で呟く。
「シェネラ………。もうやめるんだ。お前はそんな酷いことができる子ではなかっただろう?」
滝川博士は静かに言葉を紡ぐ。シェネラは無言で聞いていた。
「さあ、戻って来るんだ。昔みたいに3人で仲良く暮らそう。シェネラ?」
 シェネラはそこまで聞いて、ふっと微苦笑を漏らした。しかし、直ぐに憎悪をむき出しにした表情で叫ぶ。
「ふざけるな!! 貴様が望むのは204であって私ではない!! 貴様は204が完成すると私を始末する算段を立てていたのだろうが!? あの時………私は貴様に棄てられた!!」
「シェネラ………?」
全く身に覚えのない滝川博士は一瞬怪訝な表情を返してしまう。それがシェネラの逆鱗に触れたか、シェネラは素早くフェンスの向こう側からコンクリートに叩き付けられて倒れているスイシーゼを引っぱり出した。首を掴んで高く持ち上げる。
「もうやめるんだ!! シェネラ!!」
滝川博士の制止の声も無視して、シェネラは右腕に意識を集中した。その途端、スイシーゼの体が青白い火花放電に包まれる。
「うわっ!? ああああああぁぁぁぁぁぁ!!!!」
スイシーゼは目を見開いて、大きな悲鳴を上げる。手足をばたつかせて必死にシェネラの腕を振りほどこうとするが、体を駆け抜ける激痛がそれ妨げた。
「スイシーゼ!!」
滝川博士は無我夢中で駆け寄るが、シェネラに触れる寸前で大きく弾き飛ばされた。その弾かれた体を下条がうまく抱き留める。その様を横目で見たシェネラは口の端を歪ませると言い放つ。
「そこで見ていろ。このまま204をズタズタにしてやる」
そして右腕からスイシーゼの体に流し込んでいる火花放電に力を込める。
「………あ………うあ………あ………」
火花放電がスイシーゼの体を大きな音を立てて走り回った。既に悲鳴さえも上げられない激痛がスイシーゼの体を襲っていた。

 シェネラは苦しみに歪むスイシーゼの表情を心底楽しそうに見つめる。その視線の先のスイシーゼが、力を振り絞って何か言葉を紡ぎだした。
「………お………ねえ………ちゃん………」
その瞬間、シェネラはスイシーゼを思いきり振り回し、アスファルトに叩き付けていた。
「貴様に姉呼ばわりなどされたくないわ!! 気が変わった!! 貴様はこの場で殺す!!」
シェネラは叫ぶと、右腕をアスファルトに横たわったままのスイシーゼに向けた。
「スイシーゼ!!」
陽介は無我夢中で駆け出した。だが、その陽介の体を何者かが押しのける。
「死ね!!!」
完全に無防備なスイシーゼに向けて、シェネラのαブラストが放たれた。

 αブラストの直撃を受けたのはスイシーゼではなかった。スイシーゼの体に覆い被さるように倒れている滝川博士の体は血に濡れている。

 一瞬、時間が止まった。呆然と見つめる陽介。下条も何が起こったのか理解出来なかったようだ。そして、シェネラさえも………
「………な、なぜ………?」
シェネラは呆然として呟く。その呟きに我を取り戻した下条は慌てて滝川博士の元に駆け付ける。滝川博士の体を抱き起こして、余りの傷の深さに愕然とする。
「………なぜだ………貴様にとって私達は実験体ではないのか………? なぜ命を懸けてまで守る………?」
シェネラは、自分の記憶と、目の前で巻き起こっている現実との落差に、ただ呆然と立ち尽くすのみだった。その目の前、滝川博士は虫の息で呟く。
「………シェネラ………もう………やめるんだ………」
「………なぜ………お前は………?」
一歩退いて再び呟く。そのシェネラの視線の先で、自分を助けた滝川博士───父の姿に呆然としているスイシーゼが映る。

 その視界を、突然塞いだ者がいた。シェネラは虚を突かれて一瞬たじろぐ。
 陽介だった。シェネラの眼前に立った陽介は静かに歩を進めていた。少しずつシェネラに肉薄する。
「き、貴様………」
止まれ、と言いかけた時、陽介の右手が一閃した。シェネラは立ち尽くしたまま、その平手打ちを受ける。乾いた音が、炎の光の中に響いた。
 シェネラは何が起こったのか理解できないように、左手で叩かれた左頬を撫でる。その瞬間、頬が熱い痛みに襲われる。
 αフィールドを張り損ねた。たかが人間の平手打ち程度に反応できなかった。その事実よりも何より、シェネラは陽介の発する迫力、気迫の様なものに翻弄されていた。
「いい加減に目を覚ませよ、お前は!!」
突然、陽介の叫び声が響いた。シェネラは思わず身をすくめる。陽介はそのシェネラの様子を意に介さず続けた。
「お前もバイオニックチャイルドなら!! 滝川博士の娘なら分かるだろうが!! 滝川博士の心!! 暖かいって感じないのか!?」
「暖かい………?」
シェネラは思わず、呟くように答えていた。その瞬間、何か目の前の陽介の姿が変わった様な気がした。
───な、なんだ………? 暖かい………? 何が………?
未だかつて味わったことのない感覚、いや、忘れてしまっていた感覚なのか。目の前の陽介に、安堵させてくれるような何かを感じる。身を任せてしまいたくなるような安堵感。体の中に入り込んでくるかの様な暖かさ。
 だが、シェネラはその安堵感を、暖かさを受け入れることに明らかな恐怖感を感じていた。今の自分を否定されてしまうような恐怖感。その恐怖感を認識した瞬間、シェネラは絶叫していた。
「入ってくるなああぁぁっ!!!」
その絶叫に、陽介は驚いて一歩退く。シェネラは両手で頭を抱えたまま立ち尽くしていた。
「入ってくるな!! 私の中に入ってくるなあぁっ!!!」
そのシェネラの両肩を、陽介はしっかりと掴んでいた。そのまま強く揺する。
「目を覚ませ!! お前はあいつらに洗脳されて操られてるだけなんだ!! 心を開くんだよ!!」
陽介は叫ぶ内に、視界を涙が濡らしていくのを感じた。シェネラが呆然と、その陽介の瞳を見つめる。
「………なんで………衿岡………陽介………?」
シェネラの口調が変わっていた。何か張りつめた気配を感じさせる声から、少女のそれへと。それに一番驚いたのは他ならぬシェネラ自身だった。
 だが、恐怖感は知らず知らずに開き掛けていた心を再び閉じてしまった。シェネラは夢中で───α波特殊能力を使うことも忘れて───陽介の腕を振りほどく。
2、3歩下がって、身構えた。αブラストを撃つ体勢はとるのだが、体に力が入らない。
───なんで撃てないっ!?
シェネラは内心舌打ちし、視線を倒れているスイシーゼに向ける。アスファルトに倒れているスイシーゼには、未だ動く力はなさそうだった。
 逃げる、考えてもみなかった選択肢が頭をよぎった。だが一番現実的な選択肢であろうと理解した瞬間、シェネラは強く地を蹴っていた。
「シェネラ!?」
陽介は高く飛び上がったシェネラに叫んだ。シェネラは陽介と滝川博士達を飛び越え、未だ燃え盛っている炎の中に消えていく。しばらくして、バイクのエンジン音が響いた。
 陽介は呆然として炎を見つめることしか出来なかった。

Scene-11. 座間市内

 座間市内で通信の途絶えたメンバーを救出したハロルド博士は、通信機に向かって大きなため息をついた。
「分かった。私も直ぐに新科研へ向かう」
それだけ言い残して、通信機の電源を切る。シートに深く身を埋め、暫く目を閉じた。
 シェネラと接触するも、取り戻せず。滝川博士、重傷。最悪か、それに近い結果だ。所詮はこの程度なのかと思う。
───力が足りないから………!
言い様のない惨めさか、ハロルド博士は深く深呼吸をして、再び車を走らせた。

Scene-12. 国道246号線長津田

 下条の車は東林間の現場から逃げて、八王子街道から246号線に乗っていた。助手席はリクライニングされ、重傷の滝川博士が横たわっている。荒い息の滝川博士を介抱しているのは陽介だった。その隣で、スイシーゼもぐったりとして目を閉じている。
「新科研まではどのくらい掛かるんです?」
陽介はやや焦りの混じった声音で言った。下条はハンドルにかじり付くようにしながら応える。
「まだまだ時間が掛かるよ。この時間じゃ江田駅前も混んでるだろうしな。青葉から東名か、都築あたりから第三京浜に乗るか………。病院に駆け込めないのがつらいな………」
下条の声にも焦燥が混じっていた。
 陽介は不安を隠しきれない顔で、滝川博士の姿を見つめた。
「………シェネラ………」
滝川博士は気を失いつつも、譫言のように呟いている。陽介の脳裏をシェネラの苦悩する姿がよぎる。
 シェネラはなぜ、あんなにも苦悩し、混乱していたのか。陽介は、前途に何も希望を見いだせなくなってしまった現状に呆然とするしかない、そしてたった一人の少女も救えない自分の小ささに、ただ唇を噛むのだった。

Scene-13. 港北ニュータウン

 所々のボディがへこみ、塗装が焦げ落ち、挙げ句の果てに天井に大きな穴の開いた車が通過していった。その車を見送る、一台のバイク。その運転手の少女は車の通過を視線だけで追って、言い様のない苛立ちに歯を食いしばった。
「………どうして………」
呟く。
「………どうして気になるの………あの人が………」
だが、その問いに答える者はいない。その代わり、“あの人”の叫びが胸の中を去来した。
───お前もバイオニックチャイルドなら!! 滝川博士の娘なら分かるだろうが!! 滝川博士の心!! 暖かいって感じないのか!?
「………暖かい………そう感じた………でも………なぜ………」
赤毛のショートカットを微風が撫でていった。いつもと変わらない筈の風が、妙に心地よいと感じる。
───目を覚ませ!! お前はあいつらに洗脳されて操られてるだけなんだ!! 心を開くんだよ!!
「………心を開く………? 私の心は閉じているというの………? 私の記憶は、一体………?」
強烈な疑念が心の中を渦巻く。だが、答えは出ない。
「………私はどうして………ここにいるの………? なにをやっているの………?」
呟いた途端、何かの寒気が背中を駆け抜けた。背後を振り返る。黒い影が数体、中央分離帯の茂みを飛び越えて車道に降りるのが見えた。影は通り過ぎた車を追いかけて走り出す。

 言い様のない焦燥。少女は反射的にバイクに跨ると、乱暴に発進させた。スロットルを一気に捻り、前輪が上がってしまうほどの加速を掛ける。だが、その中にあって、少女の自問は終わることはなかった。
「………私は………なにをしているの………? どうして気になるの………?」
バイクのスピードメーターの指す値と同じ速度で迫ってくる景色に視線を泳がせながら、少女は大きく息を吸い込んでいた。
「あいつが死んだって関係ないじゃない!!!」
シェネラはありったけの息を吐き出して叫ぶ。

 バイクは次第に、下条の車を追うバイオニックウェポンに迫っていた。