第11話『宣戦布告 ~ Declaration of war』

Scene-1. 1999年6月24日 木曜日 新世紀科学研究所・資料室

 「存在意義か………」
ハロルド博士は最近入り浸っている資料室でひとりごちた。無論、その呟きに答える者はいない。
 やや乱暴に開いていた本を閉じる。『驚愕の事実!!火星移民計画』と銘打たれた胡散臭そうな本。資料的価値が全くなかったのは言うまでもない。
「………米軍にとって、スイシーゼの役割はデータキャリヤーでしかなかったということなのか………? 機密の漏洩を恐れてスイシーゼの抹殺を決定した………」
自分に問い掛けるように呟くと、静かに立ち上がり窓際に立った。一年間で最も長いうちの一つといって間違いない日の光が射し込んでいる。
「では………バイオニックチャイルドの存在意義はなんだ………? バイオニックウェポンのための基礎研究に過ぎないのか? しかしそれでは滝川博士に研究を続けさせた理由がなくなる………」
ハロルド博士は腕組みをすると、瞳を閉じた。閉じた瞼の上からでも陽光の暖かみが伝わってくる。
「そもそもα波能力はなぜ必要になった………? 次代の環境に適応するためならば何もあんな力はいらないはずだ………」
そこまで呟いて、ハロルド博士は窓から離れた。先ほどまで座っていた椅子に再び腰をかける。
「すべてはProject Alternative III、第3の選択計画が知っている………。おそらくは残された最後の保護領域に………」

Scene-2. 新世紀科学研究所・客室

 やはり、陽介達には以前ほどの活気はなかった。陽介はソファにもたれて考えにふけり、スイシーゼはベッドの上でキャロットジュースをすするばかり。何も発展がなかったかというと、それはそれで嘘になったが。
「………シーゼは、どうして生まれて、どうしてここにいるのかなぁ………?」
もう何度目になるのか分からない。とりとめもなく続く思索の回廊から抜け出せないスイシーゼは弱々しく呟く。
 陽介はそれに明確な答えは出さなかったし、明確な答えを知っていたわけでもない。だが、彼はスイシーゼのこの言葉の後、必ずこう答えた。
「それはシーゼにしか分からないよ………」
「うん………」
陽介が答えてくれることに淡い期待をしていたか、スイシーゼはいささか落胆した様子で頷く。
 キャロットジュースを両手でもって、腕で膝を抱えて体を丸める。目の前でもてあそぶキャロットジュースの缶をぼんやりと見つめながら、スイシーゼは再び呟いた。
「………もうずっと考えてるよ………でも分からない………。陽介みたいには分からないよ………。それに………シーゼはどうして人間じゃないの………?」
彼女にとって記憶を取り戻すと言うことは、つまり自分の存在を理屈の上で理解するということだったのかもしれない。スイシーゼは記憶を取り戻してから、自分が人間ではないと意識するようになっていた。それでも、陽介のそばに自分以外の女の子、ただの人間の女の子がいなかったのは幸いだったと言えよう。自分が人間ではないと意識はしても、それが彼女自身のコンプレックスとなることは今のところないようだから。
 それっきり黙ってしまったスイシーゼの髪を、陽介はそっと愛でるように撫でた。スイシーゼはそうされることが至福の時であるかのように目を細める。そして陽介は、スイシーゼが陽介と自分自身とに問いかける度に返す言葉を囁いた。
「きっと、どうして自分が生まれたのか、どうしてここにいるのかなんて、簡単には分からないはずだよ………。もしかしたら一生かかっても分からないかもしれない………」
「でも………」
スイシーゼは陽介の手の温もりを感じたまま、小さく呟いた。
「じゃあ………どうしてシーゼは人間じゃないの………?」
そう問われることに、陽介は未だに抵抗を感じていた。彼自身、スイシーゼという少女を人間の少女と分け隔てているわけではない。彼が最初に出会ったスイシーゼは、何もなかった極純粋な女の子であり、人間とは違う生き物だったわけではない。今更になってそれを意識できる方が、逆に不思議なのかも知れない。

 だから陽介は、スイシーゼが自分を人間ではないと言う時に、抵抗と共に小さな憤りさえ感じた。しかし、彼がスイシーゼに向かって“お前は人間なんだ”と諭しても、それは無意味であることも理解していた。彼女自身が認めなければならない。スイシーゼを拒否しているのも、スイシーゼを望んでいるのも、スイシーゼ自身に他ならないのだから。

 「ねぇ………どうして何も言ってくれないの………?」
問われたまま黙っていた陽介に、スイシーゼは不安げな瞳を向けた。彼の小さな憤りを感じ取ったのかも知れない。視線が震えていた。
 陽介はその視線に耐えきれずにスイシーゼの身体を抱きしめた。うまい言葉なんて、そうそう簡単に出せるものではない。スイシーゼを抱きしめたまま陽介は、何も言ってやれない自分に底知れぬ苛立ちを覚えていた。

Scene-3. 1999年6月25日 金曜日 新世紀科学研究所・3階研究室

 その日は豪雨だった。毎年水不足を引き起こす空梅雨の中にあって、久しぶりの雨だった。

 「泣いてるみたい………」
研究室の窓から外を眺めたスイシーゼは、ふとそんなことを呟いた。それは彼女自身の心だったのか。雨と涙をだぶらせたスイシーゼはぼんやりと靄の掛かった空を見上げた。
「準備できたよ」
研究室の中程、インプラントデータリーダーのコンソールパネルの前に陣取った下条が言った。スイシーゼはピクリと肩を振るわせて振り返る。最初に視界に入ったのは陽介だった。
「さ、シーゼ。これで最後だよ」
「うん………」
スイシーゼは陽介に促されつつ、ベッドに横になる。
 もう三度目だというのに、一向に不安は消えなかった。記憶が消えてしまうかもしれない不安、自分の存在が否定されてしまうかもしれない不安、何より、暴かれた自分の存在の意味を知った陽介が遠ざかってしまうかもしれない、底知れない不安。今まで出て来たデータは、直接スイシーゼの存在を左右するものではなかったと言ってもだ。
 陽介はそんなスイシーゼの心境が分かっているのか、ベッドのそばに椅子を持って来て腰掛けると、スイシーゼの手を握ってやる。
「では、始めるぞ」
ハロルド博士の言葉に、陽介は頷いた。それを見たスイシーゼは静かに目を閉じた。
「インプラントデータリーダー、起動します」
下条の手がコンソールパネルの上を走った。

 三つ目の保護領域、おそらくは本命のデータの吸い出しは滞りなく終了した。おそらく今までで一番大きくなったデータは、制御用のコンピュータのハードディスクにため込まれる。

 「………終わったの?」
スキャナーを外されたスイシーゼは不安げに陽介の顔を見上げる。陽介はそのスイシーゼに答えるように微笑んだ。
「………さすがに今度は駄目ですね………」
陽介達の背後で、下条は画面を見て唸った。彼の後ろにハロルド博士も立つ。
「今度はそのままでは読めないか」
「ええ」
下条は言って、画面に並んでいる数字の羅列を指さした。
「圧縮と暗号化は直視できないと言うことに関しては同一なんで、どちらなのかは分かりませんがね。古今東西の圧縮や暗号化理論にデータの出現頻度とかいろいろ考えても、データ解析には日数がいると思いますよ」
「それは専門家に任せよう」
ハロルド博士は言うと、ハードディスクから光磁気ディスクに落としたデータを手に取った。そして少し自嘲気味な表情で続ける。
「下手すると、ここで手詰まりかもしれないな」
「可能性は大きいですね」
二人の会話を聞いていた陽介が不意に割り込んできた。
「今度の内容、簡単には分からないんですか?」
ハロルド博士は一瞬、光磁気ディスクに視線を落としてから答えた。
「何の手がかりもない巨大なパズルを解くようなものだからな。今回ばかりは余り期待しない方がいいかもしれない。今までが簡単すぎたんだ」
「そうですか」
陽介の返答の真意はハロルド博士には伺い知れなかった。落胆なのか、不安なのか、それとも安堵なのか。その一言から様々な心境が見え隠れしていた。

 ───彼も、答えが示されることに恐怖を感じているのだな………もしかすると、スイシーゼ以上に………
ハロルド博士は一瞬だけ物思いに耽ると、すぐにきびすを返した。

Scene-4. 1999年6月26日 土曜日 ダルシィ基地・地下研究室

 目の前に広がっていたのは、水族館でもお目にかかれないような巨大な水槽だった。その水槽には黄色く透き通った液体が充填され、時折底の方から気泡が現れては消えている。
 その中程には何か巨大な物が浮かんでいた。人間の胎児のようにその身を丸めている物体。頭は異常に大きい。それに対して手足は小さかった。小さいとは言っても、それ自体だけ見れば丸太のような物だったが。
 目は閉じていた。瞼も異常に大きい。よくテレビにお目見えする宇宙人をそのまま大きくしたとしたら、おそらくはこんな感じだろう。
 耳を澄ませると、水槽の厚い壁の向こう側から息遣いが聞こえていた。唸るような、低い響きを伴う息遣い。やもすれば獣の唸り声にでも聞こえてしまいそうな息遣いだった。

 その物体を、間近で見据える男がいた。黒いスーツとコートで全身を包んだ男。長く伸びた髪をオールバックにして、うなじで無造作に縛った出で立ち。
 ミスター・クラントン。彼を畏怖する者はそう呼んだ。それが本名なのか、偽名なのか、そして彼の何をさしているのかさえ、誰も知ることはなかったが。
 クラントンは水槽を見つめ、小さく呟いた。
「………悪魔の、プロトタイプ………か」
確かに、目の前の物体が悪魔の胎児だと言われれば、納得してしまうかも知れない。それほどの存在感と、何より威圧感がある。だが、クラントンの真意は別にあるのかも知れない。聞いている者は絶無だったが、クラントンは続けた。
「神と悪魔は表裏一体………。ドクター・タキガワよ………神のプロトタイプを人間の手で創り出すことは、悪魔のプロトタイプを産み落とすことと同一であると気付いていたのか………?」
クラントンは悪魔のプロトタイプと自ら呼んだ物体を見上げて問いかける。答えるべき滝川俊博士は既にこの世にいない。
「まあ………いい………」
返答がないことは当然であった。クラントンは自己の中で完結すると、口元に凄絶な笑みを浮かべた。
「もうすぐだ………。人間の手によって産み落とされた悪魔は、その配下の者共と共に動き出す………。約束の日に向けて黙示録が始まる………」
視線を胎児から落とし、水槽の向こう側へと向ける。透明な液体とは言え、その巨大さ故に反対側は見えない。ときおり視界に気泡が流れるのみ。
「どう立ち向かう、人間共………。神のプロトタイプに、天使にすがるか………? それもいいだろう………。だが、悪魔は強大だぞ………」
クラントンはそこまで言って、不意に、今まで噛み殺していたのであろう声を張り上げて笑い出した。その笑い声は水槽を格納するためにさらに大きく作られた部屋を響かせていた。

Scene-5. 1999年6月30日 水曜日 新世紀科学研究所・資料室

 「お手上げ状態らしいですよ」
下条は、資料室のドアを開けると唐突に言った。資料室の椅子に腰掛けていたハロルド博士はその言葉に別段驚きもせずに答える。
「そうか………」
落胆の気配を拭うことはできなかったが。
「何の手がかりもなしに圧縮だか暗号化だかされてる物を復元しようってんですからね。下手な古代語を訳すより難しいかも知れませんよ」
下条はそう言って肩をすくめて見せた。
「ハフマン符号化にしたって、プログラムによってその実現方法はバラバラ、全てを試すことこそ不可能ごとです。何か一つでも糸口があればいいんですけどね」
「いつだったか、単なる数字の羅列をスイシーゼが文面として読んだことがあったな。それとの関連は調べてみたか?」
ハロルド博士は座ったまま、机の上で腕を組んで言った。下条はハロルド博士の向かいの椅子の背もたれに腰掛けて答えた。
「陽介君に頼んでその線も調べましたけどね。暗号解読の手法もプログラムしてありますが、無駄骨になりそうです」
ため息混じりに答える下条。
「難しいものだな」
「簡単でないのは最初から分かっていましたけどね。今も作業は続けてもらっています、と言うか解析班の方が意地になってますけど、結果は遠い未来じゃないですか?」
暗号解析などと言う物は、所詮そんなものである。暗号化されたものと、それを解読した物の両方がサンプルとしてあるのなら話は別だが、暗号化されたデータだけしか手元にないとなるとそれを解読するのは神業でしかない。
 ハロルド博士は暫く考えてから、呟くように言った。
「………アメリカの元軍事関係者に何人か知り合いがいる。情報将校もいたはずだ。そっちに協力を仰ぐか………」
「危険ですけど、それしかないですね」
 そう答えて下条がため息をついた時、不意にインターホンの音が響いた。一階正面玄関に備え付けられているインターホンは、各階の主要な部屋に音を鳴らすようになっている。それで複数の人間が応対に出てしまうと言う事態もあるのだが、それは仕方のないことである。
 資料室には玄関との会話が可能なインターホンと、玄関の様子を映し出すモニターが備え付けられていた。ハロルド博士はインターホンのモニタースイッチを入れた。玄関との通信は排他利用で、最初に回線を開いたインターホンが最優先される。
 他の応対よりも早かったらしい。モニターに玄関の様子が映される。玄関に立っていたのは二人の警察官だった。何の変哲もない普通の制服に身を包んで、楽な姿勢で立っている。
 ハロルド博士は小さく深呼吸してからマイクに向かって言った。
「何のご用でしょうか?」
モニターの向こうで片方の警官がインターホンに向かって答えた。その声がスピーカー越しに聞こえる。
『自分は警視庁の佐武巡査であります。こちらは新世紀科学研究所でありますか?』
警官はきびきびとした声音で告げた。
「そうですが?」
『そちらの責任者にお会いしたいのですが?』
「私が責任者のハロルド・アンダーソンです。どの様な御用件でしょうか?」
警官二人は小さく周囲を警戒したようだった。ハロルド博士はその様に妙な違和感を覚える。そして警官はインターホンのマイクにさらに口を近付けて、小声で言った。
『そちらで保護されているスイシーゼを、引き渡して頂きたい』
「………なに………?」
ハロルド博士は一瞬だけ思考を止めてから、背後に立っていた下条に小声で言う。
「下条君、全館内の防火シャッターを下ろしておいてくれ。事が急すぎる。何かの罠かもしれない」
「ええ」
下条は小さく頷くと資料室を飛び出した。ハロルド博士は小さく深呼吸すると、再びマイクに向かって言った。
「今そちらに伺います。少々お待ち下さい」
ハロルド博士はそれだけ言うと、下条と同じように資料室から飛び出した。

Scene-6. 新世紀科学研究所・客室

 インターホンが誰かが応対に出たらしい間が空いた。陽介達が新世紀科学研究所に来てから始めて鳴ったインターホンだったから、彼としても一抹の危機感がなかったわけではない。咄嗟に、かつて彼の部屋であるサンローザ厚木で軟禁された時と同じく窓から中が見えないようにシャッターを閉じる。
 その瞬間、部屋の外でもシャッターが下ろされたような音が響いた。各階のエレベーターホールと非常階段には防火シャッターが取り付けられているが、どうやらそれが一斉に作動したらしい。新世紀科学研究所自体も突然の来訪者に警戒態勢を取ったと言うことか。
「どうしたのかなぁ………」
スイシーゼが不安げな表情で立ち上がった陽介を見つめる。陽介はそのスイシーゼの頭を撫でると言った。
「俺、ちょっと様子を見てくる。シーゼはここでおとなしくしてるんだよ」
「うん………。気を付けてね」
陽介は素直に言う事を聞いたスイシーゼに頷くと部屋から飛び出した。

Scene-7. 新世紀科学研究所・非常階段

 屋内の非常階段に飛び込んだ陽介は資料室から走ってきたハロルド博士と鉢合わせした。ハロルド博士は陽介の姿に少し驚いたか、一瞬足を止める。だが、すぐに再び駆け出した。その後を陽介が付いていく。
「いったい、どうしたんです?」
陽介は非常階段を駆け下りながら言った。ハロルド博士は振り返らずに答える。
「警官二人がスイシーゼを引き渡せと言ってきた。下手をするとスイシーゼを捜していた組織は米軍だけではないのかもしれないが、ただ単に罠の可能性もある」
ハロルド博士はそこまで言って口を閉ざした。陽介は内心、罠にしては陳腐すぎると感じていたが、その可能性が完全にないとは言い切れない。用心に越したことはないか。
 一階まで駆け下りると、一足先に到着していた下条が待っていた。
「よし、行ってみるか」
ハロルド博士は下条と頷きあってから、ちらっと陽介の方を見る。陽介も共に行く気なのだと勝手に理解して、玄関ホールへの扉を開いた。

Scene-8. 新世紀科学研究所・玄関ホール

 警官二人は既に玄関ホールに入っていた。新世紀科学研究所のスポンサーである通称“総研”がオフィスビルに使っていただけあって、玄関ホールはそれなりの広さを持っている。新世紀科学研究所の性質上、ほとんど必要のない広さではあるが。
 その中央に警官二人はそろって立っていた。警官は出て来た三人に目配せして言った。
「御足労掛けて申し訳ない。スイシーゼがいないようですが?」
ハロルド博士は二人の正面に立って、真意を全く包み隠さずに答える。
「色々とありましたからね、簡単には部外者を信用しません」
「最善の判断ですね。警官がいきなりスイシーゼを引き渡せなんて言ってきたら普通は警戒するでしょう。これは失礼しました」
警官は落ち着いた笑みを見せて言うと、胸ポケットに手を突っ込んだ。一瞬警戒したハロルド博士に差し出したのは一枚の名刺だった。
「私達はこういう者です」
名刺を手に取ったハロルド博士は陽介と下条にも分かるように口に出して読み上げた。
「内閣直下バイオニックウェポン対策局諜報課諜報員………?」
ハロルド博士は訝しげな顔を警官に向けた。陽介と下条も顔を見合わせる。
 警官はその三人の様子を見てから自分の姿を指さして言った。
「この姿は確かに目立ちますが、一般市民なら何の警戒もないんで偽装に使わせてもらっています。私達は今お読みになったとおり、内閣の直下組織であるバイオニックウェポン対策局から遣いでやってきました」
「どういうことだ?」
ハロルド博士は視線を鋭くして詰問句調で問う。
「米軍の一派とは別に、それに敵対する形で日本政府側もバイオニックチャイルドとその関係者の保護を行っています。もちろん、米軍側にも内密にです」
「腰が重いことでは世界随一の日本政府が、そんなに早い対応ができるとは思えないがね」
ハロルド博士は未だに疑いを解いていないか、皮肉めかして言う。だが、警官は構わずに言った。
「世論が敵に回ると椅子が危ないですからね。ですが、今回は椅子以前に人類全体の危機です。問題のレベルが違います。それに、局の方では米軍の陰謀に深く関わった人物を保護したことで危機感が増していますからね」
「陰謀に深く関わった人物?」
咄嗟に聞き返したハロルド博士に、警官は一瞬間をおいてから答えた。
「大場泰治博士という人物を、御存知ですか?」
「………大場博士!?」
「御存知のようですね」
警官は笑みを浮かべて言った。そのまま続ける。
「彼を保護することで事態は急展開しました。大場博士にはバイオニックウェポン対策局の技術顧問をして頂いています。今回我々もやっとスイシーゼの居所を知るに至りまして、彼女の早期保護をすべく参上しました」
 ハロルド博士は暫く考えてから、不意に陽介の方に振り返った。そして言う。
「陽介君、スイシーゼを連れてきてくれないか?」
「え………でも」
躊躇した陽介にハロルド博士は真剣な面もちで言った。
「彼らの言う事が真実なのかどうかは、スイシーゼにしか判断できない」
その言葉で陽介はハロルド博士がスイシーゼに何をさせたいのか納得した。スイシーゼの他人の心を感知する能力を嘘発見器代わりに使おうというのだ。確かに、ここで論じるよりもずっと早いだろう。
 陽介は頷いて、非常階段を駆け上がっていった。

Scene-9. 新世紀科学研究所・客室

 不安げな表情を隠さないスイシーゼのいる客室に、陽介は駆け込んだ。既に気配で察していたのか、スイシーゼは別段驚きもせずに迎える。
「どうしたの、陽介?」
スイシーゼは真剣な表情の陽介に言う。だが、陽介はそれには答えずに言った。
「シーゼ、シーゼは人が嘘を言ってるか本当のことを言ってるかって、分かるか?」
「………うん」
スイシーゼはきょとんとしながら答える。
「あのね………。嘘言ってる人ってとっても震えてるの。だから分かるよ」
「よし。ちょっと手伝ってくれ」
「うん」
スイシーゼは釈然としない表情のまま立ち上がった。

Scene-10. 新世紀科学研究所・玄関ホール

 暫くして、陽介がスイシーゼを連れて非常階段から姿を現した。その姿を記憶していたか、諜報員達の表情が緩められた。ハロルド博士はスイシーゼと諜報員を順に見やってから言った。
「失礼だが、もう一度聞かせて欲しい。君達の所属と目的をな」
諜報員はこうなることを予想していたか、別段驚きもせずに頷いた。そして再び言う。
「私達は内閣直下の組織、バイオニックウェポン対策局諜報課に所属する諜報員です。バイオニックチャイルドとその関係者の早期保護が目的です」
諜報員は淀みない声で言い切った。その様をじっとスイシーゼが見つめる。
「どうだい?」
陽介はスイシーゼの肩をたたいて言った。
「………大丈夫だと思うよ。全然震えてないし」
「そうか。ご苦労様」
陽介はそう言ってスイシーゼの頭を撫でてやる。スイシーゼはそれが御褒美であるかのように目を細めて、陽介の身体にしがみついた。
 ハロルド博士はその様子を見て言った。
「少なくとも嘘ではない、か。被験者が洗脳されていても真偽を見抜けるのかどうかは実験していないが………」
「そこまでは保証できませんね。洗脳されているのかいないのかなんて、自分じゃ分かりませんしね」
ハロルド博士の言葉を受けて諜報員は答える。ハロルド博士は少し安心したのか、引き締めていた表情を普通に戻すと言った。
「それで、どこでどのように保護してくれるのかな? それともスイシーゼが保護できれば我々は用済みか?」
「いえ」
諜報員は小さく頭を振ってから続けた。
「スイシーゼに関わった全ての人間を保護する、これが大場博士からの指令です」
「大場おじさん!?」
何気なく諜報員の言葉を聞いていたスイシーゼは、彼の口から出た言葉に過敏に反応した。陽介の腕にしがみついたまま大きな声を張り上げる。
「大場おじさんがいるの!? 会えるの!?」
そのスイシーゼに諜報員は微かな笑みを浮かべて答えた。
「はい。会えますよスイシーゼ。これから御案内いたしましょう」
「随分と急ぐな」
ハロルド博士は諜報員の言葉に苦笑いを浮かべた。
「事態は急を要します。出来得るだけ急げとの指令も受けていますので。準備に時間が掛かるようでしたら一日程度なら待てますが?」
「いや、今行こう。準備などには時間は要さないよ」
ハロルド博士は即答すると振り返った。
「陽介君、すぐに出発の準備を始めてくれ。下条君、今までのデータのバックアップを纏めておいてくれ。一応持って行くことにする」
「はい」「了解です」
陽介と下条は同時に頷くと、エレベーターホールへと走り出した。スイシーゼも小走りに陽介の後を付いていく。
 その様を見ていた諜報員は小さく微笑んだ。
「陽介君、ですか? 彼も新世紀科学研究所の関係者ですか?」
「いや」
ハロルド博士は小さく頭を振ってから続けた。
「彼は普通の大学生だが………スイシーゼがもっとも心を許している青年だと言うことに関しては大切な存在だな」
「そうですか」
諜報員は感心したように一頻り頷く。その様を横目で伺い見たハロルド博士は確信を深めていた。この諜報員達のことは信用出来そうだ、と。

Scene-11. 国立重科学研究所・本部棟ヘリポート

 陽介達は諜報員の案内で一度羽田空港に向かい、そこから自衛隊の大型輸送ヘリで静岡県御殿場市へ飛んだ。眼下に見える町並みを眺めながら到着した先は、富士の裾野に広がる新設の国立重科学研究所だった。科学者連中の間ではNational Science & Technology Laboratory、通称NSTLとして有名なところである。
「ここがバイオニックウェポン対策局の本部なのか?」
ハロルド博士の言葉に諜報員は周囲を仰ぎながら答えた。
「ええ。政府直轄の諜報組織だったJCIAが米軍の不穏な行動をキャッチしてから水面下で計画されていた対抗組織が母体となっています。大場博士を保護した後にバイオニックウェポンの存在が明るみに出まして、現在では国立重科学研究所を隠れ蓑にしてバイオニックウェポン対策局本部として稼働しています」
「国立の研究所が富士の裾野に作られていることは聞いていたが、まさかバイオニックウェポンがらみだったとはな」
ハロルド博士はヘリポートから周囲を伺った。ヘリポートはバイオニックウェポン対策局の本部棟らしいビルの屋上に設置されていて、対策局の全景が見渡せた。
 高層ビルの様相を呈している本部棟。その周囲には副棟だろうか、本部棟を取り囲むようにして本部棟の3分の1ほどの高さのビル群が4つ建っている。隣の敷地には巨大なパラボラアンテナがあり、本部棟を挟んで反対側には高さその物は低いが床面積は今のところ最大級の建物がある。視線を遠くに移すと、樹海を長く切り開いている場所がある。滑走路だろうか、短く見積もっても5,000メートル級は下るまい。その長大な滑走路が、山間部に位置して気象状況が影響する故だろうか、本部棟からは2本、そしてさらに長い10,000メートル級が一本、地方空港程度の短い3,000メートル級が2本見受けられた。その他にも切り開かれた箇所は多々あるが、そのどれもが用途の分からない物だった。下手をすると種子島宇宙センターに次ぐロケット発射基地としても稼働するのかもしれない。もっとも、本部棟と周囲の副棟以外の施設はいまだ建設途中にあったが。バイオニックウェポン対策局としての機能は既に本部棟内で稼働していることを考えると、現在建造しているのは民間へのカモフラージュか、でなければバイオニックウェポン対策は長期にわたると言う事だろう。
 後から降りてきた陽介とスイシーゼも周囲を伺う。陽介は何か信じられない物でも見るような目つきで眺めている。対するスイシーゼはいったい何が凄いのか分かりかねているようだった。
 最後に出て来た下条が陽介の肩をたたいて言う。
「どうしたんだ? 陽介君」
陽介は暫く呆然としてから呟くように答えた。
「………マンガみたいだ………」
「なるほど」
下条は知った風に腕組みすると頷いた。そのままの姿勢で続ける。
「………昔から富士の裾野の研究所と言ったら男のロマンだもんな………。光子力研究所然り、SCEBAI(スケベイ)然り………。これで大きなプールがあれば完璧だね」
「………はぁ?」
何の事を言っているのか分からない陽介が怪訝な表情をしているのにもお構いなしに、下条は一人で頷いている。その様を見ていたわけでもなかろうが、諜報員は口元に笑みを浮かべて言った。
「対策局の見学や説明は後ほど行わさせていただきます。まずは大場博士のところに御案内いたしましょう」
諜報員はそう言うと、陽介達を促した。ハロルド博士を先頭に、陽介、スイシーゼ、下条の順で後を付いていく。

Scene-12. 国立重科学研究所・A棟応接室

 本部棟屋上へリポートからエレベーターで一気に降りること50階、本部棟1階から南へ歩くと、本部棟南側の副棟、A棟へと到着する。A棟は本部棟の正面玄関口を兼ねているらしく、研究施設と言うよりはホテルと言った方がふさわしい内装が施されていた。そして今度はA棟のエレベーターに乗り、地上8階の応接室へと通された。未だ本格稼働していないためか、機密保持のための人選が難航しているのか、その間にすれ違った研究員は数えるほどしかいなかったが。
 そして諜報員に案内されたのは窓から国立重科学研究所の南側一帯が見渡せる応接室だった。
「どうぞ、こちらででお待ち下さい。私は失礼させていただきます」
諜報員はそう言うと、軽く会釈をして応接室から出ていく。そして入れ替わりに別の男が入って来た。
 スイシーゼの肩がピクンと震えるのが分かった。入って来た男は年の頃40歳半ば、短く切りそろえている髪は白髪が目立ち、少々の無精髭が顎を覆っている。だが、その眼光はいささかも衰えてはいない。逆に鋭い部類にはいるだろう。
 だが、そんな見かけには構わずに、スイシーゼは突然走り出していた。
「おじさぁ~ん!!」
男はその声で突然鋭い眼光に柔和な笑みを浮かべた。走ってくるそのまま、まるでタックルでもかますかのような勢いで飛びついたスイシーゼを抱き留める。
 陽介はスイシーゼが自分以外の人間に飛びつくのを始めて見て、何となく妙な違和感に包まれたのだが、スイシーゼの行動でその男の正体が分かっていた。
 大場泰治博士、滝川博士と共にABL社、ダルシィ基地へ行った科学者で、滝川博士とならぶスイシーゼの父親のような存在。そしてバイオニックウェポン対策局技術顧問であり、現在ではバイオニックチャイルドとバイオニックウェポンに関してもっとも詳しい人物。
 男はスイシーゼを抱きしめたまま陽介達の方を見る。
「スイシーゼを守ってくれたこと、感謝します。初めまして、私が大場泰治です」
自ら大場泰治を名乗った男は小さく会釈した。

 「そうか………」
ハロルド博士から一部始終を聞いた大場博士は一頻り頷いた。その鋭い目が溢れ出した涙で濡れているのが見て取れる。大場泰治博士は陽介達とガラスのテーブルを挟んで反対側に腰掛け、目の前に置かれたコーヒーには一口も口を付けずに視線を落としている。スイシーゼはしばらく陽介と大場博士の間を行き来していたが、今は陽介の隣に落ち着いてキャロットジュースをすすっていた。落ち着きがなかったのは、大場博士に再会できた喜びだけではなさそうだったが。
「大体の事情は飲み込めた。ハロルド博士、何より陽介君、君達には感謝の言葉もない」
大場博士はそう言って深く頭を垂れる。だがハロルド博士は大場博士に自虐の籠もった声で返した。
「いえ、我々は逆に貴方に謝らなければなりません。我々に力が足りなかったばかりに滝川博士を失い、シェネラをも………。ですから、そんなにしないで頂きたい」
「だがな………」
大場博士はそう前置きしてから言う。
「結果はどうあれ、君達が尽力してくれたことは事実に相違ない。それに君達がいてくれなければスイシーゼだってどうなっていたか分かったものじゃない。そうだろ? スイシーゼ?」
大場博士がスイシーゼに語りかけると、スイシーゼはキャロットジュースの缶をテーブルに置いてから陽介の腕にしがみついた。陽介はそんなスイシーゼを見て少し安心したような表情をしている。
「うん。シーゼは陽介がいなかったらきっと死んじゃってたと思うよ。ね?」
今度はスイシーゼが陽介に微笑み掛けた。陽介は久しぶりに見るスイシーゼの笑顔に、笑顔で応える。

 ハロルド博士はその様子に一頻り微笑むと、不意に真剣な表情を作って大場博士に視線を向けた。大場博士もそれに応えるように視線を向ける。ハロルド博士はそれを待っていたかの様に切り出した。
「国立重科学研究所、通称NSTLを隠れ蓑にしたバイオニックウェポン対策局の存在………。スイシーゼの脳に貴方自身がインプラントした最終決戦兵器α波戦闘装甲………。今世界は、どうなっているのですか………?」

 大場博士はハロルド博士の言葉を全て聞き終わると、大きく深呼吸した。数瞬沈黙を守ってから、不意に切り出す。
「世界は約束の日に向かっている………。バイオニックウェポン対策はその為にある………」
「約束の日………」
ハロルド博士は静かに呼応する。大場博士はそれを確認すると続けた。
「Project Alternative IIIを知っているか?」
「名前だけは」
大場博士はハロルド博士の返答を確認すると語った。
「Project Alternative IIIは米軍による火星移民計画、MARS計画の延長にあるものだ………。そして彼らの火星への出発の日、1999年8月2日が約束の日だ………。米軍はその日に向けてバイオニックウェポンによる戦力増強をはかっている。奴らは地球と残された人類を捨てるつもりでいるのだ………」
 そこまでを聞いたハロルド博士の脳裏に幾つかの疑問が浮かんだ。大場博士は表情でそれを察したか、一瞬言葉を止めてハロルド博士に質問の機会を与える。ハロルド博士はその機を逃さずに疑問を口にした。
「約束の日が8月2日、その根拠はなんなのです? それにそんな大それた計画なら貴方と日本政府の手で公開すれば諸外国からクレームが殺到するでしょう。なぜそれをしないのです?」
大場博士は暫く言葉を探してから、まずは簡単に答えられる方に答えた。
「まず前者だが、Project Alternative IIIの機密文書にそう記されていた、それだけの話だ。そして後者だが………」
そこまで言って、大場博士は冷めてしまったコーヒーに口を付けた。のどを十分に潤してから続ける。
「しなかったのではない。できなかったのだ。便宜上米軍と言ってはいるが、どうやらその背後には米国政府をも裏で操る組織の存在があるらしい。無論、その組織の支配下に置かれているのが米国だけではないし、今世紀の資本主義経済の目覚ましい発展の裏にはその組織の存在が見え隠れしていたことも確かだ。そんな輩を相手に国際世論で勝てると思うか? どうにかする前にこちらが潰されてしまう。だから秘密裏に事を進める必要があった」
大場博士はそこまで言って言葉を切ると、残っているコーヒーを一気にあおった。やや乱暴にソーサーにカップを置くと続ける。
「相手は資本主義経済を裏で操る超法規組織。こちらから打って出ることが不可能である以上、やつらが本格的に攻勢に出て姿を現すまで待つしかない。今の我々にできることは、奴らの攻勢に対抗しうるカードを用意することだけだ。その下準備のためには日本は都合のいい立地条件を持っている」
「都合のいい立地条件?」
疑問符を掲げたのは陽介だった。大場博士はちらりと陽介を仰ぎ見ると答える。
「奴らは最大のミスを犯した。それは第二次大戦終結後、日本を植民地化しなかったことだ。経済援助を通じて裏から操れるつもりでいたんだろうが、実際はどうだ? 朝鮮戦争による経済発展は高度成長時代を築き、時には資本主義経済の君主たるアメリカさえも脅かす存在となってしまった。その経緯があって、奴らのネットワークは在日米軍という形でしか日本には存在していないのだ」
「どうしてそこまで言い切れるんです?」
「JCIAは馬鹿ではない」
間髪入れず疑問を返した陽介に、やはり大場博士は間髪入れずに返答した。JCIAと言う言葉に聞き覚えはないが、要するにCIAの日本版と言うことだろうか。
「そこまででいいだろう、陽介君」
そう言って割って入ったのはハロルド博士だった。ハロルド博士は大場博士を真正面から見つめると別の話題を持ち出す。
「バイオニックウェポン対策とは言っても、具体的には何をしているのです? アレに対抗するには、そうですね、現行の兵器体系では苦しいでしょう。核などの殲滅兵器を使うにはリスクが大きすぎます」
大場博士はとりあえず別の話題が出たことで頭の中を切り替えるためか、小さく深呼吸した。そして今までとは違った低い声音で答える。
「バイオニックウェポン対策、それはそのままαフィールド対策と言っていい。αフィールドは個人用携帯火器から戦車砲までほとんど全ての攻撃を防ぎきるし、大量のαフィールド発信源が集中して増幅されたα半径内では雷並のECM効果や、マイクロ波なみの電子機器障害が起きる。これをいかにして解決するかが最重要課題だ」
そこまで言って、大場博士は立ち上がると窓際へと歩いていく。その姿を陽介達は視線だけで追った。
「現在は対αフィールド用の三式弾、擬似的なαブラストやαフィールドが研究対象ではあるが、結果は芳しくない。唯一結果を残しているのは“人工α波”のみにとどまっている。結局、α波に勝てるのはα波だけだということだな………」
「人工α波………」
「そうだ」
呟くように呼応した陽介に、大場博士は毅然とした声で答えた。窓の外の世界から視線を室内に戻し、陽介を見る。
「人工α波はα波ブースターの延長技術だ。“常人”の微弱なα波をバイオニックチャイルド並にまで引き上げる。………もっとも、“常人”と言うのは間違いかもしれないがね」
そこまで言って大場博士は自嘲気味の表情を浮かべた。
「“常人”は“常人”でも、何かファクターが必要だ、と?」
大場博士の口振りが気になったか、ハロルド博士は怪訝な表情を返して言った。大場博士は少し間をおいてから答える。
「常人に必要なファクターは、アイドリングαフィールドだ。α波特殊能力にはそのα半径内にいる他人のα波能力を励起する特性がある。これにより、常人でもα波ブースターを装着することでバイオニックチャイルド並の能力を発揮することができるようになる」
「普通の人間がα波特殊能力を………」
ハロルド博士が呆然と呟く。大場博士はそれに構わずに進めた。
「だが、いくら励起特性があるとは言っても、一日やそこいらで励起されるものではない。最低一ヶ月は、それも昼夜を問わずにアイドリングαフィールド内にいなければ不可能だ。逆に、一度励起された能力はなくなることはないようだが」
その言葉に、陽介の肩が小さく震えた。何事かとスイシーゼが顔を上げる。
「しかし、唯一結果を残しているのが人工α波と言われましたが、実験するも何もサンプルが」
もっともな疑問を口にしたハロルド博士に、大場博士はニヤリとして答えた。
「サンプルはあるさ」
そう言って、自分自身を指さす。
「私自身だ」
研究者本人がサンプルとなって研究する、その事実にハロルド博士と下条は呆然として言葉を失っていた。その代わりに口を開いたのは陽介だった。
「その、人工α波でバイオニックウェポンに勝てるんですか?」
「その答えは陽介君、君にも分かっているはずだ」
大場博士はそう前置きしてから続けた。
「今はいい。だが、約束の日に投入されてくるバイオニックウェポンにもそれが言えるかは疑問だ。私の立場で言わせてもらうと、おそらく足止め程度が精一杯だろう」
陽介はその返答に無言で生唾を飲み込んだ。それでは事実上、人間は勝てない。だが………

 「そうなると………奴らの侵攻に対抗しうるカードは最終決戦兵器α波戦闘装甲をおいて他にない、と?」
陽介の思考をとぎれさせ、ハロルド博士が言った。その言葉に、大場博士は無言で頷く。
「α波戦闘装甲は最初から卓越したα波特殊能力を持つバイオニックチャイルド専用の装備だ。汎用のα波ブースターとαブラストに対して特化したα波ブースターを備え、特殊な飛行ユニットにより事実上無制限の飛行も可能とする。筋力補助の機能こそ備えられてはいないが………」
「やだっ!!」
大場博士の説明を遮り、スイシーゼの絶叫が響いた。驚きの表情を浮かべて、大場博士とハロルド博士、下条がスイシーゼを見る。陽介だけは予想していた様で、叫んで耳を塞いでいるスイシーゼをそっと抱きしめていた。
「やだっ!! やだやだやだっ!! やだあっ!!! 聞きたくない!!!」
文字通り部屋を振るわせる絶叫を、力一杯頭を振りながら続ける。きつく閉じた瞼から溢れ出した涙が陽介の服を濡らした。
「シーゼが戦ったって何にもならないもん!! シーゼが戦ったってお父さんもお姉ちゃんも助けられなかったんだもん!! シーゼなんか、シーゼなんか!!」
後は言葉にならなかった。スイシーゼは陽介の胸にしがみついて、いつ果てるともなく嗚咽を漏らしていた。

Scene-13. 国立重科学研究所・A棟客室

 取り乱したスイシーゼによって、大場博士との面会は強制的に終了した。
 陽介達は大場博士自らが案内した来客用の部屋で休んでいた。海外の賓客をもてなすための部屋なのか、高級ホテル並の設備を完備しているその部屋は陽介にとっては行き過ぎた物だったが。だが、ダブルベッドではないにしろ、海外向けのベッドで広く作られていたのは幸いと言えたかもしれない。
 そのベッドの上、スイシーゼは毛布一枚だけを抱きしめるようにして横になっていた。目は閉じているが、寝てはいないだろう。その程度は陽介にも分かる。
 陽介は静かにベッドに腰掛ける。それを待っていたかの様にスイシーゼの瞳が開かれた。小さく呟くような声で言う。
「………おじさんの言う事聞かないシーゼは、悪い子かな………?」
スイシーゼは夜のとばりが降りた研究所の南側一帯が見渡せる窓から、どこか遠くを見つめる瞳のまま沈黙する。陽介の答えを待っている。
 陽介はただ一言だけ、静かに答えた。
「シーゼはシーゼの思うようにすればいいさ」
「でも………」
スイシーゼは再び瞳を閉じると、震える声を紡ぎ出す。
「戦わなかったら………シーゼはここにいちゃいけないんでしょ? みんな言ってるよ………シーゼは戦う為に生まれてきたって………」
陽介は、ただ肩を小さく振るわせただけで返答しなかった。その様子に少し不安げな顔をしながらシーゼは続ける。
「………シーゼが今ここにいる価値って………戦うことなんでしょ? 大場おじさんとかハロルドおじさんがシーゼを戦わせようとしてるもん………陽介は、違うけど………。シーゼは戦う為に………」

 「人のことなんか関係ないだろっ!!」
突然、陽介の激昂が部屋を振るわせた。
 スイシーゼは大きく体を振るわせて、叫んだ陽介の方を見やった。視線がどことなく恐怖している。陽介に怒鳴られたのは初めてだった。
 陽介はスイシーゼの様子などお構いなしに喚き散らした。
「シーゼは他人がお前の存在価値は戦うことなんだって言ったら、はいそうですって納得するのか!? 自分で違うって思ってても納得しちまうのか!? 甘ったれるんじゃない!! 人間の存在価値なんて他人にどうこう言われて決まるもんじゃないだろうがっ!!」
「でも………でも………!」
スイシーゼはベッドに半身を起こして、訴えるような瞳を陽介に向ける。その瞳が涙に曇った。
「でも………! シーゼは人間じゃ………!」
「そうじゃないだろっ!!」
陽介は両の瞼をきつく閉じ、握りしめた拳をベッドに打ち据えた。スイシーゼが身を竦ませる。
「だれがシーゼを人間じゃないって言った!? あの米軍の毛唐か!? それとも滝川博士が普通と違う方法で生み出したからか!? そんなの全然関係ないだろうがっ!!」
陽介の閉じられた瞳から涙があふれ出た。ベッドに打ち据えた拳が震える。その指の間から鮮血が滲み出していた。
「泣いて! 笑って! 甘えて! 自分の存在に悩んで!! 普通とどう違うってんだよ!? 自分で認めなきゃ何も始まらないだろうが!! 他人の言う事なんか関係ない!! 自分で自分を認めるんだ!!」
「陽介ぇ………」
スイシーゼは溢れ出した涙を拭うこともせずに呟く。声が震えた。

 陽介は少し間を空けて───ただ単に息を切らせたからだが───深呼吸する。静かに瞳を開けて、震えているスイシーゼの手を取った。そして努めて静かに、スイシーゼの瞳を正面から見つめながら語りかけた。スイシーゼに、そして自分にも。
「人間の価値なんて他人が決めるもんじゃない。自分で決められるもんでもない。大切なのはその時その一瞬をどれだけ一生懸命に生きてきたかだろう? だから自分で決めた自分にできる精一杯をやるんだよ」
陽介はそこまで言って、不意につかんでいるスイシーゼの手を強く引っ張った。スイシーゼは為すすべもなく、何の抵抗もせずに陽介の胸に沈み込んだ。陽介は自分の胸の中のスイシーゼを強く抱きしめた。
「それにね、シーゼ………。人が戦うには理由が必要なんだ。人に言われたからじゃない。自分自身で見つけた理由がね。理由がないのに戦う人間は、もう人間じゃない。そういうのを本当の殺人人形って言うんだよ」
陽介は腕の力を軽く抜くと、スイシーゼの頭を優しく撫でる。
 暫く無言で撫でていた陽介は不意に手を止めた。スイシーゼが怪訝そうな表情を向ける。だが、陽介はそのスイシーゼに静かに微笑み掛けると静かに立ち上がった。
「どこ、行くの?」
不安げなスイシーゼの言葉に、陽介はやはり静かに微笑み掛けると言った。
「俺自身で見つけた、俺自身にできる精一杯をやりに行く。時間が掛かるかもしれないから、先に休んでおいで」
スイシーゼは、陽介の身体からただならぬ何かを感じたのか、ただ静かに頷いた。その様子に再び笑みを浮かべた陽介は静かにきびすを返した。そのまま客室から出ていく。
 自分自身で見つけた、自分自身にできる精一杯をするために。

Scene-14. 国立重科学研究所・本部棟第8大場研究室

 もう研究員も出払っていた。薄暗い闇の中、卓上ライトのみが照らす研究室で大場博士は一人思案に暮れていた。
 事態は彼の予想を裏切った。彼自身にとってそれは良かったことなのかもしれない。だが、大多数の人間にとっては悪い事態を迎えたと言わざるを得ないのか。最終決戦兵器α波戦闘装甲計画は唯一の適格者の全面的な協力拒否により事実上完全に凍結された。
 彼は、いや彼と滝川博士は、娘達が最終決戦兵器と共に人類の先陣に立って戦うことを望むと同時に、それを強く拒否していた。相反する二つの心が同居するジレンマに苛まれていた。そのジレンマに一応の帰結を見たと言う事なのだが………。
 大場博士は両手で頭を抱え込むと髪を掻き上げた。
 と、夜も更けたこんな時間に来訪者か、扉がノックされる。大場博士は訝しげな顔をして席を立つと、入り口付近にある室内灯のスイッチを入れてから扉を開けた。
 立っていたのは陽介だった。だが、先ほど応接室で会った彼とは別人のようであった。強烈なまでの覚悟、何か大きな目標にぶつかっていこうとする覚悟がその表情から伺い知れた。
 大場博士は一瞬陽介の雰囲気に気圧されしたが、小さく深呼吸すると言った。
「どうしたんだ? 陽介君、こんな夜更けに」
陽介はその言葉にたっぷり数秒深呼吸を繰り返してから、淀みない声で答えた。
「俺を、俺の身体を人工α波の研究に使って下さい」
「なに………?」
大場博士は全く予想だにしていなかった陽介の言葉に声を詰まらせた。だが陽介はその大場博士に構わずに続ける。
「俺は一ヶ月以上シーゼのそばにいました。人工α波に必要なファクターは持っているはずです。それに俺は………」
陽介はそこで一瞬言葉を切った。大場博士は静かに陽介の言葉を待つ。そして陽介は、やはり淀みない声で言い切った。
「俺は戦いたいんです。全てと!」
それは、スイシーゼを傷付ける全てに対する、陽介の宣戦布告だった。