第12話『誰が為に ~ Why』

Scene-1. 1999年7月1日 木曜日 国立重科学研究所・本部棟第6大場研究室・被験者室

 その日から、被験者の椅子に座るのは陽介になっていた。ありとあらゆる測定機器が彼を囲み、彼自身の視界には彼を研究に利用している男達の姿は見えなかった。それに関して言えば、彼を研究に利用している男達にしても同じ事で、陽介の姿を視認することは出来ない。そのかわり、多くの機械の目が彼を監視していた。
『今日の実験は簡単だ。まず、陽介君の資質検査を行う』
陽介の頭部をすっぽりと覆うヘルメットのような検査機器の内側、小型のイヤホンから大場博士の声が聞こえた。
「はい」
短い陽介の返答は、やはり検査機器の内側の小型マイクから電気信号を経て大場博士の元へ届けられる。
『いくらスイシーゼのそばで離れずに一ヶ月以上過ごしたと言っても、能力の励起状態には個人差があると予測される。無論、資質検査をパスしたサンプルは現在のところ私だけなのだから確証はないがね』
イヤホンから聞こえた大場博士の声には幾許かの自虐があったようだったが。
『方法は簡単だ。これから軽い睡眠剤を注射するから、陽介君はそのまま寝てしまってくれ。睡眠時が一番α波を検出しやすい』
「はい」
『では、始める』
直後、陽介は左腕に小さな痛みを感じた。身体を覆う検査機器の一部から睡眠薬を打たれたらしい。ゆっくりと、やや早鐘を打っている心臓を落ち着かせるように目を閉じる。睡眠薬が効いてくるのに、さしたる時間は掛からなかった。

Scene-2. 国立重科学研究所・本部棟第6大場研究室

 陽介の状況をモニターしている研究室には、大場博士の他にも数人のスタッフ、そしてハロルド博士と下条がいた。彼らにとって大場博士が行っている実験は専門分野を大きく越える物で、彼ら自身が研究に口を挟めるわけではないが。
 大場博士は厚い壁の向こうにある被験者室に、モニターを通して視線を飛ばした。その被験者室の中で陽介は少しずつ意識を失い始めているはずだ。ガラス面の上部にあるスクリーンに眠ろうとしている陽介の実写映像と、脳波のパターングラフなどが所狭しと表示されていた。ハロルド博士と下条の視線はもっぱらそちらを向いている。
「………そろそろ、レム睡眠に入るな………」
大場博士はスクリーンを見上げる。完全に目を閉じて寝息を立て始めた陽介が見えた。
「α波波形、異常ありません」
スタッフの一人が静かに告げる。それはスクリーンに表示されているデータを見れば一目瞭然の結果だった。波形は全く変化を見せていない。
「励起されていないのか………」
下条の呟きにしかし、大場博士は頭を振った。
「常人ではレム睡眠時の観測は難しい。ノンレム睡眠時を待たなければな」
それっきり、研究室は静寂に包まれた。陽介の心拍を示す音だけが響く。
 「大場博士、被験者、ノンレム睡眠に入ります」
スタッフの言葉を羽切りに、突然スクリーンの波形が乱れた。ハロルド博士と下条は愕然としてスクリーンを見上げる。だが、大場博士は冷静だった。
「Laplaceへデータを送れ! Laplaceは予定通り、データ解析及びフラクタルデザイン設計を開始する!」
研究室内が騒然となった。スタッフが口々に各部署へと指令を伝達している。
「電算機室へ、こちら大場第6! 予定通りLaplaceを占有する! Tesra単機による平常業務への移行を要請!」
『電算機室了解! 5秒後に専用回線を開く!』
「第1管制脳室! 全て予定通り! Laplaceを解析、及び設計に張り付ける!」
『回線の接続を確認した! Laplaceを張り付ける!』
 突然動き出した研究室内に圧倒されるようにハロルド博士は息をのんだ。
「こ、これは………!」
「アイドリングαフィールド反応が出た! 現在はデータ解析とそれを元にした陽介君専用のフラクタルデザインの設計をウチの第六世代を動員して行っている」
大場博士は幾分興奮しているのか、語調に力を込めて答えた。
 国立重科学研究所には第六世代型コンピュータが3機設置されている。人間の脳の構造を模して作られた非ノイマン型ニューロ光コンピュータであるこれらは、数学者ピエール・シモン・ド・ラプラス、物理学者ポール・アドリアン・マウリック・ディラック、交流開発で有名なニコラ・テスラの名を取って、Laplace、Dirac、Tesraと呼ばれている。これらは平常時はNSTLの全データを管理する管制システムを担っている。
 大場博士は圧倒され、呆然としているハロルド博士と下条に解説を続けた。
「常人では自分の意志でαフィールドを発生、コントロールすることは難しい。だからアイドリングαフィールドのデータからそれを励起する能力を持ったシステムを組み上げる必要がある。今までの研究で、元素115番を利用したフラクタルデザイン材料がこれにもっとも適していることが判明している」
「フラクタルデザイン?」
下条にとっては新出単語だったか、疑問符を掲げて大場博士を見る。だが、それに答えたのはハロルド博士だった。
「金属組織、場合によっては原子配列その物を設計して生成する手法だ。特定の電磁波に対して特殊な反応をする材料を開発できる。未だ研究段階の筈だったが、ここでは実現しているらしいな」
「ああ。フラクタルデザインはα波の関連技術の開発には必要不可欠だ」
そうこうしている内に、陽介のアイドリングαフィールドのデータはLaplaceで解析、それに合わせたフラクタルデザインが設計されていく。無論、Laplaceで解析した結果が常に安定して得られるとは限らない。出来るだけ長時間のデータを蓄積、解析してフラクタルデザインに反映しなければならなかった。
 「………しかし、凄いな」
大場博士はスクリーンを見上げたまま唸った。
「私の時の7、8倍は強い反応だ。まだ若い脳だったことがこの結果を招いたか、他に我々の見落としている要因があったのか………」
「そんなに凄いのですか?」
波形を眺めても、ハロルド博士にはそれがどの様に凄いのかは見当が付かない。大場博士の波形を見たことがあるわけでもない。
「人工α波ブースターの核になるフラクタルデザイン材料の調整次第だが、ブースター未装着状態のスイシーゼのレベルに達するかもしれない。データ解析にDiracも動員した方がいいか?」
現在第6世代型コンピュータ2号機であるDiracは、ハロルド博士達がスイシーゼの脳から摘出したProject Alternative IIIの機密文書の解読に当たっている。
「………このまま研究が順調に進めば………陽介君が戦力になる………」
呆然と見つめるハロルド博士の言葉にはしかし、幾許かの戸惑いがあった。その戸惑いは、おそらく全く湾曲されることなく大場博士に伝わっている。
「おそらく戦力にはなるだろう………。バイオニックウェポンに対しては並の自衛官数十人分の働きを一人でまかなえるはずだ………。しかし………、歯痒いものだな………」
大場博士は呟き、スクリーンの端に映されている陽介の実写映像に視線を移した。スクリーンの向こう側の陽介は、何事も無いかのように静かな寝息を立てていた。

Scene-3. 国立重科学研究所・A棟客室

 「ただいま」
陽介は一言だけ言って客室のドアを開けた。違和感を感じる。いつも飛び出してくるスイシーゼはベッドの上でこちらを見つめているだけ。
 無論、陽介にその理由が分からないわけはない。彼はスイシーゼに隠し事をしている。それに気付かないスイシーゼではないのだ。
「おかえりなさい」
静かに呟くスイシーゼ。その背後の大きな窓から見える景色は紅く色付いていた。南向きの窓に直接夕日が射し込むことはなかったが。
「ずっと、大場おじさんと一緒だったんだね」
その言葉に、陽介の肩が震えた。無駄だと分かっていても一瞬目を閉じて、心を落ち着かせる。表面上の平静を装ったところで、スイシーゼの感覚をごまかすことは出来ない。
「どうしてシーゼに教えてくれないの?」
「夕飯食べに行こうか」
陽介はスイシーゼの言葉には答えずに言った。
 沈黙が流れた。スイシーゼの視線が陽介の瞳を射抜く。責めている視線ではない。疑っている視線でもない。哀願するような、切なげな視線。陽介は次第に大きくなる動悸を必死で押さえる。
 「うん」
スイシーゼは唐突に視線を逸らして頷いた。それが夕食に誘った陽介の言葉への回答であることに、一瞬陽介は思い至らなかった。陽介はとりあえずスイシーゼの追求を逃れた安心感にため息を付くと、立ち上がったスイシーゼの手を取って部屋を出ていった。

Scene-4. サンローザ厚木・陽介宅

 その部屋にはもう暫く人の気配がなかった。鍵が閉められたまま開くことのない玄関。雨戸代わりのシャッターも下ろされて暗い。
 電話の呼び出しが鳴った。無論、取るべき部屋の主はいない。電話はきっかり5回の呼び出しベルを鳴らした後、留守番電話に切り替わる。
『はい。衿岡陽介です。現在外出中です。ご用の方は発信音の後に御用件を録音して下さい』
自分で作ってあるだけましな通り一遍のアナウンス、その直後に発信音が鳴った。電話の向こう側にいるであろう相手はため息を付いたらしい。息遣いの音が小さく聞こえる。
『陽介、聞いてるか? 衛藤だ。もう2ヶ月近くなるぞ。何があったのか知らないけどさ、顔出せよ。みんな心配してるぜ。じゃあ、また連絡する。これ聞いたらお前も連絡くれよな』
相手は、それだけ言って受話器を置いたらしい。留守番電話の録音中をしめすLEDが消えた。
 部屋に訪れたのは、静寂だった。

Scene-5. 1999年7月3日 土曜日 国立重科学研究所・A棟客室

 窓から朝を告げる光が射し込んでいた。直接差し込んでいるわけではないが、夏に入った日差しは暖かかった。
 目覚まし時計が鳴る。その直前に目を覚ましていたらしい陽介は、別段驚きもせずにフリーになっている右手で止める。動き出した陽介に気付いたか、左腕にしがみついて寝息を立てていたスイシーゼがもぞもぞと動き始める。ややあって眼を擦ると、ゆっくりと体を起こす。
「もう、朝?」
聞かなくても分かるようなことを呟く。陽介はベッドの上で半身を起こすとスイシーゼの頭に左手を乗せた。スイシーゼは一瞬だけ視線を陽介の左手に飛ばしてから、不意に陽介の身体に抱きついた。
「………今日も、出かけるの? シーゼはお留守番?」
肩が震えている。捨てられた子犬のような気配が陽介の肌越しに伝わった。
「ああ。今日も、ゴメンな」
陽介はスイシーゼの背中を軽くたたくと呟く。
「うん」
スイシーゼは静かに頷いた。

Scene-6. 国立重科学研究所・本部棟第6大場研究室

 陽介を被験者にした研究は今日から第2段階に突入しようとしていた。
 生体電流を感知しやすい様に全身を覆うセンサースーツを着ている陽介は、今日からの研究内容を大場博士から聞いている。その背後にはハロルド博士と下条の姿もあった。スイシーゼの姿は、ない。
 「一昨日の調査で陽介君はかなりのレベルでα波特殊能力を励起されていることが分かったのは言ったな? 昨日までの調査で陽介君の能力を発現させる人工α波ブースターの核になる部品の設計も終了、現在はその雛形が完成している」
バイオニックウェポン対策に特化しているNSTLをして始めて可能な研究速度だった。新世紀科学研究所ではこうはいかない。大場博士は壁の向こうの被験者室を指さして続けた。
「被験者室の方にブースターは既に用意してある。すぐにでも実験に入れるが、その前に一つだけ約束してくれ」
大場博士の指に導かれるように被験者室を眺めていた陽介は怪訝な表情を帰した。視線の先の大場博士は今まで以上の真剣な面もちで陽介を見つめている。
「人工α波は、ブースターに内蔵された励起システムから発せられる、専用に調整された特殊な電磁波で陽介君の潜在α波能力引き出すことによって実現される。つまり常に身体に無理を掛けているということを忘れないでほしい」
大場博士はそこで一息ついた。陽介は小さく頷く。
「約束の日まで一ヶ月を切った。たしかに時間はない。だが、無理をして陽介君が廃人になってしまっては元も子もないからな。虚脱感や浮遊感、極端な吐き気がしたら直ぐに言ってくれ。つまりそれは励起システムが完全には陽介君にシンクロしていないということで、危険な状態なのだ。分かったね?」
「はい」
陽介は短く答えて、被験者室への扉へ向き直った。
 その陽介の肩をハロルド博士が叩く。陽介は静かにハロルド博士に振り返った。
「なんですか?」
ハロルド博士は一呼吸おいてから言う。
「その、スイシーゼには、まだこの事、陽介君が人工α波の研究の被験体になっていることを伝えてないのか?」
陽介の肩が小さく震えた。その様子だけで、ハロルド博士は答えを察したらしい。
「そうか。まだ伝えていないか」
「教えたくないんです」
陽介はハロルド博士から目をそらして呟いた。
「俺がここでこんな事をしているって知ったらあいつ、きっと苦しむと思う。自分が大場博士の言う事を聞かなかったから、俺がやってるって、勘違いするだろうし………」
「しかし………」
ハロルド博士はそれだけ言って言い淀んだ。陽介は構わずに続ける。
「本当は、俺自身どうしていいか分からないんです。でも、じっとしてられない。俺が何かすることで、あいつが守れるなら………多分それだけだと思う………」
「陽介君………」
陽介は絶句しているハロルド博士に小さく微笑むと、再び被験者室へと向き直った。
「大場博士、はじめましょう。時間がないんでしょ?」
「ああ。頼む」
大場博士は頷くと、スクリーンの正面に立った。その表情に悲壮とも言える気配が見て取れることは、ハロルド博士の目には一目瞭然だった。

 ───きっと彼も、罪の意識に苛まれている………滝川博士がそうであったように、自分たちが生み出した技術が牙をむいている現実を後悔している………
ハロルド博士は大場博士に視線を向ける。ダルシィ基地を脱出して以来、おそらく大場泰治は笑顔を失っているだろう。被験者室に入った陽介に視線を向ける。

 ───陽介君にもそれが分かっているか………だが、彼は滝川博士も大場博士も責めることは出来ない………それはスイシーゼの存在を否定することに他ならないから………
陽介から視線を逸らし、スクリーンを見上げる。

 ───もしかすると………今ここで最も悲壮な覚悟を決めているのは………

 「実験第2段階を開始する」
ハロルド博士の思考は、大場博士の一言によって掻き消された。既に彼に出来ることは陽介を見守ることだけになっていた。

Scene-7. 1999年7月4日 日曜日 国立重科学研究所・本部棟第2管制脳室

 本部棟第2管制脳室は第六世代型コンピュータ2号機であるDiracを管理、操作する部署である。現在Dirac はNSTLの平常業務から切り離され、Project Alternative IIIの機密文書の解析に割り当てられていた。
 人間の脳を模して製造された“思考するコンピュータ”である第六世代型は文字通り解析班のメンバーを強力にバックアップする。とは言っても、暗号化だか圧縮だか掛けられているデータを解きほぐすのは、正解が分かっていない以上手当たり次第行って場合分けしていくしかない。相手が通常のノイマン型コンピュータを使ってくれている限りは互換性の全くないシステムというのも考えづらいが、相手のコード体系も分からない、暗号化の手法も圧縮手法もわからないでは見当付けて手当たり次第いじくり回す以外に方法はなかった。データの先頭、ヘッダー部分に固有の文字列があればそこから推論することも可能だろうが、ヘッダーを解読するためのデコーダーが他に必要となるのならば事態は複雑怪奇な物となる。唯一の救いは、相手が動作原理も設計思想もまったくことなる可能性がある宇宙人ではない、と言うことか。
 そしていつ終わるとも知れない解析作業は新世紀科学研究所のメンバーがNSTLに到着してProject Alternative IIIのデータを持って来た6月30日から今日まで不休で続けられていた。
「次行くぞ、メソッド228から578までの組み合わせ、Diracに放り込む」
オペレーターの一人から声が挙がった。解析班のチーフらしい。Diracは登録された古今東西の暗号化、圧縮手法の組み合わせを試し、可読文字列の比率を確認する。同時に並行してデータの出現頻度からの推論も行う。思いつく限りの手法が手当たり次第試される。
 Diracが処理を始めてから、オペレーター達の頭上にあるスクリーンには可読文字列の全体に対する比率がリストアップされる。そのほとんどが1パーセントに及ばない物だった。だが………
「来た!!」
スクリーンを見上げていたオペレーターが叫んだ。今までの可読文字列の比率のトップを大きく越える数字が画面に現れる。
「よし! 現在のメソッドパターンを元に全データのデコードを試行する! どうせ読めやしないんだ、期待すんなよ!」
幾度と無く交わされた冗談が本部棟第2管制脳室を響かせた。

Scene-8. 国立重科学研究所・本部棟第6大場研究所

 昨日から第2段階に入った人工α波の研究はなおも続けられていた。
 現在行われているのは、人工α波ブースターからの特殊な力場で励起された陽介のα波を、彼自身が知覚し、操るための初期段階である。大場博士はその段階を“構成訓練”と呼んでいた。
 かつてダルシィ基地の地下で研究されていた当時の成果で、α波能力はαフィールドのみで、他の能力はその派生でしかないという“α波特殊能力の等価性”が示されている。α波能力を自分の思い通りに扱うためには、その結果を想像するのだそうだ。想像した結果を構成する事によってα波能力を使い分けるのである。今現在の陽介の能力のレベルは、やっとα波能力を知覚できた程度、構成を練るには未だ経験不足であった。
 「さあ、もう一度、落ち着いていこう」
『はい』
被験者室から短い陽介の声が届いた。
 被験者室にいる陽介の目の前、3メートルほど離れたテーブルの上にタバコが一本立てられている。陽介はそのタバコに集中した。自分の目の前で、タバコが倒れる様を構成する。 だが、すぐに霧散してしまう。集中しているようで雑念の割り込みが激しい。
『もう一度いきます』
大場博士達にしてみればもう一度も何も分からないのだが、陽介は自分に言い聞かせるためかそう告げた。再び視線がタバコに吸い付けられる。
 『………!!』
その瞬間、激しい嘔吐感が全身を駆け抜けた。力任せに腹筋が縮む。脂汗が吹き出し、奥歯が鳴る。胃の中身が一気に掛け上ってくるどうしようもない違和感が駆け抜けた。その様子は大場博士達にも直ぐにうかがい知れた。
「ブースターの電源をカット! 急げ!!」
「ブースター接続解除します!」
叫んだ大場博士に答えて、オペレーターはコンソールパネルの緊急停止スイッチを殴りつけた。万が一の暴走の時も問題なく切断できるように、単純な機械式のスイッチである。その瞬間、陽介の身体が糸の切れた人形のように力を失った。肩で息を続ける。
「大丈夫か!? 陽介君!?」
陽介の返事は暫く帰ってこなかった。必死に息を整える姿が痛々しい。
 大場博士は陽介の様子が安静に向かっているのを見て取ると、すぐさま次の命令を飛ばした。
「データはLaplaceに送ってあるな!? すぐにフラクタルデザインの再構成に入れ! 次のサンプルが完成するまで実験は凍結する!」
そこまで叫んで、大場博士はガラス越しに陽介に向き直った。
「そう言うわけだ陽介君。今日はここまでにしよう。休んでくれ」
『分かりました………』
陽介は全身でため息を付くように大きく深呼吸して答えた。

Scene-9. 国立重科学研究所・A棟客室

 「あ、今日は早かったんだね!」
部屋のドアを開けた途端、弾んだスイシーゼの声が響いた。研究を始めてからの陽介は出かけるのは8時、帰ってくるのは18時という生活を続けていたため、予想外の早い帰りに喜んでいるらしい。
「ああ。今日は早く終わったんだ」
陽介は未だに少し軋む胃を押さえながら笑う。
「どうしたの? 体、痛いの?」
スイシーゼは座っていたベッドから慌てて駆け付ける。押さえている腹部に一瞬視線を飛ばして、心配そうな表情を向けた。
「大丈夫だよ。すぐによくなる」
「ほんと?」
小さく首を傾げる仕草が可愛らしい。陽介は答えるように小さく微笑んでベッドに腰掛けた。その陽介に、突然スイシーゼが飛びついた。首に腕を回して抱きしめる。
「今日はもう一緒にいられるんだよね? シーゼお留守番じゃないよね!?」
「ああ。今日はもう一緒だよ」
陽介の言葉に、スイシーゼは微笑んで体を放した。

 その時を待っていたかの様だった。突然の所内放送が短い呼び出し音の後に響きわたる。
『第2管制脳室より緊急連絡! 第2管制脳室より緊急連絡! 大場博士、及び新世紀科学研究所の関係者の方々! 至急本部棟第1会議室にお集まり下さい! 繰り返します!』
よほど焦っているのか、放送は3度も呼び出しを繰り返す。大場博士、そしてハロルド博士を始めとするNSTLに来ている新世紀科学研究所の関係者───陽介やスイシーゼも含むのだろうが───全員に召集を掛けている。それだけで何が起こったのかは予想できた。第2管制脳室のスタッフに召集命令を掛ける権限が与えられる、今現在考えられる事態はただ一つ。
 陽介は勢い良くベッドから立ち上がった。スイシーゼが驚いて陽介を見上げる。スイシーゼには未だに何が起こったのか理解出来ていない様だ。
「どうしたの?」
「呼び出しが掛かったろ? 行って来るよ」
スイシーゼはきょとんとしたまま───今の放送が自分たちも含んでいることまで考えが及ばなかったのだろう───視線だけで疑問符を掲げる。
「シーゼも行っていいの?」
その言葉に、陽介は一瞬だけ考えてから答えた。
「ゴメン。待っててくれるかな?」
スイシーゼは暫く沈黙していたが、ややあって渋々と頷く。陽介はその様子を確認すると部屋を飛び出していった。

Scene-10. 国立重科学研究所・本部棟第1会議室

 50階建ての高層建築である本部棟、その40階にある第1会議場は国会議事堂とのホットラインを開く事も可能な国際会議場である。
 その第1会議室に局長以下、バイオニックウェポン対策局の首脳スタッフ、技術顧問である大場泰治博士、招かれている形のハロルド博士以下新世紀科学研究所のスタッフ、そして陽介が集まっていた。
 陽介は首脳スタッフの末席に座る大場博士と新世紀科学研究所スタッフの上座に座るハロルド博士の間に座っていた。流石にこの顔ぶれの中にあると自分が場違いな場所にいるような気がしてならない。だが、第2管制脳室のスタッフの他には陽介の存在を疑問視する者はいなかった。常にスイシーゼと共にあった陽介は、新世紀科学研究所スタッフからしてみればここにいるのが当然。首脳部のスタッフから見ても、大場博士の研究の大切な被験者として博士自身が認めていれば問題はない。
 第2管制脳室のスタッフは召集したメンバーがあらかた揃ったのを確認すると、上座に座っているバイオニックウェポン対策局局長、神崎重蔵に視線を飛ばした。局長は見る限り年の頃は50歳ほど、科学者の風ではないが、全権を任されている人物である以上は何かの専門分野を持っているか。年の割にはがっしりした体格で、背も丸くなっていない。
 局長は直前に説明を受けていたか、承知している風で立ち上がる。
「皆に集まってもらったのは他でもない。今現在我々が対抗しようとしている謎の敵組織、及び敵組織の計画の全容が明らかになったためだ。無論、これから第2管制脳室のスタッフに報告してもらう全ては最重要機密事項である」
局長はそこまで言うと、視線を新世紀科学研究所のスタッフから最後、陽介へと向ける。
「BC-H204の保護に対して多大なる貢献のあった新世紀科学研究所のスタッフの方々、そして衿岡陽介君。これからここで公開される最重要機密事項に触れた時点で君達はこのバイオニックウェポン対策局の正式スタッフとして登録、その権限を得ると共に、身柄の完全な拘束を受けることになる」
局長はそこで言葉を切って、新世紀科学研究所のスタッフと陽介に視線で確認を取る。そのまま続けた。
「最重要機密事項の外部への漏洩は常に命を持って罰せられることになる。無論、外部との連絡も全てモニターされ、プライバシーの一部は完全に剥奪される。君達は今のところ民間人だ。ここで意思の確認をしよう」
局長の視線はまずハロルド博士の方に向いた。ハロルド博士は全てを予想していたか、別段驚きもせずに立ち上がる。
「我々の意志は、対策局に足を踏み入れた時点で決まっています。それに覚悟の無かった者は新世紀科学研究所へ残してきました。ここに来たスタッフは私を始め、皆がこうなることを予測していました。全て問題ありません」
ハロルド博士は淀みない声で答えた。新世紀科学研究所のスタッフもその全てが対策局に来ているわけではない。陽介の知らないところで彼らはそれなりの話し合いをしていたらしい。対策局の存在を知ってから出発までものの3時間程度しかなかったはずだが。
 局長は頷くと、今度は視線を陽介に向けた。
「衿岡陽介君。BC-H204の保護、203との接触に関して君の多大なる貢献は大場博士から聞いている。今現在大場博士の研究の被験体になっている以上ある程度の拘束は免れ得ないが、君の意志はどうだろう?」
陽介は局長の視線を真正面から見つめ返す。
「君はまだ学生だ。大場博士の研究と204の情操面のみを考えるのなら君の存在は我々にとって必要不可欠だが、逆に考えればそれだけのこと。今ここで君が無理をする必要はない。この場で深入りすることを拒否すれば監視付きでではあるが元の生活に戻してあげられる。早まらないで考えて欲しい。今は答えを保留するという判断も可能だが?」
局長は民間人の一青年でしかない陽介がここに座っている異常な事実に慎重になっているのか、それとも彼自身の年齢から見れば子供のような歳でしかない陽介を単純に巻き込みたくないのか、強制力のない物言いで告げる。
 陽介は一呼吸おいて答えた。
「きっと、あいつらと戦う力はここにしかないんでしょうね」
「ああ。その為の対策局だ」
局長は突然関係ないことを言い出したかのような陽介の言葉に、しかし正面から真剣に答える。
「なら、理由はそれだけで充分です。僕はここに残ります」
局長は暫く陽介の視線を見つめてから、おもむろに深呼吸した。
「わかった。君達を対策局の正式スタッフとして登録する。後戻りは許されないので覚悟を決めるように」
局長はそれだけ言うと、背後の壁際に立っている第2管制脳室のスタッフに視線を向けた。
「では、始めてくれ」
「始めさせていただきます」
スタッフは軽く会釈すると手元のリモコンのスイッチを一つ押した。その途端、第1会議室の全ての窓にシャッターが下ろされた。それと同時に壁一面の巨大なモニターに灯がともった。

Scene-11. 国立重科学研究所・A棟客室

 客室に一人で残っているスイシーゼは、ベッドの上で膝を抱えていた。視線はうつろに宙をさまよっている。だが、スイシーゼの意識が薄れているわけではなかった。逆にシャープになっているか。スイシーゼはアイドリングαフィールドをA棟全体を越えて本部棟のほとんど全てを包み込む規模に展開していた。無論、高層建築50階建ての本部棟を包み込む大きさであれば、その周りにあるB棟、C棟、及びD棟も範囲内に入る。
 その中に活動している人間の数は、人選の関係で極端に多くはないとは言え、決して少ない数ではない。だが、スイシーゼはその中から特定の人物、陽介の気配だけを追い続けていた。
 彼は今、スイシーゼの展開するアイドリングαフィールドの最も外側にいる。陽介の気配を追って大きく展開していくと本部棟のほとんどが入ってしまったと言う方が正確ではあったが。
 その中で、陽介の気配は今までにない緊張に包まれていた。その緊張が何を意味することなのか、そこまでのことは分からない。ただ、緊張している、その事実だけが波動として伝わってくる。
 「………陽介ぇ………」
スイシーゼは押し殺したような声音でそっと呟いた。αフィールドが他人の感情を知覚するだけでなく、自分の感情を伝えられればいいと漠然と考えながら、スイシーゼはそっと目を閉じた。何よりも辛い“孤独”という敵がスイシーゼの心を徐々に侵食していた。

Scene-12. 国立重科学研究所・本部棟第1会議室

 「古今東西の圧縮、暗号化技術、そのバリエーションも含めると数万から数百万通りのメソッドをDiracに登録、調査を続けた結果、新世紀科学研究所においてBC-H204の脳から摘出されたデータの解析に成功しました。これがその結果です」
第2管制脳室のスタッフがリモコンを操作すると、画面にデータの表題になる文字が表示された。

 『Project Alternative III the final report』

 ───第三の選択計画最終報告………
陽介は表示された文字を直訳して脳裏に響かせた。新世紀科学研究所で分かったMARS計画とは違う、本物の計画。
「機密文書に示されている内容は、以前に局内に配られているBC-H204の脳から摘出されたMARS計画の補間をする内容の物です」
スタッフはそこまで言うと、モニターの表示を切り替えた。そこには“MARS計画における疑問点”と表されて、幾つかの項目が示されていた。
「まず、補間版MARS計画、以下PAIIIと言いますが、その中心機関です。機密文書ではNOAHと示される超法規組織、以前から存在は確認されていましたが、その一部と思われる内容が示されています」
再びモニターが切り替わる。
「NOAHはクラントンと呼ばれる、おそらく独裁的な権力者の手によって運営されています。クラントンに関しては残念ながら特別な解説はありません。これはかねてよりのJCIAの捜査と同じく、資本主義経済の裏の立て役者と呼べるほどの巨大な組織で、アメリカ合衆国は軍事機構のみ成らず、政治機構の全ても掌握されている模様です」
「大統領選挙は茶番か」
首脳スタッフの一人から発せられた一言に、スタッフは小さく頷いた。
「そのNOAHが推進する計画PAIIIは、不思議なことですが、今年の8月2日、午後6時にポールシフト、地軸移動が起こって地球が壊滅的打撃を受けることを予定未来として計画されています。PAIII文書ではこのポールシフトによって起こる破局をM-インパクトと称しています」
「原因は記載されていないのか? 結果だけが知らされても防ぎようがない」
首脳スタッフの言葉に、しかし第2管制脳室のスタッフは苦汁をなめる表情で頭を振った。バイオニックウェポン対策局の首脳陣が揃って厳しい表情をする。
 そこに突然発言したのはハロルド博士だった。
「1999年8月2日午後6時の地軸の移動、その情報は古くから言われています」
「と言うと?」
神崎局長は興味を示したか、ハロルド博士に発言の続きを促した。ハロルド博士は一瞬言葉を選んでから続けた。
「これは非常に非科学的な見地からの発言ですから、御承知願います。1999年8月2日午後6時という数字は、割腹自殺した三島由紀夫の霊魂が起こしたと言われている自動書記、自分の意志に関係なく自動的に絵や文章が出来る現象ですが、それに見られます。自動書記による警告では、破局は環境破壊が原因であるとされています」
「非常にオカルト的な話ですな」
大場博士はハロルド博士と陽介を挟んだ席で腕組みしたまま言った。そのまま続ける。
「だが、三島由紀夫、M-インパクトのMが“Mishima”のMだとすれば辻褄は合います」
「しかし、環境破壊が原因なら温暖化やオゾンホールの増大で我々に既に牙をむいている。地軸移動などという大きな物理現象を伴うとは考えづらいが?」
首脳スタッフの言葉に、ハロルド博士は苦笑いを返して答えた。
「我々新科研としてもその見解に同調しています。しかし、逆に環境破壊が原因で地軸移動が起こるなら、それは地球の新陳代謝作用だとも考えています」
「我々人類は病原体か」
「古くから地球を一つの生命体、ガイアとしてとらえる考え方は根強く残っています。NOAHを名乗る組織がその手の考え方の組織、俗な言い方をすればカルト宗教的な組織であれば考えられないことではありません」
 「わかった」
神崎局長は首脳スタッフとハロルド博士の討論になりかけている会議場を見回して一言だけ発した。注目が自分に向いたことを確認すると続ける。
「現在のここでの討論は推測でしかない。今必要なのは事実だという観点に立って進もう。次を頼む」
 今まで黙っていた第2管制脳室のスタッフが、軽く頷いてからモニターを切り替えた。
「我々としては極めて重要なことの一つに、相手組織の戦略が挙げられます。そのNOAHが取る戦略の概要を説明します」
モニターの表示は世界地図になっていた。主要都市、主要軍事施設がマーキングされている。
「NOAHの戦略の第1段階は、各主要都市、主要軍事施設へのバイオニックウェポンによる総攻撃、とされています。予定戦略開始時期は、7月15日!」
その言葉に、会議場は騒然となった。
「猶予は二週間もないと言うのか!?」
いくら厳選された首脳スタッフといえども、この事態のあまりの危機的状況に浮き足立つ。中には軍関係者もいると言うのに、である。
 神崎局長はざわめきの止まらない会議室を見回し、静かに一言だけ発する。
「続けてくれ」
その一言で会議室は静まり返った。
「NOAHは各国がバイオニックウェポンとの交戦中にM-インパクトが起こることを想定しています。交戦中の混乱と地軸移動の破局によって、地球上の人類に対抗する力をなくさせるつもりのようです」
「奴らの、NOAHの最終目的は人類全ての支配、か」
「そう言うことになります」
神崎局長の言葉にスタッフは小さく頷いてから続けた。
「攻勢は全てバイオニックウェポンBW-A型とBW-H型の混成部隊で行われると記載されています。BW-A型が実働部隊、BW-H型が司令塔の役目を果たす模様です」
その瞬間、大場博士の肩が大きく震えた。神崎局長はその様子に気付いていたが、全ての報告を先に進めるためにスタッフに次を促す。
「バイオニックウェポンとの交戦と、地軸移動によって力をなくすであろう我々を、NOAHは火星を拠点に支配することが記されています。合衆国による火星探査計画は情報を捏造されて我々に公開された様で、火星の環境は土の酸化が激しいことだけがことなる地球型のようです」
スタッフはそこまで告げると、リモコンのスイッチを数個操作した。その途端、モニターは消去され、閉められていたシャッターが開いた。
 「これが今回の解析によって得られたPAIIIの概略です。詳細はDiracの管理下のサーバーに記録しておきます。パスワードは“mishima”でよろしいですね?」
「ああ。頼む」
神崎局長は短く答えてから会議場を見回した。
「今回の報告について、質問はないかね?」
その言葉に、首脳席の末席から手が上がった。神崎局長は少し意外そうに眉をひそめると言った。
「衿岡君、質問をしてみたまえ」
「はい」
陽介は静かに立ち上がると第2管制脳室のスタッフに向き直った。
「滝川博士と大場博士の研究について、BC-H型の研究のPAIIIでの位置づけがどんなものなのか、記載はありましたか?」
スタッフは、神崎局長も首脳スタッフも、その一言だけで陽介が全てを捨ててまで対策局に残った理由を察したらしい。神崎局長は小さな微笑みを顔の下半分を隠す様に組んでいる手の裏側に隠して、スタッフに告げた。
「それに関しては私も知りたいな。どうなのかね?」
スタッフはしかし、厳しい表情を張り付かせたまま頭を振った。
「記載は、全くありません」
「そうか………」
神崎局長はいささか落胆した風に呟くと続けた。
「そういうことらしい、衿岡君。現在の我々の統一見解で、BC-H型の研究はバイオニックウェポン開発の基礎研究だったとしていることに変わりはないようだ」
「わかりました………」
陽介は短く答えると椅子に深く座り込んだ。
 期待していなかったと言えば嘘になる。スイシーゼやシェネラの存在理由、少しでもバイオニックチャイルド達が救われる様な存在理由を探したかった。
 神崎局長は落胆しているらしい陽介の様子を気にしながらも、会議を次に進めなければならなかった。会議場の一同を見回して質問がないことを確認すると、その視線を大場博士に向けた。
「大場博士、君はBW-H型に心当たりがあるようだが、君の報告には記載されていない。何か知っているのならここで教えて欲しい」
大場博士は苦渋に満ちた表情のまま立ち上がった。一同を見回してから、視線を神崎局長に向ける。
「これは、推論の域を出ないものです。私がかつて故滝川俊博士とダルシィ基地の地下で研究していた当時、既に成人した人間の細胞に調整因子を強制的に作用させ、バイオニックチャイルド化する案が上層部から示されました」
大場博士はそこまで言って軽く深呼吸した。
「無論、そんな危険な研究を滝川博士も私も承諾できるわけがなく、その案は我々の段階で技術的に不可能であると却下しました。しかし、NOAHは既にバイオニックウェポンの技術を確立し、徐々に完成度を高めてきています。その技術力とデータが背景にあれば、彼ら自身の手でその案を実行に移すことも可能でしょう」
「つまりNOAHは、人間を、兵士をバイオニックウェポン化して投入してくる可能性がある………」
「そういうことになります。ただ単にBC-H型をベースにしたバイオニックウェポンとも考えられますが、成長に時間の掛かるBC-H型では実戦投入に手間取るでしょうから、可能性としては低いと思われます」
神崎局長の言葉に、大場博士は苦渋に満ちた表情を崩すことなく答える。
「人間のバイオニックウェポン化に成功した場合、利点は多々あります。あくまで完全にバイオニックウェポン化できればという大前提付きではありますが、動物型に比べてα波制御能力に長けていることが考えられます。また、単純な脳内蛋白量の多さから活動時間の長時間化、最悪の場合アブソリュートαフィールドの使用も考えられます」
「今までの対策では歯が立たないレベルに達しているな」
首脳スタッフの一人が発した言葉に、大場博士は小さく頷いた。そのまま解説を続ける。
「現在開発している対αフィールド用三式弾ではBW-H型には役不足です。かと言って疑似αブラストも疑似αフィールドも完成のめどは立っていません。現在企画段階にある“αキャノン”と“局地戦核元素115番”の開発を急がねばならないでしょう。αキャノンの方に関しては陽介君の人工α波が完成しなくては研究にも入れませんが………」

大場博士の解説はなおも続いた。しかし陽介の耳には既に何も入ってこなくなっていた。目の前が真っ暗になるような感覚が彼を包み込み、苛んでいた。

Scene-13. 1999年7月6日 火曜日 国立重科学研究所・本部棟第6大場研究室・被験者室

 前回の実験で得られたデータを元に再び再構成をかけられたフラクタルデザインは、その明後日であるこの日に完成していた。陽介の脳、そしてα波に対して特化したフラクタルデザインとしての完成度は高まっているはずだ。
 そのフラクタルデザインを核にした実験装置に再び陽介が座っている。以前より幾分リラックスしている面もちで。フラクタルデザインによって強制的に解放されたα波に対する拒絶反応を経験した陽介は、それに対して恐怖するより逆に、いち早く覚悟を決めることに成功していたらしい。なにより、リラックスしている状態はα波制御に適しているのだから喜ぶべき結果といえたが。
 実験の方法は前回と同じ。3メートルほど離れた場所に置かれているテーブル、その上に立てられたタバコが倒れる様を構成する。
 だが、以前とは明確に違う何かを陽介は感じていた。手応えというか、構成を練ると眉間の直前の空間に何か熱のようなものを感じる。
 陽介は一瞬だけ深呼吸すると、再びタバコに集中した。眉間の直前に何かを感じる。と、突然タバコの像が大きくなった。目では3メートル先にあるタバコが、感覚では目の前に立っているように錯覚する。
「なっ!?」
陽介は未だかつてない感覚に驚き、目の前のタバコを振り払うように右手を振った。その瞬間、テーブルに立てられたタバコは陽介と反対側の壁まで勢いよく吹き飛んでいた。

Scene-14. 国立重科学研究所・本部棟第6大場研究室

 「成功か!?」
研究室から被験者室の様子を確認した大場博士は叫んだ。その後ろからハロルド博士と下条がモニターをのぞき込む。タバコはテーブルから陽介とは反対側に飛んでいた。無論、右手で振り払える距離ではないし、腕を振って生じた風圧ごときで飛ぶような質量でもない。それでも、タバコは2メートル近く離れている壁に一直線に叩き付けられていた。

Scene-15. 国立重科学研究所・A棟客室

 その時、客室からアイドリングαフィールドを展開して陽介の姿を追っていたスイシーゼは、陽介から発せられる波動の明確な変化に気づいた。今まで気が付かなかったのが不思議な程に、陽介の体からα波を感じる。
「………陽介!?」
スイシーゼはベッドから跳ね起きると一目散に駆け出した。陽介が部屋から出て今いるところまで、ずっと追っていたから道順はわかる。
 何より確認したかった。知りたかった。もう知らずにはいられない。今、陽介が何を考え、何を成そうとしているのか。もう待っているだけでは気が済まなかった。今はただ、すべてが知りたい。ただ、それだけ………
 「陽介………!」
スイシーゼはエレベータに隣接する非常階段へと駆け込んでいた。

Scene-16. 国立重科学研究所・本部棟第6大場研究室

 被験者室の陽介が必死に息を整えている様が見て取れた。大場博士は陽介が落ち着くまでたっぷりと待って、静かに言った。
「大丈夫か? 陽介君?」
陽介の答えはしばらく返ってこなかった。荒い息づかいだけがマイクを通して聞こえてくる。
 だが、大場博士は陽介をせかすことはせずに待っていた。彼も経験したことがある。今までになかった新しい感覚を受け入れることは、身体的にも精神的にも簡単なことではない。とくに精神的には発狂のおそれもある。
 陽介の息づかいが収まってきた。それと同時に陽介は被験者室の備え付けられているカメラに向かって視線をあげた。
『成功したんですか………?』
「ああ」
陽介の問いに大場博士は一呼吸おいてから答えた。
「目指していた結果とは少々違う結果となったが、構成訓練の第一段階はクリアということだな。どうだ? 新しい感覚を手にした感想は?」
陽介からの答えはしばらく返ってこなかった。モニターの向こうで、陽介は自分の右手を見つめている。
『よく、わからないです………』
再び視線をカメラに向ける。
『タバコに集中してたら急に目の前にあるように感じて………驚いて振り払おうとしたんです………』
「なるほど、振り払った結果がこれか」
大場博士は微笑を浮かべて言った。結果的には構成した通りの現象だったというわけだ。
「どうする? 一休みするか?」
『いえ、続けてください』
陽介の答えは間髪入れずに返ってきた。
『何となく分かりかけてきたところなんです。忘れないうちに』
「分かった」
大場博士は言うと、スタッフの一人に右手だけで指示を出した。
「いきなり第二段階というのも無理な話だ。まずは少しずつ出力を上げていこう。ターゲットの質量を変えるぞ」
『はい』
陽介が答えるのと同時に、被験者室に入ってきたスタッフがアルミニウム製らしい固まりをテーブルに置いた。

Scene-17. 国立重科学研究所・本部棟第6大場研究室前・廊下

 スイシーゼはやはり非常階段を一気に駆け上がって第6大場研究室の前まで来ていた。足音を殺して扉に近づく。目を閉じて聴覚を鋭敏にすると中の物音に聞き耳を立てた。
『いきなり第二段階というのも無理な話だ。まずは少しずつ出力を上げていこう。ターゲットの質量を変えるぞ』
大場博士の声が聞こえる。その後に短く何かが聞こえたが分からなかった。

 ───何を話してるの………? よく分からない………
『今度はさっきのタバコよりずっと重いからな。簡単には動かないぞ。ここから先は少しずつターゲットの比重を変えていくことで高出力訓練をする』
再び聞こえる大場博士の声。
───何の訓練………? 陽介は何をやってるの?
スイシーゼはそっと扉に耳を押し当てた。

Scene-18. 国立重科学研究所・本部棟第6大場研究室・被験者室

 陽介は椅子に深く座り直して深呼吸した。まだはっきりとはしないが、新しい感覚を使うために精神を落ち着かせる。しばらく目を閉じてから目の前のアルミニウム片に視線を飛ばした。
 構成する結果は、何より簡単な現象。ただ押しのける。結果としてタバコの時にそうしてしまった様にアルミニウム片を押しのけることだけを構成する。
 何となくは分かっている。いくら視線で睨み付けたところで、それは標的に対して測的しただけにすぎない。現象を引き起こす、意志の力で物理現象を呼び起こすには新しい感覚で標的を“視る”ことが必要になる。
 陽介はフラクタルデザインを通して発生する電磁波で励起されたα波を、新しい感覚に結びつけるべく集中した。視界が靄がかかったようにぼやける。だが感覚では知覚していた。知覚の中心にアルミニウム片がある。まだ集中が足りない。タバコを振り払ったときのように目の前にあるような感覚を得られなければ構成は物理力にならない。
 さらに集中を高めていく。その瞬間、感覚で知覚している端に別のものを感じた。
───なに………!? これは………!!
自分でもよくは分からない。だが、何かが自分を“視て”いる。明確な意志の流れを感じる。言いようのない不安に支配された意志の流れ。
───そうか……… この感覚なんだな………
本当に何となく、おぼろげに分かった。“感じる”と言うこと。“感じた”と言うこと。だが、それはその事実を認める、認めざるを得ないと言うことだった。

 ───あいつに………シーゼに知られた………!!
その瞬間、意識が弾けた。

Scene-19. 国立重科学研究所・本部棟第6大場研究室

 突然に被験者室を包んだ轟音と、そこで起こった現象に大場博士を始めハロルド博士や下条、その他のスタッフも息をのんだ。簡単には動かないと思われたアルミニウム片が轟音を立てて背後の、鉄筋コンクリートを対爆構造のセラミック複合材で強化した壁にめり込んでひしゃげていた。恐ろしいほどの威力で。
「陽介君! 陽介君! 返事をするんだ陽介君! 大丈夫か!?」
大場博士は取り乱して叫んだ。彼の経験上、暴走以外にあれだけの威力を出せる可能性はない。だが、今の未完成の陽介が暴走すれば、結果は火を見るより明らかである。
 すなわち、死。
 だが、陽介は答えずに、モニターの向こうで肩を上下させていた。荒い息づかいは先ほどと変わらずに聞こえてくる。どうやら、何らかの要因でただ勢い余っただけで暴走ではないらしい。
 『いるんだろ?』
しばらくすると、陽介は不意に呟いた。何のことか分からずに大場博士たちは顔を見合わせる。
『知られたんなら、もう隠さないよ。入ってきな。シーゼ』
「スイシーゼ!?」
ハロルド博士は驚いて、研究室の入口である扉に向き直った。その視線の先で、扉がゆっくりと開いていく。
 現れたのは小柄な少女だった。強く握りしめた両手が震えている。
 研究室を沈黙が満たした。その沈黙の中、スイシーゼは震える声を絞り出す。
「………どうして………?」
そして研究室の中心に立つ大場泰治をキッと睨み付ける。
「どうして!!」
大場博士は何も答えられずにスイシーゼの視線を静かに見つめ返した。スイシーゼはその視線を睨み付けたまま叫ぶ。
「どうして陽介がこんなことしてるの!? どうして大場おじさんが陽介にこんなことするの!? 陽介は普通の人間なんだよ! α波なんて使えるわけないじゃないっ!! こんなことしたら陽介が死んじゃうよ!!」
スイシーゼは両の瞳に涙をためて詰問する。だが、大場博士は静かに答えた。
「陽介君はα波を励起されている。スイシーゼが長い間彼の側から離れなかった為だ。だから陽介君には人工α波の研究に参加してもらっている」
その言葉にスイシーゼは息をのんだ。だが次の瞬間明確な怒りを大場博士に向ける。
「シーゼがαスーツ着るの嫌がったからって陽介を戦わせるの!? そんなのひどいっ! ひどすぎるよ!! おじさんなんか大っ嫌い!! 陽介を返して!!」
スイシーゼは髪を振り乱して絶叫すると、大場博士の広い胸を叩いた。力任せに叩いたのだろう。強化されたスイシーゼの筋力で叩かれた大場博士が苦痛に呻く。そのスイシーゼを下条が背後から取り押さえた。
「やめるんだスイシーゼっ!! 落ち着けって!!」
「放して! 陽介に、陽介にひどいことなんてさせないもん!!!」
スイシーゼは下条さえも弾き飛ばす勢いで暴れた。

 だが、そのスイシーゼを止めたのは陽介の一言だった。
『違うんだ。シーゼ』
「え………?」
動きを止めたスイシーゼは研究室の壁に視線を向けた。その壁の向こうには被験者室があり、その中には陽介がいる。そして陽介も視線をこちらに向けている。
『前に言っただろ? 自分で決めた自分にできる精一杯をやるって。これは俺自身の意志でしていることなんだ』
「でも………」
スイシーゼは壁を見たまま言いよどむ。陽介はその様子が分かっているのか、優しい句調で続ける。
『もちろん、シーゼがαスーツを着るのを拒否したからやってるんでもない。俺には戦わなくちゃならない理由があるんだよ』
「でもぉ………」
俯いたスイシーゼを気遣うように、陽介はモニターの向こうで微笑んだ。その姿が、静かに見守っていたハロルド博士の胸を締め付けた。
『ありがとうな、シーゼ。心配してくれて。今なら感じるよ、シーゼの気持ち。シーゼと同じようにα波を使えるようになったからね』
スイシーゼはもう一言も発することができなくなっていた。ただ無言で陽介の言葉を聞くしかなかった。
『俺、何だか寂しかったんだぜ。シーゼも、シェネラも俺の気持ちが分かるみたいなのに、俺はお前たちのこと感じることができなかった。だから、シーゼと同じ力が使えるってことが嬉しいんだ』
 スイシーゼの肩を、大場博士が優しくつかんだ。震える肩が普通の少女のそれよりも儚く感じられる。
 滝川博士は人の体を進化させることには成功したのかもしれない。だが、彼には娘たちの心まで強くしてやることはできなかった。だから、娘たちは誰よりも心を許せる者の助けを必要としている。誰よりも強い体を持って生まれた少女たちは、誰よりも弱く脆い心を持っていた。
 『俺一人が戦ったからって世界が救えるなんて思ってない。俺一人じゃ何もできないのが現実だと思う。だけど、せめて………目の前のお前だけでも守ってやりたいんだ………』
陽介はついにスイシーゼに真実を告げた。あまりにも純粋故に、あまりにも脆い故に、少女が気付くことができなかった、陽介自身の中の真実を。
『隠してて、ゴメンな………』
陽介はそれきり口を開かなかった。

 スイシーゼは肩を掴んでいる大場博士の手を静かにどけると、ゆっくりと大場博士に向き直った。大場博士はそれが何を意味するのか悟ったのか、真剣な眼差しをスイシーゼに向ける。スイシーゼはその視線を真正面から見つめ返して言った。
「シーゼにも戦わなくちゃいけない理由があった………だから………」
スイシーゼは今までにない真剣な眼差しで大場博士を見上げる。そして静かに言い放った。
「だから、もう逃げない」