最終話『ただ一時の破局 ~ After the last devine judgment』

Scene-1. 1999年8月2日 月曜日 JST1710 横須賀上空

 日本標準時間17時08分に横須賀基地を離陸直後の輸送機の中、ハロルド博士は開きっぱなしにしている通信機にかじりついていた。通信機の向こう側には、国立重科学研究所で陣頭指揮を代行している下条が出ている。通信機の下条は、離陸前にハロルド博士が出した指示の途中経過を知らせていた。
『つい今し方にα波キャノンをE滑走路に配置、現在はアスファルトへの固定作業に入っていますね。E滑走路はもろに東京に向いているってのと、本部棟に一番近いってのが好条件ですか』
「電源の設置はどうだ?」
『本部棟の緊急用の火力発電3機のウチ、ケーブル長の間に合う近場からダイレクトにかっさらっています。後は実験開発用の核融合炉から引っ張れますね。やります?』
「頼む」
ハロルド博士は手元でひっきりなしに何かを計算しながら短く答えた。その後ろで有織一等陸佐が眺めているが、難解な数学を含む計算式は彼にとっては魔術か何かの呪文にしか見えなかった。
 ハロルド博士は手元の計算結果に一瞬眉をひそめ、おもむろに通信機に呟いた。
「もう一つぐらい引っ張れないか?」
だがそれに対する下条の答えはほぼ即答された。
『無理ですね。今だって富士の演習場に非常動員かけて資材を提供してもらっています。それにそんなことしたら関東一円の電力を全部ぶち込むような騒ぎになりますから、根幹のケーブルが耐え切れませんよ。変電設備も許容値ギリギリですからね』
「分かった。別の手を使おう」
ハロルド博士は一言だけ言って目の前の紙を破り捨てた。再び恐ろしい早さで計算を始める。
「起動用のα波に必要な出力を、空間抵抗、地磁気による射線軸のズレと損失、プラズマ化するであろう空中元素による抵抗、目標破壊に要するエネルギーの点から逆算してくれ。手計算では追いつかない」
『当たり前です。暗算だけで虚数空間だの多次元共振だの計算できるもんですか。α波リアクターを作った時のルーチンがLaplaceの中に残っています。そいつを拡張して3機の並列処理で計算させます。それでも結果が出るまで20分はいきますよ』
「それと同時進行で、シェネラのα波にスイシーゼがインタラプトして増幅した結果の最大を計算してくれ。シェネラのα波はスイシーゼの80パーセントと仮定する」
『ウチの量子物理屋達が泣いて喜びますね。前言撤回、30分かかります』
下条にはまだ冗談を言う余裕があったらしかった。彼の背後で数人が走り去っていく足音が響く。“量子物理屋”達の物であろうことは容易に察しがついた。
「とりあえず現在指示できるのはここまでだ。調整に関しては設置終了後にそっちから連絡をくれ」
『了解しました。何か知りませんがこっちに残ってた自衛隊がえらい優秀でしてね。あと15分もあれば設置完了できます』
「頼む」
『頼まれました』
下条はそれだけ答えて唐突に通信機を切った。

Scene-2. 1999年8月2日 月曜日 JST1711 国立重科学研究所・本部棟作戦司令室

 作戦司令室のモニターの一角に、E滑走路に設置された拠点防衛用のα波キャノンが映し出されていた。
 特撮怪獣映画にでも出てくるような冗談じみた出で立ちだが、これが人類最後の希望をつなぐことは明白だった。そのα波キャノンの回りでは新世紀科学研究所の研究員達と彼らの指揮下で設置作業に従事する自衛隊員達の姿が目まぐるしく動いている。
「本当にあれで狙撃できるのか?」
終始無言を貫く神崎局長の横で、幕僚が呟いた。
「理論的には、可能のようです」
それに大場博士は素っ気なく答える。
「しかし、たかが民間の研究団体なのだろう? その新科研とか言うのは」
「確かに新科研は民間の一研究団体に過ぎません」
懐疑的になっている幕僚の言葉に、大場博士は頭を振りながら答えた。そして続ける。
「しかしハロルド博士以下新科研の研究員達は柔軟で応用力に富んだ研究を続けていたために、現在ではα波応用技術の研究の第一人者になっています。α波特殊能力の発生原理の解明に対して多大な貢献をしたハロルド博士に至っては、新たな科学態系の第一人者となったと言っても過言ではないでしょう」
その言葉に幕僚は渋い顔で押し黙った。どちらにせよ、自衛隊も含めたバイオニックウェポン対策局に打つ手がない以上、新世紀科学研究所に命運を委ねる以外にはないのだ。
 「時間だ」
唐突に、神崎局長の声が割り込んだ。作戦司令室の時計が1712時を刻む。その瞬間にオペレータの一人が弾かれたように振り向いた。
「予告通りです! ICBMの発射を確認! 予測降下ポイントは東京、予測到着時間は大分ゆっくりですが、1758時、誤差は前後1分です!!」
「宣告のままだな」
幕僚の一人が苦渋に満ちた表情でモニターの向こうのα波キャノンを見上げた。希望を託す相手は、α波キャノンのみとなった。

Scene-3. 1999年8月2日 月曜日 JST1716 北アメリカ大陸各所

 東京を標的にしたICBM発射に遅れること4分、北アメリカ大陸の全ての核ミサイル基地は横須賀からの核ミサイルと北米防空司令部NORADからの指令によって発射されたミサイルによって全滅した。これにより、地球上の人類の未来と引き替えにアメリカ大陸全土は放射能に包まれた死の大地と化した。
 東京へ向けてのICBMの発射と同時に、世界各地へ向けて核ミサイルが発射されなかった真意は神崎局長達バイオニックウェポン対策局の伺い知る処ではないが、結果的に人類とNOAHの最終衝突による最大の被害は、皮肉にもNOAHに利用されたアメリカが被ることになる。

Scene-4. 1999年8月2日 月曜日 JST1720 小田原市上空

 陽介は暴走以来目を覚ましていなかった。ただ静かに寝息を立てて目を閉じている。

 その傍らにはシェネラが一人、たたずんでいた。その愁いをおびた眼差しが陽介の顔を見つめている。
「………ごめんなさい………」
もう何度も呟いた言葉だった。だが、今のシェネラにはそれが全てだった。
「結局………私に勇気がなかったのがいけなかったの………」
そっと、陽介の額に触れる。指先を通して暖かい温もりが伝わってくるかのような安らぎを覚えた。
「自分の心に素直になるって………案外難しいのね………。スイシーゼは凄いわ。いつも自分に正直でいられて………」
スイシーゼより多くの時を生きた分、スイシーゼより多くの物を見聞きした分、素直なままではいられなかったのかもしれない。いつまでも生まれたままの自分ではいられないのだ。自分を無条件に認めてくれる人が全てでない以上、ある程度の心の壁は必要になってくる。
「私、あの時………ベネウィッツと戦った時………言われたの………。所詮は父殺しの罪を背負った人形………。人間達の思惑の中で踊るだけの人形………」
瞳を閉じた。全身から血を吹き出したまま倒れる男が、断末魔のように残した呪詛が心の中を響かせる。その男の呪詛に、シェネラは確かに体が凍るのを感じていた。とどめを刺せなかった。目の前の男を殺してしまうことで、自分は正真正銘の殺人人形になってしまう、そんな気がした。
「“人形”………。自分で何度もスイシーゼにぶつけた言葉だったのに………そう言われるのが辛かった………」
再び瞳を開く。陽介の顔を静かに見つめて。
「“人形”と言われたくなかった………。それなら………私をそう言う他人から離れればいい………。所詮はお父さんを殺してしまった親不孝な“人形”………。人間達の中になんか入れるわけがないもの………」
目頭が熱くなるのが自分でも分かった。
「勝手に自分で自分に言い聞かせて………貴方から離れた………。結局は逃げただけだったのね………。私、陽介さんの暖かさが一番怖かったから………陽介さんから逃げだしたのよ………」
涙が頬をぬらした。
「馬鹿みたいね………。そんなことしたって悪くなっても良くなることなんか有り得ないのに………」

 シェネラは涙を拭わないまま陽介の顔を見つめた。陽介は何も語ってはくれない。だが、シェネラの独白は続いた。
「………でも結局………陽介さんのことが心配で、会いたくて………。いても立ってもいられなくて出て来ちゃった………。“心配かけやがって、この馬鹿”って叱ってくれたよね………」
あの時、シェネラの頭を叩いた陽介のげんこつは、痛み以上に重かった。その重みが彼の心を代弁しているように、シェネラには感じられた。
「………お父さんにも怒られたことなかったのよ………。昔の私は素直でいられたから………。だから私を叱ってくれたのは陽介さんが初めて………」
陽介はただ一言、真剣にシェネラを叱った。だが、叱られると言うことは逆に、愛されていると言うこと。陽介の拳は痛く、重く、そして暖かかった。
「叱られて分かったの………」
シェネラはそこで小さく笑った。自虐のこもった笑みだったが、妙にサッパリとした笑みでもあった。
「私ってやっぱり“馬鹿”だった………。何にも怖がることなんてない。陽介さんの側にいたかったんだから、側にいればよかったのよ。なのに私って“馬鹿”だったから。素直になる勇気が持てなくて一人でいじけてた………」
シェネラは愛おしむ眼差しを陽介に向け、静かに彼の頭を撫でる。
「陽介さんに心配だけかけちゃって………。だから………」
シェネラは不意に、少し長くなった赤毛を押さえると、陽介の顔に自分の顔を近づけた。そしてためらいがちに少しだけ、唇を重ねる。

 「だから………ごめんなさい………。これからは素直になる………」
シェネラの独白は、人知れず終わった。包み込んだ静寂の中、少女は求めていた安住の場所に身を委ねた幸福をかみしめていた。

Scene-5. 1999年8月2日 月曜日 JST1740 国立重科学研究所・E滑走路

 E滑走路は地方空港並の2500メートル級、本部棟に一番近い立地条件ゆえにビジター用として利用される予定であった。
 その短いE滑走路に高速輸送機が着陸してきた。元々が短距離離着陸機である輸送機は、α波キャノンの配置によって更に短くなっているE滑走路に苦もなく着陸する。機長のテクニックによるところも大きかったようだが。

 E滑走路の利用形態のために設置された送迎デッキには、一足先に高速機で回収されたスイシーゼが、α波戦闘装甲を付けたまま立っていた。α波戦闘装甲を着たままなのは単純に下条の指示だったが。
 目の前に輸送機の機体が通り過ぎる。スイシーゼは何げに通り過ぎる機体を眺め、唐突に重大な異変に気づいた。懐かしい気配が一つ増えている。
「………お姉ちゃん………?」
呟いて、エンジェルウイングを展開すると、無理矢理に推進力を最大にして飛び上がった。滑走路上に停止した輸送機にタラップが接続されるよりも早く、スイシーゼは輸送機の翼に降り立った。軍用の輸送機に無闇やたらな窓はないが、それでもここまで近づくと中の気配のそれぞれが正確に識別できる。行きの時と同じ機長と、副操縦士の気配、有織傭兵隊の兵士達に有織一等陸佐、ハロルド博士の気配に、とても静かな陽介の気配。
 そして、確かに感じた。
「お姉ちゃんがいる!!」
スイシーゼは叫んで、接続されたタラップに飛び乗った。内側から有織一等陸佐が開いている扉を力づくで引き開け、怪訝な表情をしている陸佐には目もくれずに飛び込む。

 「やっぱりいた!! お姉ちゃん!!」
輸送機の一番奥、人工α波ブースターを付けたまま横になっている陽介の隣に寄り添う赤毛のショートカットを目ざとく見つけると叫んだ。赤毛のショートカットは少し顔を上げて、叫んだスイシーゼの方を見る。そのショートカットにスイシーゼは突然に飛びついた。
「い、痛いってば!」
というショートカットの不平の声にかまわずにスイシーゼは思いっきり抱きしめていた。

 「ねぇ、スイシーゼ? 聞こえてる? 痛いんだけど、放してくれない?」
スイシーゼがシェネラの体を放したのは、α波戦闘装甲を着たままのスイシーゼに抱きしめられたシェネラの不平に気付いてからだった。それまでたっぷりと1分は抱きしめていただろうか。

 シェネラの体を放したスイシーゼは両目にいっぱいの涙を浮かべてシェネラの顔を見つめた。何とか笑おうとしているようだが、あふれ出してくる涙はどうにも止めようがなかった。
「お、お姉ちゃん………ひどいよ………。ずっと帰ってきてくれないんだもん」
「ごめんね」
シェネラは一言だけ言うと、スイシーゼの頬をぬらす涙を拭った。
「お姉ちゃん、色々と考えることがあって………」
「これからは一緒にいられるんだよね? 陽介だっていっぱい心配してたんだよ」
スイシーゼは自分の頬を拭っているシェネラの手を掴むと、力強く握った。その手に、もう放さないという意志が現れていた。
「うん。もう陽介さんに怒られたくないからね」
そう言ったシェネラは静かに微笑んでいた。その微笑みに安心したスイシーゼは、そこで初めてシェネラの手を離す。

 「………陽介は?」
スイシーゼはふと、シェネラの背後に横になっている陽介の姿に視線を飛ばした。陽介は簡易寝台の上で静かな寝息を立てている。
「………疲れて、眠ってる………。それだけだと、思う」
シェネラはそれだけ言って、大丈夫だと言い聞かせるようにα波戦闘装甲に包まれたスイシーゼの肩をたたいた。
「よかったぁ~………」
安堵したスイシーゼの声は軽かった。
 《悪魔》も倒し、陽介も無事に帰還した。予定外の吉報ではあったが、行方不明だったシェネラさえも無事に帰ってきた。スイシーゼの心はいつもにもまして軽くなっていた。

 有織傭兵隊の者達が次々と輸送機から降りていく中、ハロルド博士と有織一等陸佐だけは反対方向、輸送機の中程に向かって歩いていた。輸送機の奥には眠っている陽介とシェネラ、飛び込んできたスイシーゼがいた。
 ハロルド博士はその赤毛の姉妹を見つけると小走りに駆け寄ってくる。スイシーゼもシェネラも、駆け寄ってくるハロルド博士の体から並々ならぬ緊張感を感じたのか、一瞬表情を堅くして振り返った。
「ここにいたか、スイシーゼ、シェネラ」
ハロルド博士はそう言って二人の前に立ち止まると、交互に二人に視線を飛ばす。そして小さく頷いた。
「スイシーゼ、シェネラ。人類の未来を救うため、君達にもう一働きしてもらいたいんだ」
「………?」
二人は突然言い放ったハロルド博士に怪訝な表情を返す。ハロルド博士はそれにかまわずに続けた。
「スイシーゼはまだ聞いていないと思うが、現在東京に向けて大陸間弾道ミサイル、ICBMが飛行中だ。これが東京に直撃すれば未曾有の大破壊に、関東圏一体の放射能汚染は免れ得ないだろう」
「そんな!?」
初めて聞かされたスイシーゼは、驚愕の叫びを上げてシェネラに視線を向けた。シェネラは既に聞いていたらしく、落ち着いてハロルド博士の言葉を聞いている。
「だが、我々としてもこれを指をくわえて眺めるつもりは毛頭ない。ここには拠点防衛用の長距離用α波キャノンの試作機がある。君達にこれを起動してもらい、降下軌道に入ったICBMを狙撃する」
「起動出力、足りるんですか?」
シェネラはα波キャノンの動作原理に薄々気付いているのか、ハロルド博士の言葉に疑問を浮かべる。ハロルド博士は表情一つ変えずに答えた。
「それに関しては現在計算中だ。そろそろ結果が出るころだと思う。とにかく来てくれ」
ハロルド博士はそれだけ言って、さっときびすを返す。だがスイシーゼはすぐには従わなかった。
「待ってよ! 陽介が!」
ハロルド博士はしかし、その言葉に歩を止めることはなかった。変わりに有織一等陸佐がスイシーゼの肩を叩く。
「行って来いよ、嬢ちゃん。嬢ちゃん達がやらなきゃどっちにしろ人類はお仕舞いだ」
「でもぉ………」
なおも渋るスイシーゼの肩を、今度はシェネラが叩いた。
「行くよ、スイシーゼ」
「陽介は俺が見ててやる。安心して行って来い」
シェネラと有織一等陸佐に共に促され、スイシーゼは足早に歩いていった。その後をシェネラが付いていく。

 陽介はその二人を見送ることもせず、ただ寝息を立てていた。

Scene-6. 1999年8月2日 月曜日 JST1745 国立重科学研究所・E滑走路

 α波キャノンは巨大な戦車砲を思わせる風貌だった。完成していれば旋回できるのだろうが、現在はアスファルトに直接固定されている。砲身は収束用の特殊なコイルが囲み、その基部にはα波の特殊な波動を受け取るための太いケーブルが備え付けられていた。制御全般は基部から別に延びたケーブルの先の指揮車で行うらしい。
 ハロルド博士が指揮車に乗り込もうとした時、本部棟の駐車場からジープが恐ろしい勢いで走り込んできた。見事なドリフトを披露して指揮車の前に急停止する。ジープから飛び降りた下条はハロルド博士の元に駆け付けた。
「ハロルド博士! 計算結果出ました!!」
「どうだ?」
ハロルド博士は少し語気を荒げて答えた。
「結論から言って足りません」
下条は端的に答えて、ハロルド博士に計算結果のプリントアウトを手渡した。そして続ける。
「あんまり低い位置で狙撃するのも考え物なんで、予定狙撃高度を5,000メートルとして計算すると、計算上、狙撃距離は約103,570メートルになります。計算誤差一杯まで範囲を広げて尚かつ必要十分な出力を得ようと思うと駄目です」

 作戦は確実を要する。ICBMの予測降下ポイントと予測着弾時間、予測軌道から高度5,000メートル時の位置を特定するが、各パラメータの誤差を考慮しなければならないために予測位置にはある程度の揺らぎが出てくる。そうなると揺らぎの範囲一杯にα波キャノンの効果範囲を広げて、尚かつその全ての範囲でICBMを破壊するのに十分な威力を叩き出さなければならない。
 だが基本入力となるシェネラのα波をスイシーゼがα波インタラプト効果で増幅したα波の総エネルギー量では、必要十分な物にならないという計算結果が出てしまったのだ。
 ハロルド博士は小さく舌打ちする。その背後にスイシーゼとシェネラが近付いた。
「計算上ではどのくらい足らないことになっている?」
「スイシーゼかシェネラか、どちらかが暴走してα波を放出すれば話は違いますけど、概算では217ギガワット下回っています」
「大きいな」
ハロルド博士は苛立たしげにプリントアウトを叩いた。
「とりあえず効果範囲の半径を半分、面積比にして25パーセントにすると基本出力の低下とそれに伴う収束機に必要な入力の低下で不足分を33ギガワットまで下げることはできます。無論、人類が生き残る確率も25パーセントに減るでしょうけどね」
「この作戦は確実を要する」
ハロルド博士はそれだけ言うと、プリントアウトから視線を上げた。
「弾道予測の精度を上げられないか?」
「無茶言わないで下さい。これでも最新の軌道計算プログラムで正気の沙汰じゃない計算してるんです。これ以上の精度が欲しいならラプラスの悪魔と友達にでもなってください」
「となると、賭けるしかないか」
ハロルド博士は苦虫をかみつぶしたような表情で呻いた。

Scene-7. 1999年8月2日 月曜日 JST1748 国立重科学研究所・E滑走路

 単純に違和感を感じたのが目覚めるきっかけだった。暴走して気絶してから、常に近くにあったシェネラの気配が一度近付いてきたスイシーゼの気配と共に消えた。それが明確な違和感となって、眠っている陽介の意識を揺さぶり起こした様だった。

 「………ここは………?」
頭を振って半身だけ起こす。簡易寝台に寝かせられていたらしい。
「目が覚めたか、陽介」
不意に真後ろから有織一等陸佐の野太い声が聞こえた。陽介は一瞬背筋を引きつらせて振り返る。陽介の視線の先で有織一等陸佐はニヤリと笑って見せた。
「とりあえず、お前を見てるようにって嬢ちゃん達と約束しちまったからな」
「シェネラと………シーゼは?」
有織一等陸佐は親指だけ立てた拳で輸送機の外を指した。指の先には妙な大砲のような機械が見える。その横にはケーブルでつながれた装甲車、その前でハロルド博士と下条が何か言い合っていた。
 ハロルド博士の後ろにはスイシーゼとシェネラが立っている。これほど近くにいながら感じることができなかったのは、起き抜けで気配を感じるまでに感覚を自覚できなかったからか。
「出力が足りないなら、予測範囲を絞るしかない。ICBMの形状から考えて予測範囲を上半分に限定しよう」
「どちらにしろ効果範囲の断面は楕円形以外にはあり得ませんから、範囲は40パーセント近く絞ることになりますね」
「仕方あるまい。それでもα波キャノンの確実な起動を考えると威力は大分小さくなるな」
ハロルド博士と下条は何か訳の分からない事を言い合っていた。陽介は怪訝な表情を有織一等陸佐に向けた。
「何を言い合ってるんです?」
有織一等陸佐は壁により掛かったまま呟くように答えた。
「もうすぐ東京に核ミサイルが来るんだとよ。それで学者さん達があの大砲で撃ち落とそうって計画を立てたらしいんだが………」
陽介は無言で外の大砲に視線を飛ばした。
───あれは………? α波キャノンか………?
確かにその大砲には見覚えがあった。完成前の小型の試作機の起動実験には何度もつきあったから分かる。あれは要するにα波をαブラストに科学的に変換する物だ。基本入力が出力、すなわち威力を左右する。
 その陽介の様子にはかまわずに有織一等陸佐は説明を続けた。
「なんでも起動するのにエネルギーだかが足りないらしい。αだかβだかって訳の分からねぇこと喚いてやがる」
「基本入力のα波が足りないのか!?」
陽介は簡易寝台を叩いて立ち上がった。それなら望みはあるかもしれない。
 陽介にはまだ無理だが、バイオニックチャイルドとしてα波制御能力に長けたスイシーゼとシェネラはα波インタラプト効果という現象を起こすことができる。これは簡単に言ってしまえば波の干渉で、位相が逆なら打ち消しあい、位相がそろえば増幅する。つまり、陽介のα波にシェネラが位相をそろえ、それにスイシーゼか位相をそろえれば結果的には3人分のα波がひとまとめで放射されることになる。陽介はそこまで思い至って輸送機から駆け出した。

Scene-8. 1999年8月2日 月曜日 JST1750 国立重科学研究所・E滑走路

 ハロルド博士は下条との協議を終えて、背後のスイシーゼとシェネラに向き直った。
「スイシーゼはもう知っているが、シェネラには説明しなければならないな。これはα波キャノン、α波を科学的にαブラストに変換する物だ。これに君達のα波を基本入力として入れてもらい、起動、ICBMを狙撃したい」
「私のα波にスイシーゼがインタラプトを掛けるんですか?」
ハロルド博士は小さく頷いた。
「資料によると、α波制御能力はスイシーゼの方が上らしいからな、確実を得るためにそうしてもらう」
スイシーゼとシェネラはそろって頷いた。
「実は、話は聞いていたと思うが基本入力がやや………」
 ハロルド博士がそこまで言いかけたとき、輸送機から陽介が駆け付けるのが見えた。陽介は人工α波ブースターを装着したまま駆け寄ってきた。
「もう動いて大丈夫なのか? 陽介君」
「ええ」
陽介は軽く頷いて、しかしすぐに真顔で続けた。
「事情は有織さんから聞きました。俺のα波にシェネラとシーゼがインタラプトを掛けて、それでも足りませんか?」
「陽介!?」「陽介さん!?」
スイシーゼとシェネラが同時に叫んだ。陽介のα波はただでさえオーバーワークになっているし、感情の爆発による暴走を迎えた直後だ。バイオニックチャイルドの様に最初からα波制御能力を備えていたわけではない陽介には危険かと思われた。
「駄目だよ陽介! 危ないよ!!」
スイシーゼはすがりつくように陽介の胸を掴んだ。だが陽介はスイシーゼの頬を軽く触れただけで引き離すと、再びハロルド博士に向き直った。
「どうなんです?」
ハロルド博士は小さく下条に目配せする。下条はそれに頷いて答えた。
「陽介君のα波も使えれば、計算上は何とか足りる状態まで持っていけると思います」
「だそうだ。いいんだな?」
ハロルド博士は下条の言葉を受けて陽介に言う。陽介は力強く頷いた。
「分かった。効果範囲と威力は予定通り。3人の合成α波を基本入力に、α波キャノン、起動する!!」
ハロルド博士の言葉は力強くE滑走路に響いていた。

Scene-9. 1999年8月2日 月曜日 JST1755 国立重科学研究所・E滑走路

 夏の太陽は次第に西に傾いていた。西日に映し出されて、α波キャノンの影がE滑走路に長く延びる。

 指令車からの放送がE滑走路に響いた。
『チャンスは一度、失敗は許されない。これが最後だ。全力を尽くしてくれ』
ハロルド博士はE滑走路にいる新世紀科学研究所のメンバー、α波キャノンにつながっている陽介達に向けて言う。
『射撃の予定時刻は56分48秒、これで効果範囲内にICBMを捕らえられる計算だ。発射態勢に入る』
ハロルド博士の命令を受けて、新世紀科学研究所のメンバーがそれぞれの持ち場で最終的な発射準備にかかった。
『α波ブースターへ電力供給開始します!』
国立重科学研究所内に設置されている非常用の火力発電、実験開発用である核融合炉からつながれた送電線から膨大な電力が流れ込む。
『射線軸固定、誤差、計算値以内を確認しました!』
『超望遠での確認! レーザー測量によるICBMの位置、予定通り! 誤差は計算値以内を確認!』
『陽介君、α波キャノン、起動してくれ』
「了解」
陽介はα波キャノンの基部に陣取って頷いた。
「やるぞ、二人とも」
「うん」「はい」
陽介の言葉にスイシーゼとシェネラが頷いた。

 陽介は東京の方角にある空を睨み付けた。無論、機械的な仕掛けでしかないICBMから意志の流れを感じることは出来ない。しかしそうすることで否応なく集中力が上がるのを感じた。

 ───シーゼ、シェネラ! 俺達で決めるぜ!
大きく息を吸い込む。そして一瞬止め、ゆっくりと吐き出した。α波が放出されていくのが自分でも分かった。

 ───陽介さんの力………来た………!
シェネラは背後から陽介の力を感じる。初めて真正面から感じる陽介のα波だが、暖かさと共に安心感を覚えた。陽介のα波に位相を合わせて自分もα波を放出する。

 ───陽介、お姉ちゃん! シーゼも行くよ!
既にα波は巨大な力に変わっていた。それを全身に感じたスイシーゼはやはり、暖かさと共に安心感をその身に受ける。最後に求めていたのはこの暖かさ、この安心感だった。どんな障害からもお互いを守る暖かさ、どんな不安も氷解させてくれる安心感。バイオニックチャイルドの全てを無条件に受け入れ、バイオニックチャイルドを人間にしてくれる力。

 スイシーゼは陽介とシェネラの合成されたα波に自分のα波を乗せた。その瞬間、彼ら3人を包む空間が陽炎が掛かったようにぼやけた。スイシーゼは増幅されたα波をα波キャノンに向ける。ハロルド博士のカウントダウンが始まった。
『9………8………7………』
陽介が少しずつ高めていく力を、シェネラとスイシーゼが順に増幅する。
『6………5………4………』
増幅された力がスイシーゼの全身からα波キャノンに流し込まれた。
『3………2………1………』
α波キャノンは流し込まれたα波をそれ自体が持つα波ブースターでさらに増幅、科学的にαブラストに変換した。収束機に流し込まれた大電流がαブラストの整流と収束を同時に行う。その砲身の先にはICBMが来るはずだ。
『………0!』
ハロルド博士のカウントダウンが叫んだ。

 「行けええぇぇ!!」
その瞬間、陽介とスイシーゼ、シェネラは同時に叫んでいた。

 α波キャノンが大きく青白い閃光を吐き出す。閃光はE滑走路のアスファルトを余波だけで砕き、虚空に延びていった。通り過ぎた後の空間には空中原子がプラズマ化したらしい火花放電が発生する。

Scene-10. 1999年8月2日 月曜日 JST1757 東京上空

 ICBMは既に降下軌道に入り、大地までの距離を刻一刻と縮めていた。人類が生み出した第3の火“核”。科学が自らの手で生み出した“悪魔の火”が東京を目指して降下する。
 そのICBMを、西から飛来した青白い閃光が包んだ。ICBMの弾頭から推進部分に至るまでを完全に包み込んだ光は、一瞬にして“悪魔の火”に鉄槌を下す。ICBMは爆発する事も出来ずに消滅していた。“悪魔の火”を消滅せしめた閃光はそのまま虚空に消えていった。

Scene-11. 1999年8月2日 月曜日 JST1758 国立重科学研究所・E滑走路

 「博士! やりました! 司令室からの情報です! ICBMは完全に消滅しましたよ!!」
司令室からの直通回線にかじりついた下条が歓喜の声を上げた。
「そうか!!」
ハロルド博士もここで初めて安堵の声を漏らす。

 α波キャノンの基部で、陽介はその場に座り込んだ。額にびっしょりと汗をかいているが、心地よい疲れだった。
 充実感が全身を包み込んでいる。こんな充実感は未だかつて味わったことのない物だった。彼の側に寄り添うように、ヘルメットを脱いだスイシーゼとシェネラが座り込む。
「終わったか………」
「へへ………」
疲れ切った陽介の言葉に、スイシーゼが小さく舌を出して微笑んだ。
「お疲れさま」
そう言ったシェネラがα波ブースターを外す。西日が彼らの姿を照らし出していた。

 太陽の光。今日は、いや、今は、いつもよりも眩しく感じる。勝利を勝ち取った安心感が、戦いが終わった開放感がそうさせていたのか。

 晴れ晴れしい心が、自然と表情を笑みに変えていた。陽介は溢れ出すような微笑みを浮かべて、両手でスイシーゼとシェネラを抱きしめていた。

 やっと手に入れたのだ。彼が望んでいた瞬間。この時を。

Scene-12. 1999年8月2日 月曜日 JST1758 国立重科学研究所・本部棟作戦司令室

 作戦司令室でも神崎局長を始めとした幕僚達、オペレーター、大場博士が安堵のため息をもらしていた。幕僚の中には、極度の緊張から解き放たれて床に座り込んでいる者までいる。
「よくやってくれたものだな、新科研」
「はい」
やっと表情を崩して背もたれに深く腰掛けた神崎局長に大場博士が答える。大場博士も大きな安堵に包まれて表情を崩していた。
 司令塔を失ったバイオニックウェポンは数えるほどにその数を減らしている。結果的に人類を救ったのは、滝川博士の愛娘達と、その愛娘達が最も心を開く青年、彼らを取り巻く者達だった。

 大場博士は瞼を閉じる。目頭が熱かった。
───滝川博士………陽介君が言ったとおりだったよ………君は罪を犯してなど、いなかったのだ………!
滝川博士が罪人なら、彼の娘達が希望をつなげる道理はない。結果が証明したのだ。滝川博士の人類の未来に対する希望が、人類の未来をそのまま勝ち取った。

Scene-13. 1999年8月2日 月曜日 JST1800

 だが………人類は未だ、最大の危機を乗り越えられてはいなかった。それは皮肉にも予定通り、陽介達が安心感に包まれた2分後に襲来した。

 その瞬間、陽介は自分の体が地面から引き剥がされるのを感じた。抗いようもない巨大な力が、地面から全ての人間を、全ての構造物を、自然も人工も区別することなく剥ぎ取った。
「………!?」
地面を掴めない陽介の体は巨大な破壊の力に押し流されて宙を舞った。右も左も、上も下も分からない。無我夢中に伸ばした両手が何かに触れる。
「シーゼ!! シェネラ!!」
指先に二人の気配を感じる。その瞬間、陽介は両手に掴んだ何かを強く握りしめていた。

 東京。バイオニックウェポンの侵攻によって破壊され尽くされた東京の街が引き剥がされていく。全てのビルが、電車が、抗いようのない力の奔流に飲み込まれていった。

 箱根。陽介とスイシーゼが出会った山道が引き剥がされた。スイシーゼが初めて陽介に微笑みを見せたドライブイン、チーズバーガーを買った自動販売機、ベンチ………

 厚木。陽介の通っていた大学、たった一週間だが幸せな日々を過ごしたアパート、思い出の全てが破壊の波に飲み込まれる。

 “最後の神判(M-Impact)”は地球上の全てに対し平等に襲いかかる。無慈悲な神の鉄槌が、地球という惑星を“浄化”していった。

Scene-14. 1999年8月2日 月曜日 JST1800 月周回軌道・内側

 地表を遠く離れ、月の周回軌道に近い場所をそのシャトルは進んでいた。NASAのスペースシャトルを大型化したような、純白のタイルに包まれた船体は美しかった。
 そのシャトルは“最後の神判(M-Impact)”の直前にケネディ宇宙センターを離陸、最後まで地球上に残っていたNOAHのメンバーを乗せて火星基地を目指していた。無論、その中にクラントンを名乗る男が乗っていたことは言うまでもない。

 コックピットの最後尾の席に陣取った彼は、目の前のモニターに映された地球を見つめた。地球は一瞬震えたように感じた。しかし14インチほどのモニターに映された地球の景色には、目に見えるほどの変化は現れていないはずだ。
 クラントンの前は、次の席まで広く空いている。その前方の席から静かに声が響いた。
「ミスター・クラントン、“最後の神判(M-Impact)”によるポールシフトが発生、地上は震度30以上の激震に見舞われたものと思われます」
クラントンはしかし答えずに、横に長いサングラス越しにモニターを見つめた。新陳代謝を終えた地球は何も語ってはくれない。
「まもなく月軌道の外側へ出ます」
シャトルの機長らしい男が言った。

 その直後に、空間監視を行っていたパイロットが怪訝な声を上げる。
「月の裏側に何か、巨大な物体がある。静止しているな。大きさを測量してみる」
パイロットは光学センサーによる測量を試みる。おおよその距離が分かれば、それから大きさを予測するのは簡単なことだ。
「隕石のニアミスなんて報告は受けてないぞ」
機長はパイロットの方を振り仰いで言った。物体を測量しているパイロットは、超望遠の実写映像に、距離の測量で得られたスケールを重ねる。
「恐ろしい大きさだ。幅は1,000メートル弱ある。隕石にしちゃ妙な形だ。中央から細長い枝が3、4、5本出ているな。中央の大きさは450メートルくらい。もう少し倍率を上げてよく見てみる」
パイロットは全景を映すように設定された倍率を更に上げて、一部分毎を拡大してみる。

 その瞬間、パイロットの顔色は確かに変わっていた。突然に素っ頓狂な声を上げる。
「こりゃ隕石何かじゃない!? 人工物だ!! 翼を広げてる!! スペースシャトルか!?」
その驚愕の叫びに、後方で静かに聞いていたクラントンの視線が鋭くなった。
「1キロもあるような翼を広げられるスペースシャトルが何処にあるってんだ!! もっとよく確認しろ!!」
機長が怒鳴る。NOAH以外に宇宙空間を渡る力を持ったシャトルを持っている組織は、国単位でも存在しない。
「確認してる!! とにかく馬鹿でかい! 砲塔がある! 2連装で3基だ!!」
パイロットはなおも信じられない報告を返した。機長が苛立たしげに席を立つと、パイロットの席にジャンプした。シートを掴んで無理矢理に止まると、パイロットのモニターをのぞき込む。
「何だこりゃ!?」
機長も驚愕の叫びを上げた。
「こりゃシャトルじゃない!! 戦艦だ!!」

 そう叫んだ瞬間、モニターの中に映されている“戦艦”の“砲塔”が閃いた。青白い輝きが一瞬見える。

 だがこの瞬間、NOAHのシャトルは消え去っていた。青白い閃光がシャトルをクラントンごと飲み尽くしたのである。シャトルを飲み尽くした青白い閃光は、全く減衰する様を見せずに宇宙空間に消えていった。後には、当たり前のごとく静寂が支配する宇宙が広がるだけだった。

Scene-14. 1999年8月2日 月曜日 JST1805 月周回軌道上

 そこはSFでしか見ることのない超未来的な空間だった。継ぎ目の見えない白い壁に囲まれた部屋。四角形ではない、緩いカーブを描いた五角形の様だ。
 5枚の壁の内、3枚は一続きのモニターになっている。モニターには広大と言う言葉が馬鹿馬鹿しくなる宇宙空間が広がり、中央に地球が陣取っていた。
 その部屋の中には、これもSFでしかお目にかかれないようなデザインのシートが6つあった。内2つはモニターの壁の中央に向かって隣り合って配置され、残りの内2つはモニターの壁と普通の壁の中間に向かって配置されている。1つは仮設なのか、モニターに向かって右側の席の隣に壁から飛び出した形で設置されていた。最後の一つはモニターのある壁とは反対側の床から斜めに迫り出したアームに支えられて高くなっている。

 シートがあると言うことは、座る者がいると言うことだった。そのどれもが人類と変わらない姿形をしていた。

 モニターの正面に座っているのは、筋肉質の体格をした短い黒髪の男と、赤毛とも金髪ともつかないくすんだ色の髪の優男風の男。モニターに向かって左側のシートには腰まで長いストレートの黒髪を持った女性。右側のシートにはややボリュームのあるセミロングの赤毛の女性。仮設のシートには多い黒髪をショート気味にした女性が座っていた。部屋の中央のアームに支えられたシートに座っているのは、豪奢な金髪を持つ男性だった。
 無論、男性、女性という見た目の区別が正しいのかどうかは分からない。しかし彼らの外見は完全に人類と一致しており、もし地球の誰かが彼らと会ったとしても、彼らが地球人でない可能性を持った生物であるなどとは想像もしないだろう。

 「目標の破壊を確認しました」
赤毛の女が目の前のコンソールパネルらしき機器の表示を読みとって言った。筋肉質の男が言う。
「しかし、いいのかよ? 俺達が手を出しちまったらやばいんじゃないか?」
それに黒いロングヘアの女が続けた。
「歴史が変わっちゃったりして?」
だが、金髪の男はそれに小さく微笑んだ。そして答える。
「ここが本当に俺達の“直系の過去”なら、やばいかもな」
「そうじゃない自信が“艦長”にはおありのようだ」
優男風の男が愉快そうに続ける。
「でも、確率的には直系の過去に行ける方が奇跡なのよ?」
黒いショートカットの女が言った。金髪の男は目の前の小さなコンソールパネルに肘をついて、面白そうに笑う。
「“ユグドラシル・ユニット”の話じゃ、地球の人類の内で生き残ったのはシステム・ユグドラシルの存在に気付いて人類の救済を始めた者達らしい。だけど、この地球の生き残った人類は存在に気付いてどうのって言うよりは、その糸口を掴んだに過ぎないって感じだな。多分、少しずれたんじゃないか?」
「ま、そういうことにしておくか」
優男風の男は、やはり愉快そうだった。
「どちらにせよ、私たちが手を出した未来と手を出さなかった未来がここから分岐していることは確かね。もしかしたらどちらかが私達の過去につながるのかも」
赤毛の女がシートごと振り返って言った。少し首を傾げる仕草が可愛らしい。

 「まぁ、いいさ」
金髪の男はそう言ってから、シートに深く座り直す。
「この時にこの地球で命を落とした者達が別の星に転生して、俺達の祖先になる。“父さん”はこの最後の神判における反省点をふまえてこの船を作ったし、俺達の世界を変えたんだ。そして今、俺達がいる。それでいいさ」
「“エクセリオン”に直接聞いてみるのが一番早いんじゃないか?」
筋肉質の男が首だけ振り返っていった。しかし金髪の男はそれに小さく頭を振って答えた。
「“父さん”は寝てるよ。起こしたって起きてくれやしないさ。それに………全部は知らない方がいいかも知れないしな」
金髪の男はそれだけ答えて、モニターの向こうの地球を見つめた。その視線はどこか懐かしげだった。

 ───衿岡陽介………スイシーゼ………この船の、俺のルーツ………

 金髪の男は晴れ晴れとした表情を浮かべて、大きく深呼吸した。
「さて、取り敢えず用も済ませたからな。俺達の時間へ戻ろう。“接点”は残してあるだろう?」
「もちろん」
金髪の言葉に、赤毛の女性が答えた。
「よし、帰るぞ。俺達の人類も、救わなけりゃならないからな」
金髪はそこまで言って、右腕をモニターに向かって伸ばした。そして力強く叫んだ。
「“ネェル・エル・シーゼ”、発進!!」

 その瞬間、そこに全長500メートルを遥かに越える艦体が存在したことなど嘘のように、宇宙空間からその“戦艦”は忽然と姿を消していた。後にはやはり、当たり前のごとく静寂が支配する宇宙が広がるだけだった。

LastScene. 年月日不明 地球

 体の節々が痛かった。激痛ではない。鈍痛というか痺れというか、指先一つ動かすのが面倒になる痛みだった。

 何が起こってこうなったのか、まるで覚えていない。α波キャノンでICBMを狙撃して、スイシーゼとシェネラと成功を喜び合って、だが突然に何もかも分からなくなった。無我夢中で腕を伸ばして、手に触れた物を強く掴んだのまでは覚えている。
 しかし今手の中には何もなかった。周囲は闇に閉ざされている。それとも瞳を閉じているだけなのだろうか。そんな簡単なことを考えることも面倒だった。

 遠くから何かが聞こえてきた。女の子のやや甲高い声が誰かを呼んでいるらしい。
「お姉ちゃん!! こっちこっち!!」
「見付けたの!?」
答えたのも女の子だった。やはり、やや甲高い声が遠くから響く。甲高くはあったが、心地の悪い甲高さではなかった。
「うん!! 眠ってるみたいだよ!!」
「気絶の間違いじゃないの?」
遠くからの女の子の声は、いつの間にか近くに寄ってきていた。もしかすると最初から離れてなどいなかったのかもしれない。
 次の瞬間、頬にかすかな痛みと、肩を揺すられる感覚が、ぼやけている意識の中に飛び込んできた。
「陽介! 陽介ったら! 起きてよ陽介!」
肩を揺すっている女の子の声だろうか、目の前から聞こえてくる。
「目を覚まして陽介さん!」
その後ろからもう一人の女の子の声が飛び込んできた。
───この声………
声には確かに聞き覚えがあった。忘れようはずもない声。
───シーゼ………シェネラ………

 一条の光が闇に射し込んだ。少しずつ瞳を開ける。ぼやけていた視界が次第に鮮明になってくる。
 目の前に完全に像が結ぶと、初めて見えたのは赤いロングヘアの少女の顔だった。土埃に汚れた顔、両目にはたっぷりと涙を浮かべている。その涙が頬に落ちるのを感じた。
「シーゼ………シェネラ………」
陽介は力無く呟くと半身をゆっくりと起こした。その陽介にスイシーゼが抱きつく。
「よかったぁ!!」
陽介は力一杯抱きついているスイシーゼの背中を軽く叩く。もうα波戦闘装甲は脱いでいるようだった。インナースーツの繊維の質感が直接肌に触れた。
 陽介は視線をスイシーゼから目の前にかがんでいるシェネラに向けた。
「気が付いたみたいね、陽介さん」
シェネラは小さく笑うと言った。陽介はそのシェネラに微笑むと視線をシェネラから周囲に向けた。

 その瞬間、凍り付く。周囲には何もなかった。あるのはアスファルトの破片や鉄屑、粉々に砕け散った木々に複雑怪奇な形に起伏している大地だった。周囲にあるはずのα波キャノンも、指揮車も、滑走路も、もちろん本部棟の建物も跡形もなく消え去っている。いや、もしかしたら自分自身が国立重科学研究所の敷地内にいないのかもしれない。何にしろ何が何だか分からない状況になっていた。

 「………どうなってんだ………?」
陽介は呆然と呟いた。その陽介に、シェネラは小さく頭を振って答えた。
「分からない。突然起こった地震みたいな衝撃でみんな壊されたらしいってことは、確かだと思うけど………」
「陽介見付けるのも大変だったんだよ!」
陽介から体を放したスイシーゼが叫ぶ。スイシーゼは事態を把握していないのか、妙に楽しげだった。
「あと、ずいぶん遠くだけど、ハロルド博士とか大場おじさんの気配も感じるわ。これから行こうと思うんだけど?」
「ああ。合流しよう」
陽介は立ち上がった。いつの間にか右腕の人工α波ブースターが無くなっていた。そう言えばシェネラもα波ブースターを付けていない。スイシーゼのα波戦闘装甲は勝手に脱げるような代物ではないから、使い物にならなくなって捨てたのだろう。
「どのくらい距離があるか分かるか?」
「多分、32、3キロぐらいかしら? フィールドを段階的に広げていったから間違いはないと思うけど」
「ずいぶん離れたもんだな」
陽介は呆れたように苦笑いをする。どちらにしろ、歩くしかない。バイクだ車だと贅沢を言える状況でないのは確実だ。
「ね! 頑張って歩こう!! 大場おじさんとも早く会いたいな!!」
スイシーゼは陽介の体から素早く離れると、大場博士達のいるらしい方向に駆け出した。その後をシェネラが追いかける。
「ちょっと待てって! 俺はお前たちほど体が強くないんだ!!」
陽介はあわてて叫んでいた。

 3人は破壊の力が飲み尽くした後の荒野を歩き出していた。見渡す限り荒野ばかり。無事に残っている物など一つとしてありはしなかった。遠くには形の変わりかけている富士山らしき山が見えた。
「最後の神判の後ってわけか」
陽介は周囲を眺めながら、ふとそんな言葉を口にしていた。
「何にもなくなっちゃったね」
スイシーゼは陽介の左腕にしがみついて、陽介の顔を見上げた。
「そうだな。よく生き残ったモンだ」
陽介は信じられない声音で答える。たしかに、これほどの破壊を撒き散らした最後の神判のなかで3人揃って生き残ったのは奇跡か、でなければ神の意志だ。

 そこまで呟いて、ふと陽介は足を止めた。スイシーゼが訝しげな視線を送る先で、陽介は足元の小さな緑に目を奪われていた。若葉だろうか、小さな緑の葉が荒野に生きている。

 その時、陽介は感じていた。そして感じたことをそのまま口に出す。
「何にもなくなった? そうでもないよ」
陽介はゆっくりとかがんで、地面の緑を見つめた。
「そりゃ、人間が作った物はみんななくなっちゃっただろうけど………」
そう続けた陽介の両隣に、スイシーゼとシェネラがしゃがみ込んだ。陽介が何を見付けたのか気付いたか、二人は輝くような笑みを浮かべて、吸い込まれるように若葉に暖かい視線を向けた。

 若葉は太陽の光を一身に受けて輝いていた。陽介はその二人の様子を見ると、再び立ち上がった。
「だけど、命はなくなってない。今も必死に生きてる。壊れた物は作り直せばいいけど、命だけは作り直せない」
若葉を見つめ続けているスイシーゼとシェネラの頭に手を置いた。二人はその陽介の手から暖かい物を感じて見上げる。
「生きていこうぜ。せっかく生き残った命だ。最後まで足掻いてやる」
陽介は二人に交互に視線を向け、満面の笑みを浮かべる。スイシーゼは元気一杯に立ち上がって微笑んだ。
「“自分で決めた自分にできる精一杯”だね!!」
その言葉に、シェネラも微笑んで立ち上がる。そしてスイシーゼの言葉を反復するように続ける。
「“自分で決めた自分にできる精一杯”!」
「ああ! そうだ!!」
陽介は叫んで、スイシーゼとシェネラの肩を抱き寄せた。そのまま歩き出す。
「こんな凄いことになってるような時に生き残ったんだ。俺達の命には意味があるんだ!」

 スイシーゼとシェネラは、揃って陽介の腕にしがみついた。3人で肩を並べて歩いていく。

 陽介は肩越しに、背後に流れていく若葉に視線を向けた。
「じゃあな。頑張れよ」
陽介の激励の言葉は、若葉に向けただけでなく、他にも生き残ったであろう全ての生命達へ、そして何より、自分達へ向けられていた。

 陽介達は歩き出した。彼らと共に必死に戦った仲間達の元へ。

 彼らの未来には、これからも幾多もの障害が襲いかかるだろう。だが、スイシーゼとシェネラ、2人の『天使』がいれば、そんな物は全て蹴散らせる。

 2人の『天使』が力を与えてくれる。

 2人の『天使』が微笑んでくれる限り、絶望に負けることはない。

 2人の『天使』と一緒なら、どんな未来でも切り開いていける。

 未来はこれから、自分たちの手で作っていけばいい。今なら、今の彼らになら、その力はある。

 一つの物語は終わりを告げ、新たなる物語が幕を上げる。主人公達は“自分で決めた自分にできる精一杯”に歯を食いしばり、新たなる物語を綴っていくだろう。“天使のような純粋”達の物語は、これから先、未来永劫に続いていくだろう。終わりを告げた物語は、そんな彼らの第一歩に過ぎない。

 若い3人の旅立ちを、ただ小さな若葉だけが見送っていた。