墜落日記 - 2008年4月29日の墜落
まともな神経の持ち主は
何をもって「まとも」と定義するかはさておき、とりあえず「まともな神経の持ち主は日曜日に秋葉原に繰り出すべきではない」と確信するようになってから、もう大分経つ。
最近、秋葉原の歩行者天国で、またおっぴろげてパンツ丸出しにしている破廉恥女と、それに群がるドブネズミが問題になっている。
あまりの公序良俗に反する猥褻物陳列にそろそろ万世橋警察署も痺れを切らして検挙に踏み切っている様だが………
いつから秋葉原ってこんな異様な街になってしまったんだろうね。
自分が秋葉原通いを始めたのって高校に入ってからだから、90 年辺りからだと思う。
(年齢がばれるね)
当時は電気街の様相を呈していて、国内パソコンは NEC の PC-98 シリーズが猛威を振るっていた頃である。
もうその当時は今で言う美少女ゲームの走りであるエロゲーもあった。
キャラクター商品もなかったわけではないし、出店はまだ先に話になるがアニメイト自体はとっくの昔にあるわけで、その手のビジネスが存在していなかったわけではない。
でも、まだまだそんな物は余録に過ぎず、秋葉原はもっぱら電気街だった。
自分の高校は田町にあって、学校が終わると京浜東北線の快速で二駅だった。
(当時は浜松町に快速は止まらなかった)
だから、学校帰りによく秋葉原に寄っては、金もないのに色々と物色した。
それが大学に入って厚木の山の中に引き籠もっている間に、秋葉原が様変わりしてしまった。
有り体に言えば、気色悪いオタクの街になってしまった。
生活不適格者で社会の爪弾き者なオタクを自認する自分から見ても、異様な異空間になってしまった。
ラジオ会館はオタク会館と化した。
中央通りを眺めれば埒外に大きい女の子の看板が、ここは何処かのイベント会場かと思わせるほど並んでいる。
歩行者天国を歩けば平然とコスプレメイドがビラを配っている。
というか、お前らの立ち位置って服を替えるとまんまマハポーシャだよ、とか思ったのは俺だけ?
………ま、それは余談として(汗)、どんどん無秩序に過激化する路上パフォーマンス、仕舞いには猥褻物陳列の破廉恥女とそれに群がるドブネズミのような連中である。
ま~最後のは少なくともオタクではない、秋葉原という街の特殊性を「なんでもあり、やった者勝ち」と間違った方向に解釈した、想像力の欠如した外様なんだろうけど。
でも、オタクから見ても異様な空間って、一体何なんだろう………? とか本気で悩んでしまうわけである。
いっそ歩行者天国なんか止めちまえとか思う自分が普通にいる。
別に自分、美少女ゲームと称される物が嫌いなわけでもない。
OVA 黎明期から連綿と続けてきたオタクであるし、知っての通りドルフィードリームなんて自称健常者から見れば確実にいかれているシロモノにも片足突っ込んでいるし、コミケへのサークル参加の経験もある、一通りの道は通ってきた。
そんな自分をして、日曜日の秋葉原は特に異様である。
で、自分は論客ではないので、知識人ぶった論評何ぞはそこいらの評論家ぶった連中に任せてしまうとして、自分なりに秋葉原やオタク文化が変質した転換点ってヤツをぼ~っと考えてみる。
正直な話し、自分が最初に触れてのめり込んだ当時のオタク文化と、現在のオタク文化は何か根本的な部分で違う様な気がするからである。
では、オタクを自認する自分が現在のオタク文化に迎合できなくなった辺りで何が起こっただろうか?
と、色々と記憶の糸を辿ると………1つの変化点が見えてくる。
コレクター商法の台頭である。
オタクというのは根本的に凝り性で、一度はまると突き詰める性癖を持っている。
だからオタクとコレクター商法は実は非常に相性が良い。
現状を見ても分かるだろう?
キャラクターが山ほど出る作品が出ればキャラクターの分だけ関連グッズが並んだり、同じ絵柄で何パターンも商品作ったり、美少女ゲームの特典テレカはショップ毎に違ったり、使い捨て同人作家に二次創作イラスト書かせて売りつけたり………
トレーディングカードなんて実によい例である。
しかしコレクター商法を維持するためには常に大量の燃料をくべる必要がある。
コレクターを繋ぎ止めるには常にコレクターが持っていない新アイテムを投入し続ける必要があるからだ。
で、結局ステレオタイプなストーリー、パターン化された判子を押したようなキャラクターで粗悪乱造の大量生産、大量消費時代に突入する。
そしてパターン化されたキャラクター性に、マスメディアの横槍も巻き込んで勝手に一人歩きした感のある《萌え》という言葉がさらに拍車を掛け、一見すると経済活動のように見せかけつつその実タダの自転車操業のような、それこそねずみがくるくる回している滑車のような状態に突入する。
で、自分は付き合いきれるか馬鹿、と背を向ける。
ぶっちゃけ、ブロッコリーが台頭してきた辺りで匙を投げたとも言える。
今でも自分はブロッコリーが生理的に好きではないし、大宮でもまんがの森が潰れるまで GAMERS には足を踏み入れたことはなかった。
背を向けると後は楽である。
オタクが元々あったコレクター気質を封じたわけだから、当然コレクター商法には興味が沸かなくなる。
コレクター商法に興味が無くなるとコレクター商法を基盤にしているオタク経済に興味が無くなる。
そうすると、余程の変化がないかぎり新商品も新ブランドもコレクター商品の1つとしてしか認識できなくなって、どうでも良くなる。
巷で騒いでいる Kanon だ CLANNAD だ Fate だも、自分にはコレクター商品の1つとしか映らない。
コミケのエロ二次創作なんか片っ端からコレクター商品である。
これらをひっくるめて自分自身では食傷気味と認識している。
で、秋葉原が変質していった時期と、自分が付き合いきれるか馬鹿と背を向けた時期が符合するような気がしてくるから不思議だ。
前述の通り「知識人ぶった論評何ぞはそこいらの評論家ぶった連中に任せてしまう」のでここではあくまでも個人の観点からつらつらと考えたわけだが。
結局、オタク文化の変質も、秋葉原の変質も、オタク事業の収益モデルの変化にオタクが迎合したところから始まったのではないかと愚考する。
ま~その他にも電気街としての収益性が維持できなくなったとか、いくつか偶発的な事象は重なっただろうけど………
取り留めもない思考をただただ書き殴っただけだが、なんにしろ、取り敢えず言えることは1つだ。
「まともな神経の持ち主は日曜日に秋葉原に繰り出すべきではない」
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