墜落日記 - 2008年11月14日の墜落
退院しました
本日、無事に予定通り退院した。
とは言っても、土手っ腹に穴を4つも開けた後なので、ホイホイ歩くとズシンズシンと痛むので、別の生き物になったかのようにそろ~りそろ~りと歩いている状態ではあるが………
取り敢えず、立派に育った親指の第1関節くらいの大きさの結石×2、人差し指の第1関節くらいの大きさの結石×3が取り出されて、我ながら呆然としてみたりする今日この頃である。
で、入院中に更新できなかった墜落日記をまとめ書きしてしまおうと思う。
入院当日 - 11月10日
取り敢えず、入院当日は10時に病院入り、諸手続を済ませて血液検査だなんだとしつつ時間を潰す。
21時以降は禁飲食状態になり、明日に手術なのだと否応なく突き付けられる。
命に別状はない手術なのだと分かっているので、実はこの時点で自分は全然緊張していない。
手術日 - 11月11日 (手術前)
本日、自分を切る主治医が二件の手術を掛け持ちしているらしい。
自分の方は時間が予測できる手術で、もう片方は時間が予測できない手術らしいので、本来午後だった日程が前倒しで午前中になる。
8時30分、移動寝台に寝かされて手術室に運ばれる。
手術室の待合室では他の手術患者がラッシュアワー状態、しばらく放置され天井を眺める羽目になる。
何故かBGMでアメイジング・グレイス (「白い巨塔」で主題歌に使われた曲) がかかっていて、何が何でも手術なのだと思い知る。
………これも1つのイメージトレーニングか………?(爆)
で、自分の番が来て手術室に運ばれ、移動寝台から手術台に乗せ替えられる。
目の前にはドラマでしか見たことがない照明器具。
左腕から点滴が入れられ………意識がストンと………
手術日 - 11月11日 (手術後)
全身麻酔から覚めた後なので、記憶が曖昧だが………
目を覚ますとまだ手術台の上。
どうやら起こされたらしい。
手術台から移動寝台に移され、迎えを待つ。
と、唐突に全身を震えが襲う………と言うか、マジで寒い、一気に意識が覚醒する。
看護師らしき人が「寒いですか?」と聞いてくるが「見て分かれ」とか罵詈雑言を吐く余裕など当然無く、西部警察最終話で大門が殉職する時のようにガタガタ震えながらやっとの思いで「寒い………」とだけ返す。
(ちなみに大門はその一言を最後に殉職している)
その後、どうやら電気毛布を掛けられたらしく、また意識が混濁する。
混濁する意識の中、両親が覗き込んでいた様な気がするが、これも記憶が曖昧。
次ぎに意識が戻ったのは病室。
酸素マスクが付けられ、穴から胃まで管が通され、左腕からは絶えず点滴の状態。
急速に意識が戻るが、そうすると今度は体が動かない恐怖が襲ってくる。
意識がハッキリと覚醒しても体が動かないから質が悪い。
が、体は確実に熱いし、喉に異物が入っている上に全身麻酔の直後なのでとにかく喉に痰が絡むのがイライラする。
イライラするけどどうしようもない―――こんなの一日続けていたらと思うと気が狂いそうになる。
だが、取り敢えず酸素マスクは19時に外れた。
あとは鼻から酸素をシューシューと吹き込む管を入れられ (鼻の入口辺りでシューシュー言うだけなので身体的苦痛はずっと小さい)、一晩放置プレイ。
当然、痰は絡み続けるし、動かない体は寝苦しいことこの上なく、それでも動かすと鼻から入っている管が喉に当たって嘔吐感と気持ち悪さが徒党を組んで襲ってくる始末、意識が睡眠の彼方に落ちるまでにエライ苦労をする。
一晩中、痛む腹を押さえながら痰を吐き続け、翌朝を迎える。
手術後1日目 - 11月12日
翌朝、9時くらいに酸素吸入が終わる。
同時に鼻から胃まで入っていた管も抜かれ、腹部に入っていたらしい (気が付かなかった) 管も抜かれた。
が、全身麻酔から丸々一日動かさなかった体はとにかく重いことこの上ない。
立ち上がるだけで一大事業、たしかにこれは歩けない、看護師の「本日は看護師と一緒に歩行訓練です」の一言が現実味を帯びる。
が、事態は急変。
10時くらいに看護師が病室に飛び込んできて「○○さん、××からお電話ですが」と来やがる。
(「○○」は本名、「××」は自社の事業所の名前だ)
天を仰ぎたい気持ちで携帯電話をカバンからせっせと取り出すと看護師は無情にも「携帯電話は通話可能エリアでお願いします」と仰る。
………くっ、この看護師、俺がどういう状態か分かってねぇ………
現実問題としてココは病院なので当然病室では通話不可、しかし通話可能エリアはエレベータホールの一角にある。
携帯電話のメール履歴を見るとグループウェアの電話メモのメールが2本に、通常メールが1本―――去年納品したシステムのサーバが落ちたとか言って緊急事態っぽい。
一大事業を敢行して立ち上がり、点滴の台を杖替わりに通話可能エリアまで歩き出す。
穴が4つも開いている腹部は押さえていても一歩ごとにズキンズキンと痛むし、吐き気まで出る、脂汗も滲む、通話可能エリアまでの距離が無限にも感じる。
通話可能エリアまでナントカ辿り着くと、お客様に電話―――別の電話に出ていらっしゃる(涙)
仕方ないから一度自社に電話、情報を少しでも聞き出せないかと思ったが、めぼしい情報はなし。
5分後に再び電話。
(普段は5分後に再度電話なんて性急な真似はしないが、体力が保たん)
今度は繋がったが、なにか話が要領を得ない。
どうやら去年納品したシステムのサーバ自体が落ちたのではなく、システムの Oracle 10g がデータベースリンクで繋がっている基幹システム側 Oracle 9i のデータベースサーバが落ちたことによる貰い事故が起こったようだ。
「俺の所為じゃねぇじゃねぇかっ!!!」と喚き散らしたい心境に駆られる。
(詳細に調査したら原因はコチラのシステムでした、とか言われたら洒落にならんが)
基幹システム側が復旧したことで現在は動いているとのことで、腹を押さえながら点滴抱えて (多分、輸血が増えてる) 現場に飛んでいく最悪の事態だけは免れたが、ごっそりと持って行かれた体力はもはや限界に来ていた。
自分一人が居なくなっているだけでトラブル対応も出来ないシステムを納品してしまう自社の体勢の不備も当然問題だが、なにも今週でなくてもいいだろうにと激情を持て余す。
ちなみに、当然と言えば当然だが、歩いちゃった以上歩行訓練は華麗にスルーされた。
術後検査のレントゲン撮影には車いすで向かったが、なんか気分的に寒かった。
落ち着きを取り戻した夕方、主治医と改めて会話をする。
手術の方法は予定通り腹腔鏡で終わっているらしいが、なんでも、度重なる胆石症の発作で常人の2倍くらいに胆嚢がふくれあがっていて、ドコまでが胆嚢でどこからが肝臓でどこに胆管があるのか分からなくなっていた状態だったらしい。
だが、自分は開腹手術が難しい体型―――早い話がデブ―――だったので、腹腔鏡での手術を続行し、1時間半予定の手術が3時間半かかってしまったらしい。
その結果、胆嚢と共に摘出できたのは、前述の立派に育った親指の第1関節くらいの大きさの結石×2、人差し指の第1関節くらいの大きさの結石×3である。
なかなかにゾッと寒気のする話である―――というか、よく今まで発作を耐えてたな、俺(爆)
手術後2日目 - 11月13日
これと言って特筆すべき点は無し。
消化器官も止まっていたので回復のために食事が流動食、5分粥、7分粥とレベルアップしていくが、腹帯で締め付けている関係もあって7分粥のボリュームになるともう入らなかった。
経過も良好で、明日の退院を主治医と確認した。
敵は無為に過ごさなければならない時間だ。
明日には娑婆に戻れる………
手術後3日目 - 11月14日
で、退院。
まだ歩くと腹部がズキンズキンと痛むが、それでも立ち上がるだけで一大事業だった手術後1日目よりは遙かにいい。
帰り支度をして、車で迎えに来てくれた母に連れられて帰途へ。
車の長丁場はなかなかに体力的に厳しいが、娑婆の空気はやっぱり旨い。
帰りに主治医への紹介状を書いてくれた掛かり付け医の元により、手術が終わって退院したことを報告。
掛かり付け医のトコロには主治医から随時連絡が入っていたらしく、状況は全て把握していた模様。
ちなみに主治医の先生、自分の手術の日は時間が分からなくなってしまった手術を連投してへとへとになってしまったらしい。
自分の手術は時間が分かるからと午前中にしたのにな………
いや、ホント、お世話になりました。
掛かり付け医の話では、なんでも胆嚢結石は誰でもなり得るが、3F、「fat、forty、female」と言って 40 代以上の太った女性が特になりやすいらしい。
「3F で上腹部が痛いなら胆石症を疑え」とまで言われるそうだ。
fat ではあるが forty でも female でもない自分って………(汗々)
ま、取り敢えず立派に育った親指の第1関節くらいの大きさの結石×2、人差し指の第1関節くらいの大きさの結石×3は戒めの石として、目の届く位置に常に置いておこうかと思う。
痩せれ、俺。
コメントは投稿されていません。